商人がつくり上げた経済基盤
商人のまち・酒田の始まりは、徳尼公と三十六人衆にあるといわれている。徳尼公は藤原秀衡の妹(後室との説も)で、奥州藤原氏が滅ぶと遺臣の三十六人衆とともに酒田で生涯を過ごした。徳尼公没後、三十六人衆は地侍となって廻船問屋を営み、自治組織をつくって町政にあたる。これが発祥となり、以後、鐙屋をはじめとした豪商が本町通りに軒を連ねるようになった。現存する旧鐙屋邸は、当時の家の造りや生活を今に伝えている。 江戸時代中期になると、江戸の人口が増加し、米が不足。江戸に米を届けるために幕府から命を受けて酒田にやってきたのが、御用商人・河村瑞賢だ。瑞賢は寛文12(1672)年に米どころの多い日本海側を通り、下関(山口県)を経由する西廻り航路を確立した。最上川を下って周辺各地から酒田に集められた米は、「北前船」に積まれて江戸へと届けられ、全国各地の文化や商品を積んで戻った。まちには湊町文化が花開き、「西の堺、東の酒田」と称されるほど隆盛を極めた。 「商人たちの、開放的で自由な気質は今もまちに残っています」と語るのは、酒田商工会議所の佐藤淳司会頭だ。「私は平成の大合併で酒田市民になりましたが、それまでも酒田の人たちは違和感なく受け入れてくれていました。『酒田ってすごい』と感じましたね。新しいものに積極的な反面、飽きっぽいところもあるかもしれません(笑)」。 海沿いにはいくつもの風車が並んでいる。環境に配慮したエネルギーへの取り組みが早いところにも、酒田市民の気質が表れているのかもしれない。
地元の発展に尽くした本間家
酒田の歴史を語る上で「本間家」の存在も外せない。 「江戸時代の中期に米で財を成した本間家は、いろいろな面で地元に還元してくれました。その一つに松林があります。『砂潟』と書いてサカタと呼ばれていたほど、昔は海岸の砂が飛んできていました。本間家三代当主の光丘が松の植林をしてくれたことで砂防林となり、今でも海岸沿いには松林が続いています」 豪商・本間家の屋敷や別邸は、戦後、市民に開放され、本邸は「本間家旧本邸」として観光施設に、別邸は「本間美術館」として活用されている。 「山形を知らない人から『本間家があるところですね!』と言われるほどです。本間家なしに酒田を語ることはできませんね」 光丘は、文化ももたらした。北前船の往来によって茶道や料亭文化などさまざまなものが伝えられたが、その一つに「つるし飾り」がある。光丘が京都の人形師につくらせた「亀笠鉾」に由来しているといわれ、小槌やひょうたんなどの細工物をつるして、「酒田山王祭り」のときにまち中を歩いたという。これは「宝づくしの傘福」と呼ばれ、女性たちがわが子の成長を願ってつくったとされる「傘福信仰」とともに現在に伝えられている。
よみがえった伝統文化がまちを彩る
そんな傘福に着目したのは、酒田商工会議所女性会だ。設立25周年を迎えた平成17年、メンバーは次世代に残す観光資源の発掘を図り、100年間眠っていた伝統文化をよみがえらせた。 「傘福とはどういうものなのか、聞き取り調査から始めました」と話すのは、同所中小企業相談所経営相談課の佐藤智美さん。「女性会のネットワークを生かし200人の市民の方々にも協力してもらいながら、一針一針愛情込めてつくった60種類6000個の細工物が出来上がりました。このときつくった『はじまりの傘福』は『山王くらぶ』に展示しています」 19年には、製作を担当する「傘福くらぶ」を結成し、2月下旬から4月上旬まで開催される「酒田雛街道」で毎年新作を披露している。「開催が近づくと、一日5~6時間作業します。完成したらうれしいですね」と話すメンバー。今年で9回目となる展示が、4月3日まで山王くらぶの大広間を華やかに彩っている。 傘福をきっかけに地域交流も生まれた。「稲取から声が掛かりました」と同所中小企業相談所次長の高橋謙治さん。静岡県東伊豆町稲取の「雛のつるし飾り」、福岡県柳川市の「さげもん」、そして酒田市の「傘福」で「日本三大つるし飾りサミット」を四度開催し、地域の伝統を生かした仕組みづくりについて意見を交わした。 傘福は首都圏にも広がりを見せ、大手デパートでの展示や貸し出しを行う機会が増えているという。「もっと掘り下げていくことで観光資源として定着させたいです」と、高橋さんと佐藤さんは今後の目標を語った。
米とともに歩んできた歴史
本間家が米で財をなしたように、地元の人にとって米はとても大切なもの。明治26(1893)年、米を保管するために旧藩主酒井家がつくった「山居倉庫」には、先人の知恵が詰まっている。夏の高温対策のために植えられたけやき並木や、湿気を防ぐために二重構造になっている屋根など、米を守ろうとした当時のまちの人の工夫が見られる。 全12棟のうち10棟は農業倉庫として今でも機能を発揮し、他の2棟は平成16年に市が買い取り、物産館「酒田夢の倶楽」として営業している。館内には、歴史や文化を紹介するミュージアムとお土産コーナーが設けられ、酒田の昔と今を広くPR。市や商工会議所、そして、佐藤会頭が会長を務める酒田観光物産協会が実施したこの取り組みは、第6回「産業観光まちづくり大賞」の金賞を受賞した。「元気付けられました」と佐藤会頭は振り返る。昨年120周年を迎えた山居倉庫と、今年10周年になる夢の倶楽は、まちのシンボルとして多くの人が訪れている。
ロケ地を生かして観光資源をPR
冬は台湾からの観光客も多いという。台湾でも放送されたNHK朝の連続テレビ小説「おしん」の舞台になったことが理由だ。けやき並木の石畳は観光客のためにつくられたというほどに、国内外から多くのファンが訪れている。 酒田のまちはドラマや映画にもよく使われている。昨年公開された映画「おしん」や、第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞し日本中を沸かせた「おくりびと」(平成20年公開)の舞台にもなった。 本木雅弘さん演じる主人公・小林大悟が勤める会社「NKエージェント」に使用されたのは「旧割烹小幡」。平成10年まで料亭を営み、港や市外を一望できることから、多くの文人や政治家らが訪れた場所だ。撮影は、建物の外観と、室内にセットをつくって行われた。使用されたセットは、映画に関連するパネル展示などとともに見学することができる。 旧割烹小幡の保存と活用に力を注ぐNPO法人ロケーションボックスの久保和彦さんは、「おくりびとは日本中に感動を与え、各地からファンが訪れています。台湾の方も多いですね。今は使っていない2階の大広間も活用して、今後も多くの方に来てほしいです」と語る。 西側に併設する「蔵カフェ」は、東北公益文科大学の学生が管理・運営している。「物置になっていましたが、皆で掃除をして、装飾もして、憩いの場として生まれ変わりました。今年も学生さんたちによる運営が決まっています」と期待を寄せる久保さん。おくりびとの監督を務めた滝田洋二郎さんが「酒田には変わらぬものの良さがある」と絶賛したように、若い人たちにもまちの良さを守ろうという思いが受け継がれている。
お昼はラーメン★夏はカキに冬は寒鱈!
おいしい食材も豊富で、飲食店の競争が激しいという。そんな中、人気を誇るのがラーメンだ。地元の人は皆お気に入りのラーメンを持っている。酒田商工会議所事務局長の加藤俊一さんもその一人だ。 「市内のほとんどの店が自家製麺です。一軒一軒、小麦粉の量や麺の細さが異なり、麺の絶妙なカーブが魚のダシを絡めしっかりとスープの味を堪能することができます。平日はランチ感覚で食べに行きますね。休日には市外からも多くの人がやってきて、どの店も駐車場がいっぱいになりますよ」 10年ほど前に「酒田のラーメンを考える会」が発足し、加盟店の赤いのぼり旗をあちこちで見かける。「奥が深く、外れがありません」と佐藤会頭も酒田のラーメンがお気に入りだ。 夏にカキが食べられるのも魅力の一つ。「酢しょう油で食べるのが本当においしいんですよ」と話す佐藤会頭は、酒田の食は世界一だと言う。冬の名物は「寒鱈汁」。厳寒の日本海で捕れる、脂がのった寒鱈をぶつ切りにしてみそ仕立てで煮込む、この季節ならではの贅沢だ。酒田や鶴岡などを回って毎年多くの人でにぎわう「日本海寒鱈まつり」が今年も1月25・26日に開催され、多くの人が寒鱈汁を食べて体を温めた。
数ある素材を発掘し発信
同所青年部は、寒鱈まつりを機に市内に人を呼び込もうと、天童商工会議所青年部が主催する「平成鍋合戦」に「庄内どんがら汁」を出品し、アピール。初回で見事優勝を果たし、第3〜6回を4連覇した。鍋合戦の開催時期が寒鱈の手に入らない12月に変更になってからは、地域の食材を生かした新たな鍋の開発を試み「幻のガサ海老こく旨鍋」が誕生。昨年12月8日に行われた第19回鍋合戦で3位に輝いた。 「ガサ海老は、底網にひっかかって捕れる貴重な食材です。当日は行列ができるほど大好評で、地元の新聞でも紹介されました」と話すのは、同所総務部総務企画課の齋藤幸浩さん。出品する鍋は毎年アレンジを加えているという。「日本海を連想させるような鍋をつくりたいですね」と次なる挑戦に向けて意欲を見せている。 食に、観光資源に、魅力ある素材が満載の酒田市。「じっくりと酒田のことを知ってもらえる仕組みづくりが必要です。『商人がつくり上げてきたまち』ということを、物語性を込めて発信していかなければなりません」と語る佐藤会頭は、「行政や物産協会などとベクトルを合わせてまちを盛り上げていきたいですね」と目標を語る。 この地に根付く歴史、文化、生活に触れ、当時の様子を想像しながらまちを巡る。それが、酒田の楽しみ方だ。
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