事例2 クリエーター経営者がまちを再生
アレコレ(新潟県新潟市)
新潟市の合同会社アレコレ代表社員・迫一成さんは福岡県出身。新潟大学で社会学を学び、卒業してすぐの平成13年に店を構えたのは「創業」が目的ではなかった。作品として制作したTシャツの展示スペースが欲しかったのである。それから14年、経営者とクリエーターの仕事を両立させつつ、第二の故郷となったまちの再生にも力を尽くしている。
店は作品の発表の場
「社会学を通じてメディアの勉強をしているうちに編集されることなく自分の思いを伝えられる仕事がしたいと考えるようになりました。そこで、誰にでも分かりやすい絵本を描いてみたいと思ったのです」と迫さんは学生時代を振り返る。大学で社会学を学びつつ、4年生になると東京の絵本のスクールで週1回、絵本やデザインの勉強をするようになる。卒業してあらためて新潟市内に根を下ろした。そのころはアルバイトの傍ら大学と絵本のスクールで出会った友人の計3人で、イラストをシルクスクリーンでTシャツにプリントするという方法で作品をつくっていた。でも発表の場もなければ売り方も分からない……。
ちょうどそのとき、新潟商工会議所では新規開業を目指す商売未経験の人にノウハウを指南、低家賃で2坪程度のスペースを提供して経営者を育成するミニチャレンジショップ事業「ヨリナーレ」(現在も継続中)の第1期生を募集していた。そこで迫さんは「ヒッコリースリートラベラーズ」というユニット(後に店名やブランドになる)を結成して友人との共同経営の形で応募、出店が認められた。
「日中プリントしたTシャツを5、6枚並べるとすぐに売れて、月の売上が100万円近くになることもあり驚きました」。当時の新潟にもクリエーターはいたが、Tシャツのような商品に落とし込んで発表している人はいなかった。だから新潟の若者に支持され、メディアにも取り上げられた。それがまた評判を呼んだ。「作品を褒められたり売れるとうれしいのですが、それでも店を経営しているという意識は希薄で、作品を見てもらう展示スペースを運営しているという感覚でした」。しかしヨリナーレの出店期間は原則1年以内、最長2年という制限がある。「店がなくなると作品を発表する場所もなくなる。そこで路面店を構えてみようという気になったのです」。
15年、古くから営業する個人商店が連なる古町三番町に空き店舗を見つけ、「日常を楽しむ。」というコンセプトを掲げたオリジナルデザインのTシャツの店「ヒッコリースリートラベラーズ」をオープンさせた。すると客層が変わり、従来からのオリジナルTシャツに加えて、ちゃんとした店と認識されたのか、チームTシャツのオーダーが入るようになった。これで2本の事業の柱ができた。
解釈を変えれば客はいる
商店街全体は郊外の大型店舗にお客を奪われ衰退の道をたどっていた。「シャッター街」対策のために一番町から四番町の商店街で設立した上古町まちづくり推進協議会では再興のための勉強会も開かれていた。年配者に交じった20代の迫さんには「シャッター街という認識はなかった」という。
「人は歩いているし、住んでいる人も多い。勉強会ではお客さまが来ない理由を駐車場などのせいにしていたけれど、そこに店があることをお客さまに知らせていないことが大きな原因だと思っていました。古くから営業している店といえば聞こえがいいが、お客から見ればやる気のない店に映っていて足が遠のいているのではないか。一方で、オシャレではないけれどかわいい、掘り出し物がありそうと解釈してくれるお客さまもいます。新潟市の人口は80万人。そのうちの1、2%がそんなふうに思ってくれれば潜在的なお客さまは1万人もいることになります」
迫さんは若者の視点で気後れすることなく意見を述べ、それを商店街の人は真剣に受け止めてくれた。迫さん自身も商店街のロゴの作成、「カミフルチャンネル」という地図新聞の発行、ホームページの立ち上げ、イベントの企画・運営とクリエーターとして活動を続け、18年に上古町商店街振興組合が結成されると理事に就任する。
経営者としての迫さんは、新たなチャレンジを続けていく。店の向かいにあった老舗酒屋「渡道酒店」が廃業することになり、建物を残すために借り受けてフリースペース「ワタミチ」として運営を始めたのだ。
活動を発信するため、20年ごろからインターネットを活用。営業エリアを全国に広げた。ツイッターやfacebookのようなSNSによる情報発信にも力を入れ、新たな固定ファンを獲得した。それだけでなく、ここ最近は燕市吉田本町のキュウリ出荷箱のデザイン、ニットの産地である新潟県五泉市の企業との斬新なデザインの白生地づくりなど新たな事業領域を拡大していった。また、県内にとどまらず、愛媛の柑橘(かんきつ)農家組合のコスメブランドの立ち上げデザイン、奈良の自然農法のお茶の商品開発などにも手を広げた。
19年までは共同経営だったが、20年から店は迫さんが一人で経営することになった。22年には渡道酒店を買い取って移転し、リニューアルオープン。さらに3本目の柱としてブライダルギフト事業に進出、経営に安定感が増した。
24年には「にいがた水と土の芸術祭」にデザイン広報チームとして参画。さらに認定ショップも出店し、それが評価されて新潟市美術館内にショップ「ルルル」を出店というように事業の範囲をさらに拡大していく。
地域の新たな魅力を発信
そして、24年、合同会社アレコレを設立。「アレコレやっているうちにいろいろな事業を手がけるようになりました。経営のセオリーは選択と集中なのかもしれませんが、(都会に比べて需要の少ない)地方で事業を続けていくためにはいろいろな分野を手掛け、そこから生まれた商品の一つひとつにクリエーターとしての『自分たちらしさ』を入れ込むやり方のほうが適していると考えたのです」。
迫さんの事業が地域を活性化させた例も数多い。例えばコンペイトーのように見える「浮き星」というあられに砂糖蜜をかけた甘い菓子だ。かつては「ゆか里」という名で新潟市民に愛されていたが近年では生産量が減少。生産者として新潟で唯一残っていた明治33年創業の明治屋も後継ぎがいなかった。その話が気になっていた迫さん。伝統菓子を守りたかった。そこで、昨年末から、販売チャンネルを増やそうと自社でも他社でも売れる商品の開発に取り組んだ。名称とパッケージなどの変更を提案、販路を広げるために卸まで請け負った。結果、迫さんの事業領域は広がり、地域の老舗と伝統菓子は息を吹き返した。
「3年後の40代は経営をしながらクリエーターとしても手を動かすプレイングマネージャーとして活動したい。そして会社の在り方もスタッフが働きやすい形に変えていこうと思います」
クリエーターの発想が新たな地域の魅力を発信していく。
会社データ
社名:合同会社アレコレ
住所:新潟市中央区古町通り3番町556
電話:025-228-5739
代表者:迫一成代表社員
従業員:10人(パート・アルバイト含む)
※月刊石垣2015年8月号に掲載された記事です。
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