戦前の日本は南米や満州に百万単位の移民を行った。過剰人口を減らす棄民だった。日本の敗戦で移民らは難民と化し、辛酸をなめた苦い歴史がある▼
1962年にヨットで太平洋単独横断に成功した堀江謙一さんを、日本が密航扱いしたのに対して、「アメリカ人は皆こんなふうにこの国に来た」と米国に歓迎されたことを小欄で紹介したのは7年前である▼
米国人はかつて、チャンスをつかみ取り、人生の成功をめざしてこの国に渡った。若いアメリカでは努力すれば何でも手に入った。だが超大国はかつての輝きを失った。国民の冒険心は後退し、社会は悲観的になった。トランプ大統領の再登場は、米国にふたたび栄光と繁栄をもたらす願いに支えられたものだろう▼
だから自分たちの職を奪い、社会不安を招く移民をトランプ支持者らは認めない。移民によって建国した実験国家が移民を拒むとき、国のダイナミズムは失われる▼
欧州でも反移民を掲げる政党が各国で力を増す。中東やアフリカ出身の移民に「すぐに逃げ出すな。祖国を自分たちで立て直せ。欧州はそれぞれの国で市民が逃げずに戦ってきた」とは、移民受け入れに反発する人々の言い分だ。祖国という意識を持てないことへの苛立ちが見える▼
一方移民する側の主張はこうだ。「そもそもアフリカや中東の混乱は欧州の宗主国が勝手に国境線を引いて立ち去ったせいだ。だから移民受け入れは義務だ」と返す。このどちらにも理があり、どちらにも無理がある▼
先進国で不足する労働力を移民で補うのは国力維持のために必須である。日本も例外ではない。だが移民を良き隣人として同化させ、多様な社会をつくるには宗教を超える深い社会哲学が要るだろう。
(コラムニスト・宇津井輝史)
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