Ⅰ.現状認識
【極めて厳しい景況感と予断を許さない雇用情勢】
日本商工会議所が3月に実施したLOBO(早期景気観測)調査では、新型コロナウイルスによる経営への影響がある(※)と回答した企業の割合は88・5%で、昨年3月以降この割合は一貫して9割前後で推移している。
また、緊急事態宣言の再発出・延長の影響もあり、3月の全産業合計の業況DIはマイナス35・3と大幅なマイナスが続いており、先行きも見通せないことから、中小企業の景況感は極めて厳しい状況が続いている。特に、非正規労働者を多く雇用し、最低賃金の影響を受けやすいサービス業ではマイナス48・5で、他の産業よりも厳しい状況となっている。
雇用状況に関しては、2月の完全失業率は2・9%で、コロナ禍以前の昨年1月の2・4%から0・5ポイント悪化しているものの、雇用調整助成金等の効果もあり何とか踏みとどまっている。一方、有効求人倍率は1・09倍で、昨年1月の1・49倍から0・40ポイント低下し、9都道府県では1倍を下回っていることから、足下の雇用情勢は予断を許さない状況である。
2月のLOBO調査では、新型コロナウイルスの影響を踏まえた雇用・採用関連の対応として、「従業員の人員整理を検討・実施」と回答した企業の割合はわずか6・2%にとどまっているなど、多くの中小企業は雇用調整助成金等の各種支援策を活用しながら、「事業の存続」と「雇用の維持」にギリギリの努力を続けているが、感染による影響が長期化し収束が見通せない中で、こうした努力も限界に達し、倒産・廃業が日を追うごとに増加することが懸念される。
※「影響が続いている」64・7%、「現時点で影響はないが、今後マイナスの影響が出る懸念がある」23・8%の合計。
【コロナ禍でより一層乏しくなっている賃金支払い余力】
企業が賃上げする際の重要な考慮要素である労働生産性は、中小企業では一貫して横ばいで大企業との格差が広がっており、労働分配率も大企業が40%台であるのに対して中小企業は70%台で推移しており、付加価値額の多くが人件費に費やされている。
こうした状況の中、LOBO調査によると、2020年度に賃上げをした中小企業は40・6%であり、前年同期の63・6%から一気に23・0ポイントも低下していることに加え、賃上げした企業のうち、業績が改善しない中で人材の確保・定着のために賃上げをした言わば「防衛的な賃上げ」を実施した企業は実に74・8%を占めていることから、中小企業における賃金支払い余力はより一層乏しくなっているのが実態である。
さらに、人件費を含めたコスト増加分の価格転嫁については、BtoB、BtoCともに転嫁に難航している企業が実に約7割に達している。
【最低賃金の大幅な引き上げに伴い広がる影響】
最低賃金の主たる役割・機能は労働者のセーフティーネット保障であり、業績の良しあしにかかわらず全ての企業に対して罰則付きで一律に適用されることから、通常の賃上げとは異なる性格を有している。
しかし、最低賃金は政府方針に基づき、中小企業の収益の持続的な改善や生産性の向上が伴わない状況下で、明確な根拠が示されないまま、名目GDP成長率や消費者物価、中小企業の賃上げ率(2020年:1・2%)を大きく上回る3%台の大幅な引き上げが2016年から2019年まで4年連続で行われてきた。昨年度の全国加重平均額はコロナ禍により1円の引き上げであったが、最低賃金の大幅な引き上げは、中小企業数がここ7年間で62万者も減少している中で、経営基盤が脆弱(ぜいじゃく)で引き上げの影響を受けやすい中小企業の経営を直撃し、雇用や事業の存続自体をも危うくすることから、地域経済の衰退に一層拍車を掛けることが強く懸念される。
こうした中、当所が本年2月に実施した「最低賃金引上げの影響に関する調査」で、現在の最低賃金額について、「負担になっている」と回答した企業の割合は55・0%で、「経営への影響がある」と回答した企業の割合も43・9%に達している。
さらに、厚生労働省の「最低賃金に関する基礎調査」によると、最低賃金額を改正した後に改正後の最低賃金額を下回ることとなる労働者の割合を示す「影響率」は、2009年度の2・7%から2019年度は16・3%と大幅に上昇しており、東京都(18・9%)を含む35都道府県が10%以上で、神奈川県(32・1%)、北海道(23・9%)、大阪府(22・5%)では20%を超えている。
【高まっている中小企業の不満と不安】
このように最低賃金の大幅な引き上げに伴う影響が広がっている中で、最低賃金の審議で政府方針に代表される「時々の事情」が重視され、明確な根拠が示されないまま大幅に引き上げられてきたことに対する不満が高まっている。また、コロナ禍で昨年度と同様に危機的な経済情勢であるにもかかわらず、現在の政府方針を踏まえると、再び中小企業の経営実態を超える大幅な引き上げが行われるのではないか、といった不安の声も多く聞かれる。
政府はこれまで各種給付金や雇用調整助成金などの支援策を総動員し、中小企業の「事業の存続」と「雇用の維持」を強力に支えてきた。こうした中、あらゆる企業に強制力を持って適用される最低賃金を大幅に引き上げることは、一連の政策効果を打ち消し、中小企業をさらなる窮状に追い込むことが強く懸念される。
加えて、最低賃金を大幅に引き上げることで生産性の低い中小企業を淘汰し新陳代謝を促すべきといった意見や、最低賃金を全国で一元化することで地方から都市部への労働移動を抑制し地方創生を推進すべきといった意見など、最低賃金に関してはさまざまな論調があることから、多くの中小企業は戸惑い、懸念を抱いている。
【中小企業の経営実態を考慮し、明確な根拠の下で納得感のある水準の決定を】
中小企業は、企業数の99%、雇用の約7割を占めるなど、わが国の経済活力の源泉であり、地域経済を支える礎である。従って、最低賃金は、政府方針に基づき「引き上げありき」で審議するのではなく、あくまで中小企業の経営実態や地域経済の状況を十分に考慮することにより、明確な根拠の下で納得感のある水準を決定すべきである。
また、余力がある企業は賃上げに前向きに取り組むべきことは言うまでもないが、政府は賃金水準の引き上げに際して、強制力のある最低賃金の引き上げを政策的に用いるべきではなく、生産性向上や取引適正化への支援などにより中小企業が自発的に賃上げできる環境を整備すべきである。こうした現状認識の下、当所は今年度の審議に当たり下記の事項を強く要望するとともに、最低賃金に関するさまざまな論調に対する当所の見解を改めて申し述べる。
記
Ⅱ.今年度の審議に対する要望
1.危機的な経済情勢を反映した新たな政府方針の設定を
今年度の最低賃金の審議に関しては、多くの中小企業から「より早期に全国加重平均1000円になることを目指すとの方針を堅持する」という政府方針や、本年1月の通常国会の菅内閣総理大臣の施政方針演説における「最低賃金は、雇用にも配慮しながら継続的な引き上げを図り、経済の好循環につなげていく」旨の発言を踏まえると、コロナ禍で昨年度と同様に危機的な経済情勢であるにもかかわらず、再び中小企業の経営実態を超える大幅な引き上げが行われるのではないか、といった不安の声が多く聞かれている。
現在の全国加重平均額902円が、政府が目指す1000円になると約11%の大幅な引き上げになり、中小企業の経営に与えるインパクトが非常に大きいことから、これまで当所は政府方針に基づく「引き上げありき」ではなく、あくまで中小企業の経営実態を重視した審議を行うべきであると主張してきた。
例年6月に閣議決定される「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」には最低賃金に関する政府方針が示されるが、政府は、企業における「事業の存続」と「雇用の維持」が最優先課題であるとの認識の下、最低賃金に関しては現下の危機的な経済情勢や賃上げの実態を反映した新たな方針を設定すべきである。
2.コロナ禍の危機的な経済情勢を踏まえ、「現行水準の維持」を
地域別最低賃金の決定に当たっては最低賃金法第9条により、①労働者の生計費、②労働者の賃金、③通常の事業の賃金支払い能力の3要素を総合的に勘案することが求められている。しかし、最低賃金は、政府方針に基づき明確な根拠が示されないまま、3%台の大幅な引き上げが2016年から19年まで4年連続で行われてきたことから、中小企業にとって負担感が増している。
最低賃金は、政府方針に基づき「引き上げありき」で審議するのではなく、あくまで中小企業の経営実態や地域経済の状況を十分に考慮することにより、明確な根拠の下で納得感のある水準を決定すべきである。
特に、今年度は、コロナ禍の危機的な経済情勢が続いていた中で、緊急事態宣言が再発出・延長されたことで、飲食業では営業時間の短縮要請、観光産業ではGoToトラベルの一時停止により、関連する業種の企業も含め、昨年度以上に厳しい業況の企業が多い。また、昨年に休廃業・解散した企業は約5万件と前年比14・6%増との調査結果もあることから、今後も倒産・廃業が日を追うごとに増加することが懸念される。コロナ禍の収束が見通せない中、政府は中小企業がこの危機を乗り切るための経営支援に最優先で取り組むべきである。
当所が本年2月に実施した「最低賃金引き上げの影響に関する調査」では、今年度の最低賃金の改定について、「引き上げはせずに、現状の金額を維持すべき」と回答した企業の割合は51・2%、「引き下げるべき」と回答した企業の割合は5・4%となり、引き上げに反対する企業は半数を超えている。また、同調査で、現在の最低賃金額が「負担になっている」と回答した中小企業は過半数を超え、特にコロナ禍で深刻な影響が出ている「宿泊・飲食業」に加え、「介護・看護業」、「運輸業」といった労働集約型産業のほか、「製造業」、「卸売・小売業」など幅広い業種で負担になっている企業の割合が高い。
また、最低賃金は下方硬直性が強く、たとえ景気後退局面であっても実質的に引下げることはできない。このため、コロナ禍の収束が見通せない現状において、さらなる景気後退により業況が悪化すれば、企業は雇用調整せざるを得ない状況になることが十分に予見される。
従って、今年度は、中小企業の経営実態や足元の景況感、地域経済の状況や雇用動向を踏まえ、「現行水準を維持」すべきである。
3.地域の経済実態に基づいたランク制の堅持を
最低賃金は、47都道府県を所得・消費関係、給与関係、企業経営関係の19の指標を基にA~Dの4ランクに分け、ランクごとに目安額を決定している。諸外国では全国一律に最低賃金額を決定しているケースもあるが、わが国が採っているランク制は各地域の状況を反映し目安額を決定していることから、合理的なシステムである。
一方、東京都をはじめとしたAランクの地域別最低賃金額がCランクやDランクよりも高いことが、地方から都市部への労働移動の一因であるとの考えの下、最低賃金を全国で一元化すべきとの論調があるが、最低賃金の全国一元化は地方創生につながるとは考えにくいどころか、大都市への人口流入により、少子化加速の要因にもなりかねない。
従って、最低賃金は全国で一元化すべきではなく、地域の経済実態に基づいたランク制を堅持すべきである。
4.各種支援策の強化・拡充を
最低賃金の大幅な引き上げに加え、子ども・子育て拠出金や社会保険の負担増、時間外労働の上限規制や同一労働同一賃金など働き方改革への対応に伴い、多くの企業で人件費が増加している中で、コスト増加分の価格転嫁については、BtoB、BtoCともに転嫁に難航している企業が約7割に達している。従って、人件費を含めたコスト増加分を適正に価格転嫁できるよう、中小企業庁等関係省庁は、官民協力の下で、サプライチェーン全体での付加価値向上や取引価格の適正化に向けた「パートナーシップ構築宣言」の普及・促進を図るなど、取引適正化支援をより一層強化・拡充していくべきである。
また、中小企業は現下のコロナ禍および収束後を見据えた需要の変化に的確に対応していく必要があることに加え、改正高年齢者雇用安定法・改正女性活躍推進法など労働法制への対応、インボイス導入など各種の制度変更にも着実に対応していく必要がある。こうした制度変更への対応や生産性向上の取組状況に応じて、デジタル化をはじめとする設備投資、販路開拓等の支援を一体的かつ機動的に実施し、複数年にわたって中小企業の生産性向上を継続的に支援する「中小企業生産性革命推進事業」は非常に有効な施策であることから、幅広く周知し、利用を促進していくべきである。
中小企業が生産性向上のための設備投資等を行い、事業場内で最も低い賃金(事業場内最低賃金)を一定額以上引き上げた場合に、その設備投資等に要した経費の一部を助成する「業務改善助成金」は、最低賃金引き上げに対する主な支援策である。本助成金に関しては、当所の要望に基づき「20円コース」が新設されたほか、これまでにも助成対象事業場の拡大や助成上限額の引き上げ、申請時に必要であった納税証明書の提出を不要とするなど申請手続きの簡素化が図られ、使い勝手が向上していることから、厚生労働省は本助成金を幅広く周知し、利用を促進していくべきである。
5.改定後の最低賃金に対応するための十分な準備期間の確保を
例年、地域別最低賃金は、中央最低賃金審議会での目安に関する答申が出た後に各都道府県の地方最低賃金審議会での実質的な審議が始まり、地方最低賃金審議会での改正決定後、ほとんどの都道府県では10月1日前後に発効するプロセスとなっている。
このため、各企業は、地方最低賃金審議会での改正決定から10月1日前後の発効までの2カ月程度で最低賃金の引き上げに対応せざるを得ないことから、当所には「給与規定などの改定やシステム改修などを短期間で準備するのは負担が大きい」「発効日は、所定内賃金の引き上げ時期に合わせてほしい」「引き上げ分の支払い原資を確保するための時間も必要だ」といった中小企業の「生の声」が多く寄せられている。
従って、各企業が改定後の最低賃金に対応するための十分な準備期間を確保するために、発効日は10月1日前後ではなく、指定日発効等により全国的に年初めまたは年度初めとすべきである。
6.特定最低賃金の廃止に向けた検討を
特定の産業または職業について設定される特定最低賃金には、都道府県ごとに適用されるものが227件ある。特定最低賃金の改定または新設は関係労使の申出に基づき、最低賃金審議会の調査審議を経て、地域別最低賃金よりも金額水準の高い最低賃金を定めることが必要と認められた場合に決定される。一方、2020年度の審議・決定状況を見ると、地域別最低賃金額を下回っているにもかかわらず改定されなかった特定最低賃金は50件あり、このうち改正の申し出が無かったものが28件ある。
地域別最低賃金の大幅な引き上げが続いている中で、これらの特定最低賃金は存在意義が失われつつあることから、関係労使が協議の上、廃止に向けた検討を行っていくことが望ましい。
Ⅲ.最低賃金に関する主な論調に対する見解(略)
最低賃金に関する要望
2021年4月15日 日本商工会議所 全国商工会連合会 全国中小企業団体中央会
新型コロナウイルスの感染拡大により、世界経済は甚大な影響を受けており、わが国においても足元の景況感は極めて厳しく先行きの見通しも立たない、まさに危機的な経済情勢が続いている。過去の震災や近年の台風などの自然災害を受けた地域を含め、多くの企業が苦境の中でギリギリの経営努力を続けている。しかし、緊急事態宣言が再発出・延長されたことで、特に飲食業では営業時間の短縮要請、観光産業ではGoToトラベルの一時停止により、関連する業種の企業も含め、昨年度以上に厳しい業況の企業が多い。また、昨年に休廃業・解散した企業は約5万件と前年比14・6%増との調査結果もあることから、今後も倒産・廃業が日を追うごとに増加することが懸念される。
一方、最低賃金の主たる役割・機能は労働者のセーフティーネット保障であるが、政府方針により、明確な根拠が示されないまま、中小企業・小規模事業者の経営実態を超える3%台の大幅な引き上げが2016年から19年まで4年連続で行われてきた。昨年度の全国加重平均額はコロナ禍により1円の引き上げであったが、現在の「より早期に全国加重平均が1000円になることを目指す」という政府方針を踏まえると、危機的な経済情勢であるにもかかわらず、再び中小企業・小規模事業者の経営実態を超える大幅な引き上げが行われるのではないか、といった不安の声が多く聞かれている。
政府はこれまで各種給付金や雇用調整助成金等の支援策を総動員し、中小企業・小規模事業者の「事業の存続」と「雇用の維持」を強力に支えてきた。こうした中、あらゆる企業に強制力を持って適用される最低賃金を大幅に引き上げることは、一連の政策効果を打ち消し、中小企業・小規模事業者をさらなる窮状に追い込むことが強く懸念される。こうした現状認識の下、われわれ中小企業3団体は、今年度の審議に当たり、政府に対して下記を強く要望する。
記
①企業における「事業の存続」と「雇用の維持」が最優先課題であるとの認識の下、現下の危機的な経済情勢や賃上げの実態を反映した新たな政府方針を設定すること。
②最低賃金は、法が定める3要素に基づき、明確な根拠の下で納得感のある水準を決定すべきである。コロナ禍の収束が見通せない中、政府は中小企業・小規模事業者の資金繰りや事業再構築等の経営支援に最優先で取り組むべきであり、今年度は、足元の景況感や地域経済の状況、雇用動向を踏まえ、「現行水準を維持」すること。
③余力がある企業は賃上げに前向きに取り組むべきことは言うまでもないが、政府は賃金水準の引き上げに際して、強制力のある最低賃金の引き上げを政策的に用いるべきではなく、生産性向上や取引適正化への支援等により中小企業・小規模事業者が自発的に賃上げできる環境を整備すること。
以上
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