デジタル、IT、IoT、AIに続いてDXという言葉が“ブーム”になっている。そもそもDXとは何か、日常の業務にどう役立てればいいのか。中小企業のデジタル化に詳しい東京大学大学院教授の森川博之さんに話を聞いた。
森川 博之
東京大学大学院工学系研究科教授
DXに厳密な定義はなく「ループ」が重要
―最初に基本的な質問ですが、デジタルトランスフォーメーション(DX)とは、どのようなものなのでしょうか。デジタル、IT、IoT(モノのインターネット)との違いを教えてください。
森川博之さん(以下、森川) 私はそれらを厳密に分けてはいません。デジタルもDXもITもIoTも一緒です。デジタルというくくりが一番広いですね。次のようなループを想像してください(図1参照)。まず、IoTと5G(第5世代移動通信システム:高速大容量通信が可能になる)により、リアルな世界からデータを吸い上げます。ビッグデータと呼ばれるモノです。それをサイバー(デジタル)空間でAI(人工知能)などを使って蓄積・解析し、その結果をリアルな世界にフィードバックすることで生産性を向上させます。このループを回すことがDXです。重要なことは言葉の定義ではなく、ループの存在に気付くことです。いろいろなところでループが回り始めることで、デジタルが一層浸透していくでしょう。
―5Gは意外に使えないという声を聞くことがあります。
森川 確かに5Gユーザー企業から「5Gならではのサービスがない」「4Gで十分なように見えるものが多い」「高速・大容量のサービスしか始まっていないし、それもものすごく速いわけではない」というような不満の声が上がっています。しかし、10年先を見てください。5Gはこれから進化していきます。
そこで経営者は、今の状態を見て使えないと判断せず、まずは「土俵に上がる」という判断をしてください。これは5Gに限ったことではなく、デジタル全般に当てはまることです(図2参照)。
デジタル化は「簡単なもの」でいい
―具体的にはどのようなことですか。とても高度なシステム構築が必要に思えます。
森川 高知県を中心にスーパーマーケットなどを展開するサンプラザという会社の古紙回収システムの事例があります。新聞やチラシ、雑誌のような古紙を回収するボックスに古紙の量を量るセンサーと通信用のSIMカードを付けただけなのです。それだけで古紙回収事業者がいかなるタイミングで回収に行けばいいのかが遠隔で分かるようになり、回収コストが下がります。シンプルな仕組みですが、私が面白いと思ったのは、お客さんとスーパーと古紙回収事業者が三方よしの関係をつくり上げたことです。どういうことかというと、回収業者は浮いたコストの一部をスーパーに還元します。お客さんは古紙回収ボックスに古紙を入れると、古紙1㎏につき1ポイントのスーパーのポイントがもらえます。これによりスーパーはお客さんを囲い込むことができます。
ここから生まれる価値は小さいかもしれませんが、新しい価値をつくったことは見逃せません。
このレベルの話は至る所にあるはずで、話を聞けば「簡単に実現できる」と思いがちですが、実は、そこに気付くことが難しいのです。だから気付くことが、デジタルの重要なポイントです(図3参照)。
―気付くことができれば、実現はそれほど難しくありませんね。お客さんにメリットがある点も見逃せません。他に、デジタル化によってお客さんにメリットを与えた事例はありますか。
森川 埼玉県川越市のイーグルバスは、乗降センサーやGPSを用いた運行状況データを取得し、乗客の声なども反映させてバス運行計画を最適化し、赤字路線を再生した例があります。これで十分です。必要ならAIを使えばいいですが、そうでないのなら今できることからどんどんデジタル化しましょうというのが私の考えです。そうして、やりながら気付いていけばいいのです。業種にもよるでしょうが、一般的に中小企業は、多額の投資をしてAIを導入しても、それに見合うほどのビッグデータはないため、エクセルでも対応できるのではないでしょうか。
―バスの自動運転のような高度なシステムでないと、デジタルと呼ばないのかと思いました。デジタル化によって従業員が変わった事例はどうでしょうか。
森川 業績絶好調のワークマンの事例はいろいろなところで取り上げられていますが、私から見てうれしいことは、従業員研修で徹底して表計算ソフトのエクセルの関数を教え、習得を必須としたことです。
エクセルの関数を覚えることで、例えばレジを打つ従業員は、「この商品は雨が降ったときに売れる」という相関に気付くのです。気付きさえすれば、データ分析チームがそれを検証して正しければ、雨の日の仕入れ数を増やすとか陳列の仕方を変えるというようなフィードバックができます。
現場の従業員の気付きのきっかけとしてエクセルを覚えたことが役に立っています。
―古紙回収事例、バスの事例、エクセルの事例は、どれも簡単な仕組みで成り立っていることに気が付きました。
森川 その通り、「簡単なものでいい」ということを認識してください。
中小企業に投資金額が大きいAIは必要なのか
―デジタル社会の象徴であるAIのような高度なものは、中小企業のデジタル化には不要ということですか。
森川 私が中小企業向けにデジタルの話をさせていただくときは、意図的に「AIは必要ないのではないですか」と問い掛けています。イーグルバスの事例を見ても分かるように、乗降センサーとGPSで十分対応できます。最初からAIを導入しようと気負ってしまうと、デジタル化のハードルがすごく高くなってしまいます。
そこで、古紙回収の事例を、会社の業務に当てはめてみましょう。毎日、ゴミを回収するという業務プロセスがあったとします。ゴミ置き場にゴミが満杯になっているのか、まだ余裕があるのかが分からないので、とにかく毎日、ゴミ置き場まで回収に向かわなければなりません。ここで、「ゴミの量にばらつきがあるのなら、毎日回収に向かわなくてもゴミ箱にセンサーを入れれば、ゴミの量が把握できて、回収作業が楽になりそうだ」という気付きが重要になるのですが、実は、これこそが難しいのです。日常の業務になってしまうと、現場の人は気付かなくなり、「これとこれをデジタルに置き換えたら楽になりそうだ」という発想はなかなかできません。
新入社員、女性社員に現場を見てもらう
―現場が難しいとなると、デジタルの専門家に依頼しなければなりませんか。
森川 最初は、デジタルの専門家に頼む必要はありません。業務の外にいて、 ‶何となくITが分かっている人〟に見てもらうことから始めましょう。そうすれば、「センサーを取り付けて監視して、満杯になったら知らせる仕組みをつくったらいいのでは?」という発想が出てきます。
‶何となく分かっている人”は、どのようなセンサーが有効なのかなどということを知っている必要はありません。センサー自体を見たことがなくても構いません。センサーでゴミの量を量ることができるということだけが分かっていればいいのです。
ゴミ箱にセンサーを付ければいいことが分かれば、その先の『ゴミの量をモニターして満杯になったら知らせる』というシステムづくりについては、専門家に依頼すればいいのですから。
―‶何となくITが分かっている人〟とは、どのような立場の人でしょうか。
森川 業種にもよるでしょうが、中小企業にはITを高度に理解している人はそう多くいるわけではありません。そこで、現場と専門家の間をつなぐ人を確保すればいいでしょう。
高等専門学校の生徒は、新しい知識と新鮮な目を持っているし、現場に入り込んで、いろいろ質問しても邪険にされることはないでしょう。あとは、新入社員や女性の目も同じくらい頼りになります。このように、今までIT、ICT(情報通信技術)とは直接関係なくても新鮮な目を持った人が現場に入っていくと、必ずいろいろな質問、それも「何のためにやっているのですか」という素朴な質問が出ます。現場の人は内心不愉快に思うかもしれませんが、必ず気付きがあるはずです。デジタル化には現場に気付きを与える素朴な質問が重要なのです。
経営者はデジタル担当にコストやKPIを求めない
―そんな現場に対して経営者がやるべきことを教えてください。
森川 経営者は、誰もが素朴な質問ができるような現場の雰囲気をつくらなければなりません。もう一つ、経営者に対するお願いは、コストについてはうるさく言わずデジタル化を言い続けることです。もちろん予算の制約はあるでしょうが、デジタル担当にはKPI(重要経営指標)を設定するようなことは求めないでください。「3年後はどうなる?」とか「数値目標を立てろ」「費用対効果」という言葉はあまり言ってほしくありません。「デジタルは海兵隊」ですから。
―沿岸などから敵地に、真っ先に上陸することを任務とする海兵隊ですか。
森川 二つの意味を込めています。一つ目は、海兵隊が少人数でフットワーク軽く動くように、デジタルも一部の人たちでフットワーク軽くやってみるということです。二つ目が重要なのですが、海兵隊員は傷つくリスクが高い分尊敬されます。失敗するリスクが高いデジタルのために働いた人を、仮に失敗したとしても尊敬しなければなりません。この考え方を根付かせないと、デジタル化は進みません。経営者は「戦略的忍耐力」を鍛えていただきたいです。
―経営者はデジタルという言葉を言い続け、戦略的忍耐を持って見守る。素人の目で現場を見てもらうと、良い結果が生まれるということですね。例えば商工会議所の職員の多くはIT、ICTの素人ですが、職員を活用してネットワークをつくっておくと、新鮮な目を確保する知恵が得られるかもしれません。
森川 そういう方法も有効ですね。
余談になりますが、NTTドコモでは2014年から農業ICT推進プロジェクトチームの有志(普段は別々の部署で働いている)女性社員が「アグリガール」として、農家などを訪問して課題を見つける取り組みをしています。その成功例を受け、地域でのIoT実装を推進する団体・地域IoT官民ネット(LINCS)では、「IoTデザインガール」を育成しています。ITという技術の視点ではなく、デザイン思考の手法(ユーザーのニーズをベースにアイデアを創出する)によって、地域の企業や自治体が抱える課題を見つけることが目的です。中小企業でも、女性社員の活用を検討してください。
デジタル化の第一歩は業務の棚卸し
―経済規模が小さな地方にある中小企業もデジタル化が必要ですか。
森川 労働力人口の減少は全国の中小企業の採用にも影響を与えています。減少を止めることは難しいので、今のうちにデジタル化を進めて、生産性向上を目指すべきだと思います。
それから「経済規模が小さな地方」という受け止め方は、必ずしも正しくありません。
例を挙げましょう。鳥取県の県内総生産は、豊かな国といわれるブルネイのGDPと同程度です。市町村レベルで比べても驚くことが分かりますよ。岡山県に勝央町(しょうおうちょう)という人口1万1000人ほどのまちがあります。ここの町内総生産はバヌアツ、サモアのGDPと同程度、ドミニカ、トンガ、パラオよりも大きいのです。日本はすごい国だということが分かります(図4参照)。
―これほどの経済規模があれば、地域に根付いて成長していくことが可能ですね。
森川 地方は素晴らしいポテンシャルを秘めているのです。
―では、デジタル化を進めるために、まず何から手を付ければいいのでしょう。
森川 最初に手を付けることは、業務の棚卸しです。この業務はデジタル化できるのか、できないのかを一つひとつ検討していきます。手間はかかりますが、決して難しいことではありません。業務の棚卸しという考え方は、大企業でも中小企業でも共通しています。
大企業の例では、産業競争力懇談会(COCN:産業界の有志が集まり、日本の産業競争力強化のための活動を行う)の会員として活動する鹿島建設のデジタル化への取り組みです。建設業にはゼネコンであっても、企画・設計から運用までの間に、アナログのまま残っている膨大な業務プロセスがあります。何年か前に、それらのプロセスを一つひとつ棚卸しして、どの部分がデジタル化できるのか、デジタルが使える業務がないかを見極める作業をしました。
中小企業であれば、業務の棚卸しの負担は少し軽いと思います。また、デジタルに対する意識は非常に高く、大企業と変わらない印象です。人材に差があるという指摘がありますが、中小企業にデータサイエンティストは不要で、前にお話ししたように、デジタルの専門家につなぐ人がいればいいのです。
―意識、人材はそろっていても、デジタル投資資金という高い壁があります。
森川 デジタル化のレベルをどこに設定するかによって、投資資金は変わります。先ほどお話ししたようにいきなりAI導入に向かわず、私は身近なところから始めればいいと考えています。
一つの方法としては、地域の中小企業が連携してデジタル化に取り組む方法があります。当然、資金面でも人材面でも負担が軽くなり、企業が抱える問題や人材の多様性によって、新たな知恵が生まれるはずです。そんなふうに、誰かに相談するのではなく自分たちで考えることがデジタル化では重要で、5Gの展開を始めたキャリアに使い方を提案してほしいとか、ITベンダーにデジタル化の提案書を作成してほしいなどと言ってはだめです。
デジタル化が進展すると会社の在り方が変わる
―中小企業はデジタル化により、どのように変わりますか。
森川 18世紀から19世紀にかけて起きた産業革命により、工場に蒸気機関が入り、従業員の働き方が大きく変わりました。その後、電気が蒸気に取って代わり、再び従業員は働き方を変えました。同じようにデジタル化が進展すると、工場で働いている方の働き方が変わるはずです。最初は少しずつデジタル化を進めていけばいいのですが、いずれ大きく変わるときが来ます。デジタルはとても奥が深いため、単にデジタルというツールを入れて終わりではなく、会社の在り方を根本的に変える可能性を秘めているもの……それがデジタルだと、私は捉えています。
※月刊石垣2021年1月号に掲載された記事です。
最新号を紙面で読める!