菅義偉総理大臣は2020年10月に行った所信表明演説において、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする※、すなわち50年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを表明した。そもそも脱炭素社会とはどのような社会なのか。中小企業の経営にどのような影響を及ぼすのか。その答えをエネルギー問題に詳しい国際環境経済研究所理事・主席研究員の竹内純子さんに聞いた。
※「排出を全体としてゼロ」とは、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出量から、森林などによる吸収量を差し引いてゼロを達成すること
竹内 純子(たけうち・すみこ)
NPO法人国際環境経済研究所理事・主席研究員。筑波大学客員教授/東北大学特任教授(客員)。U3イノベーションズ LLC 共同創業者・代表取締役
脱炭素化はエネルギー問題、経済問題と捉える
―菅総理は「世界各地で異常気象が発生する中、脱炭素化は待ったなしの課題」と述べています。脱炭素化は環境問題と捉えていいのですか。
竹内純子さん(以下、竹内) 世界各地で異常気象を発生させている気候変動問題は、温室効果ガスによって引き起こされます。温室効果ガスの主たるものが二酸化炭素、すなわちCO2です。環境問題だと思われがちですが、日本のような先進工業国が出す温室効果ガスのほとんどは、エネルギーの利用に伴って排出されるCO2なので、気候変動問題は環境問題ではなくエネルギー問題であり、経済問題であるという理解をする必要があります。
―ということは、私たちの環境に対するちょっとした心掛けで解決するような問題ではありませんね。
竹内 1800年代後半の産業革命以降200年近く、世界はエネルギーを使う量を増やし続け、それに伴ってCO2の排出量も増え続けました。その結果、先進国は経済成長を成し遂げることができました。
私たちが省エネを心掛けることは大切ですが、それだけで解決できる問題ではなく、経済の在り方、社会の在り方を根底から変えなければ、カーボンニュートラル、脱炭素化は達成できない大きな課題です。産業革命以上の大変革であり、あと数十年で達成するという目標は非常にチャレンジングです。
「需要の電化×電源の低炭素化」という掛け算
―では、どうすればいいのかという話の前に、日本のエネルギーの全体像について教えてください。
竹内 エネルギーというとすぐに電気の話になりますが、日本が使用している全エネルギーの4分の3は、電気以外の燃料の直接燃焼です。例えば自動車のガソリン、工場のボイラーを動かす重油のようなもの。これらのエネルギーを燃やすことによって排出されるCO2を減らそうとすると方法は二つしか無くて、一つは高効率化の追求。例えば自動車の燃費を二倍、三倍に向上させれば、同じ量のガソリンで二倍、三倍の距離を走れるようになり、排出されるCO2が減ります。ですが、エンジンの熱効率を高める技術には限界があり、現状からさらに燃費を二倍、三倍に向上させることは難しいでしょう。
もう一つは、CO2を出さずに得られるエネルギーを探す方法です。カギとなるのが電気と水素。電気と水素は化石燃料からつくることもできますが、CO2を出さない方法でつくることもできる。電気は太陽光などの再生可能エネルギーでつくる。あるいは原子力でつくる。水素は、今は化石燃料から取り出す方法が主力ですが、再生可能エネルギーのようなCO2フリーの電気を使って水を電気分解してつくればCO2を出しません。電気を供給する側は再生可能エネルギーあるいは原子力といったCO2を出さない電気を徹底して増やしていく。
一方、需要の側は、ガソリンや重油で動いていた機器を電気、あるいは水素で動く機器に交換する。これを電化、水素化というわけですが、需要の側で徹底して電化、水素化といった低炭素化をする。「需要の電化×電源の低炭素化」という掛け算が、CO2排出量の大幅削減を可能にします。
―CO2排出量の大幅削減には再生可能エネルギーが切り札になるように思えます。現状について教えてください。
竹内 政府は、再生可能エネルギーを主力電源としていく方針を掲げています。それに今の時点で安心して投資できる電源は再生可能エネルギーしかありません。福島原子力発電所事故以降、原子力への投資は議論もほとんどされておらず、カーボンニュートラルを目指しているのだから化石燃料を使う電源には投資ができません。政府は再生可能エネルギーを主力化するとしており、再生可能エネルギーへの投資は増えています。
とはいえ、再生可能エネルギーは自然エネルギー(太陽光、風、水、地熱などの自然現象から生まれるエネルギー)と表現されるように、自然のポテンシャルに左右されるという弱点があります。
太陽光発電であれば、日陰にならない平坦な場所にいかに太陽光パネルをたくさん並べられるかが重要なので、事業者が造成をしなくて済む(整地コストが抑えられる)平坦な土地をどれくらい手に入れられるかにかかっています。
―日本には太陽光発電用地に転用できるような平坦な土地は少ないと思います。だから普及が遅れているのですか。
竹内 遅れてはいません。太陽光発電導入量では、日本は中国、米国に次いで世界第3位で、国土面積当たりの導入量は第1位です。平坦な土地が少ないので、山を削って平地にして、太陽光発電用地にしているほどです。そのため当然のことながら、発電コストは高くなりますし、台風の季節には土砂災害の懸念も生じます。今後太陽光発電の導入を拡大させるには、建物の上などを丁寧に開発する必要があります。
―海や山で風力発電用の風車を見かけるようになりました。風力発電の普及は進んでいますか。
竹内 風力発電に対する期待は大きいのですが、陸地に風力発電の風車を建てる陸上風力発電では、風車の設置場所として適しているのは強い風が吹く山の尾根になります。日本には山がたくさんありますが、そこにたくさんの風車を建てようとすると、山を切り開き、道をつくって、風車を並べることになります。コストがかかり、自然破壊も心配されます。
そこで、洋上に風車を設置する洋上風力発電に期待がかかっています。欧州では、北海が典型例ですが、遠浅がどこまでも続く地形のため、支柱を海底に固定する着床式という方法で風車を設置しています。日本の地形は、海岸から少し離れただけで急速に海が深くなるという特徴があるため着床式を設置できる面積はわずかだといわれます。海の上に浮かべた構造物の上に設備を建設する浮体式の実証実験事業が行われています。
洋上風力発電の本格普及は2050年には間に合うかもしれませんが、菅総理が気候変動サミット(首脳会議)で表明した30年の温室効果ガスを13年度比で46%削減するという目標(以前の目標は15年に表明した26%削減)には間に合いそうにありません。
このように再生可能エネルギーだけに頼ってCO2を大幅に削減することは、当面は難しいので、原子力という低炭素電源をどうするのかというところを議論しなければなりません。
脱炭素には原子力発電の議論が避けられない
―昨年11月、福井県の高浜町議会が、運転開始から40年を超える関西電力高浜原子力発電所の再稼働に同意したというニュースが注目を集めました。原発の〝寿命〟は40年なのですか。
竹内 原子力発電所が運転できる期間は運転開始から40年、原子力規制委員会の認可を受ければ、20年を超えない範囲で延長できるという規定があります。この運転期間制限のルールは福島原子力発電所事故後に議員立法で導入されたものですが、当時の国会議論を振り返っても、40年あるいは60年という期間は原子炉の寿命を科学的に評価して決められたわけではなく、高経年化の評価を行うタイミング、いわば人間ドックのように徹底した健康チェックを行うタイミングとして決められたものでした。原子力規制委員会設置法附則の参議院付帯決議には、「後で規制委員会が科学的知見を蓄積して検討、見直しをしなさい」と書いてあるのですが、そのままになっています。
原子力発電はコストのほとんどを建設費が占めていて、少量の燃料で大きなエネルギーを生産できる運転コストが低い電源なので、安い電力供給という観点からは長く働かせた方が国民にメリットを与えうる。そこで、米国(原発の運転期間は40年)では、フロリダ州の原発に2回目の20年延長を認可して運転期間を80年としています。
60年運転、80年運転といっても、定期点検の時にかなりのパーツを入れ替えているので、部品のほとんどは新しいものになっています。ただ私自身は、古い原子力発電施設を使い続けることは、経済合理性にかなってはいるものの、技術の継承を考えるのであれば、建て替えた方がいいと考えています。
―国民のメリットを考えると、原子力発電所は60年の運転に延長した方がいいし、またそうしなければ50年のカーボンニュートラルの達成は厳しい、といえそうです。仮に原子力発電所を建て直すとすると、どのような選択肢があるのですか。
竹内 運転の経験が蓄積されている軽水炉(世界で最も広く使われている原子炉)をより安全性を高めて使っていく方がいいのか、新技術を導入する方がいいのかは悩ましいですね。出力が比較的小さい小型原子炉(軽水炉より安全性が高く、建設コストも低い)をたくさんつくる方がいいのか。中国では第4世代の原子炉技術(高温ガス炉の実証炉。軽水炉は第2世代)を開発していますが、いずれにしても、国土の制約が大きい日本では、再生可能エネルギーをどれだけ主力にしようと努力をしても限界があるので、原子力技術は必要な技術なのだと思います。
国は温室効果ガスを30年に13年度比でほぼ半減させ、50年までにカーボンニュートラルにするという政治的な判断をしたのであれば、原子力技術とどう向き合うのかを正面から議論して国民に説明する責任があると思います。
―電源の選択を市場原理(自由化競争)に任せることは考えられませんか。
竹内 基本的には発電事業は自由化されていますので、市場に任されています。もちろん、全て市場原理に任せるのではなく、CO2排出という環境に負荷をかけるものには税金をかけるなどの政府の関与は必要です。1kWh(キロワット・アワー)の電気をいかに安くつくるかという競争だけでなく、安定性、安全保障、環境性という価値についても評価できるようにしないと、バランスを失した電源構成になってしまうわけですが、全ての価値を可視化することは難しいので、そこが課題です。
脱炭素技術は競争優位を保つことが大事
―日本企業の脱炭素技術は高いといわれています。竹内さんはどうお考えですか。
竹内 日本は「技術開発」で他国をリードしても、「技術普及」では負けてしまうことがよくあります。
太陽光発電を例に取ると、1970年代にオイルショックを経験したことから、莫大な国費を投入して研究開発を行いました。そのおかげもあって2000年代初頭は、シャープや三洋電機といった電機メーカーが太陽光パネル分野で世界のトップシェアを占めていた。ところが普及が進み、安く大量につくるところに落とし込む段階で、中国や台湾のメーカーに負けてしまった。日本の太陽光パネル技術が世界で存在感を示していたのは数年間だったわけです。多くの雇用を支え、国民に安定的な収入をもたらすには、技術の普及段階でのシェアを取る必要があります。特許の数多くして、ビジネスに負ける、にならないよう戦略を立てる必要があります。
50年のカーボンニュートラルという目標は大事ですが、私は〝50年に食っていける日本を残す〟ことも大事だと思っています。日本企業が技術で世界の低炭素化に貢献する機会はたくさんあるはずですが、経営者には視点の中に、競争優位を維持し続けることを入れておいてほしいです。苦労して開発したのにすぐに汎用品になって、コモディティー化して、どんな国でもつくれるというような技術ではなくて、競争優位を保てる技術が重要です。
―ここまではエネルギーの現状や脱炭素化に向けたエネルギーの進化を中心にうかがってきましたが、中小企業の経営者が気に掛けていることは、脱炭素化社会に向かうとコストアップに直結する電気料金が高くなるのかということです。
竹内 残念ながら、炭素税や原発の安全対策や廃炉関連費用、再生可能エネルギー賦課金といったいろいろな理由によって当面上がらざるを得ないと思います。再生可能エネルギー普及に向けた送電線投資なども必要です。それを電力会社がやろうが国がやろうが、電気料金で負担するか税金で負担するかの違いだけなので、日本の国民や企業が負担することに変わりはありません。
―では、脱炭素化社会の到来で伸びる産業は何でしょうか。
竹内 これは経営者それぞれのお考えによるのでしょうし、私自身が解答を持っているわけではありません。ただ、「グリーン×デジタル」という掛け算にヒントがあるのではないかと思います。
私は自分の産業の中だけで解決できると思わないことが大事だと思っていて、17年に出版した本(『エネルギー産業の2050年』日本経済新聞出版)では、モビリティーとユーティリティー(電気、ガスなどの公益事業の担い手)が融合するということを書かせていただきました。エネルギー産業はエネルギー産業の中だけでは解決できないし、モビリティーはモビリティーの中だけでは解決できない。「一緒にやらなければダメだよね」ということは、経営者の皆さんが感じておられるところ。産業の壁を取り払って、「自分たちは○○産業」という考え方を変えるとヒントが見えてくるかもしれません。
ピンチをチャンスに変えるゲームチェンジという視点
―脱炭素化社会はさまざまな形の負担を強いられそうです。中小企業にとってはピンチでしょうか。
竹内 確かにピンチではあります。でもピンチは同時にチャンスでもあるでしょう。勝負の土俵が大きく変わろうとしているのは間違いありません。例えばEUが自動車をEVに置き換えると言い出したのは、背景にドイツメーカーのディーゼル不正問題があることに加え、内燃機関で勝負している限りは絶対に日本の自動車メーカーには勝てないし、中国のメーカーに追い付かれるという危機感があるからです。それなら土俵を変えようとEVを掲げてゲームチェンジを仕掛けている。
このようにゲームチェンジがあちらこちらで始まっていることを認識すると、ピンチがチャンスに変わるかもしれません。
原点回帰的にご自身の事業を根っこから考え直す、新たなことにチャレンジする、経営判断はいろいろだと思いますが、ぜひゲームチェンジが始まっていることを認識してもらえればと思います。
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