事例4 市場の低迷を言い訳にせず着物文化、地域活性化へ新風を起こす
きものブレイン(新潟県十日町市)
着物総合加工事業を展開するきものブレインは、低迷する着物市場の中で、売上を年々伸ばし続けている。昭和51年の創業以来、業界の常識にとらわれない消費者目線の商品開発や、積極的な障害者雇用などで注目を集め、平成28年1月には世界初の無菌養蚕による、繭の生産にも乗り出した。さらに、国内外に着物文化を発信する〝きもの文化村〟の壮大なビジョンを描くなど、夢も業績も桁違いである
一枚の着物から始まった着物のアフターケア事業
まちなかで、着物姿の人を見かけることがどれくらいあるだろうか。晴れ着ではなく、普段着として着こなす人はさらに少ない。日本の誇れる文化でありながら、実生活との溝は深まる。それを裏付けるかのように、着物市場は著しく縮小している。平成2年に約1兆5000億円あった市場が、25年には約2750億円と右肩下がりの一途をたどる。
きものブレインの拠点であり、1400年前から織物の産地として知られる新潟県十日町市も例外ではない。ピーク時は市全体で560億円あった工業出荷額は、平成25年には40億円を下回った。そんな状況下でも、きものブレインの業績は右肩上がりだ。
「創業当初から、常にお客さまのニーズは何かを考えてきました。利益目的で始めた事業は一つもありません」と語るのは、きものブレインの創業者であり、代表取締役の岡元松男さんだ。業界初の着物のアフターケア事業を立ち上げたのは昭和58年のこと。51年から呉服販売業を営んでおり、そのときにお客さまから修理を依頼された一着の着物が、きものブレイン創業の糸口となる。
その着物は酸化によって変色していた。従来のクリーニング技術では修復不可能な状態を、引き染めの補正技術を応用し、見事によみがえらせる。これが口コミで広がり、1000人ほどの依頼が舞い込むが、もうけなしの価格設定と発送作業に追われて赤字続き。それを立て直そうと全国の呉服店からの受注に向けて奔走した。
「一年で東北から九州まで50社、4年間で200社は回りました。でも弊社の取り組みをなかなか理解してもらえず7年間で7000万円の赤字となり、銀行の融資は厳しくなり……」
一年だけ待ってほしいと頼み込んでいる最中に、まさかの事態が起きる。バブルの崩壊により、呉服店が軒並み売上50%ダウンとなった。その一方で、危機感から、アフターケアの依頼が殺到した。
「私はこれを〝アフターケアの夜明け〟と呼んでいます。しかし、その中で見えてきたのは、着物を着た後ではなく前、ビフォーの問題です。着物を一枚仕上げるのに、仕立て、家紋入れ、ガード加工など、どれも分離発注で時間もコストも掛かっていました」
そこで取り組んだのが、総合加工によるワンストップサービスだ。納期は従来の半分、加工コストを平均30%削減し、高品質、低価格の着物の加工メニューの開発に成功する。
〝守り〟ではなく〝攻め〟 客目線の商品を次々開発
「設備や人材育成の投資には積極的です。平成14年にはベトナムに縫製工場を設立し、15年には2億2000万円かけて新工場を建設しました。それが今の夢ファクトリー本社工場です。しかし、その翌年に中越地震が起きて、倒産の二文字が頭をよぎりました」
社員が半減し、自身も自宅が損壊して20日間車中で寝泊まりする状況下で難をしのぐが、2年後の18年には業界大手の取引先が倒産し、20年にはリーマンショックというトリプルパンチで、業績はガタ落ちする。それでも「着物を着る人の立場に立てば必ず道は開ける」と、お客さま目線のブレない商品開発により、巻き返しを図った。
雨の日でも着物が着られるようにと、水や汚れを弾く「しあわせガード」加工を発表し、それに5年間無料アフターケア保証をつけた。ニーズを探るために直営ショップにも乗り出す。着物虫干し保管サービス「RAKURA」では、温度・湿度が安定した24時間セキュリティー体制の整った保管ルームをネットでチェックできるばかりか、着物を着る場所へ配送もできるシステムを構築した。さらに水で洗える正絹「ふるるん」では、「第5回ものづくり日本大賞」で経済産業大臣賞にも輝く。
また、積極的な障害者雇用や充実した社員教育で「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員会特別賞を受賞するなど、職場環境にも注力し、働きたい企業としても人気を高めていった。
逆境の中、市場を自らつくる その強さは経営哲学にあり
事業の立て直しは順調に見えた。だが、人生最大のピンチはこの先にあった。想定外の円安だ。
「自分の力ではどうすることもできない大波に、連日深酒と眠れない夜を過ごしました」
無力感に苛まれ続ける中、出会ったのがJALを2年でV字回復させた京セラなどの創業者・稲盛和夫氏が主催する盛和塾新潟を知り、早速入学。ここで一年間稲森経営哲学と京セラフィロソフィを学んだことが大転機となる。
「ピンチを乗り切る最大の秘訣(ひけつ)は、最新設備でも技術でもなく、経営哲学でした。事業の目的が何かをいま一度見つめ直し、全社員の物心両面の幸福を追求することだと気付いたんです。28年には独自のフィロソフィに照らし合わせて判断する、全社員参加型の経営にシフトして組織力を高めました」
そして大きな決断を下す。十日町駅西側8000坪の土地に「きもの文化村」を創設するとともに、28年1月から始動した世界初の大型周年無菌養蚕工場での、年間100tの繭の生産を目指す。
「きもの文化村と養蚕事業が連動した循環型のシルク産業が、十日町の地場産業になればと思います。着物文化を国内外に発信する、一大観光スポットです」
市場の低迷を言い訳にせず、訪れたチャンスをわが物にせず、還元していく。そこに、きものブレインの強さがあるようだ。
会社データ
社名:株式会社きものブレイン
所在地:新潟県十日町市本町6-1
電話:025-752-6800
HP:https://www.kimono-brain.com/
代表者:岡元松男 代表取締役
従業員:263名(うち障害者28名)
※月刊石垣2016年8月号に掲載された記事です。
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