日本最古の湯といわれる松山の道後温泉。その地で130年の歴史を刻む、この地唯一の酒蔵・水口酒造は、水口皓介(みなくちこうすけ)さんで六代目となる。2024年7月に保存修理工事を終えた道後温泉本館が営業を再開し、さらにまちが活気づく中、同社もまた、ローカルとグローバルの両軸で、存在価値を高めつつある。
地酒や地ビールを開発し〝道後ブランド〟を確立
白鷺(しらさぎ)が傷を癒やしたという開湯伝説のある道後温泉(愛媛県松山市)。温泉街の象徴である「道後温泉本館」は、公衆浴場初の国指定重要文化財に指定され、アニメ映画『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋のモデルともいわれている。荘厳な建築美を今に残す本館の大改築は、明治時代に道後湯之町の初代町長・伊佐庭如矢(いさにわゆきや)さんによって進められた。周囲が大反対する中、100年後の地域繁栄を見据えて断行されたという。
地域の命運をかけて本館が再建された翌年の1895年、水口酒造は創業した。かつて額田王(ぬかたのおおきみ)が和歌に詠んだ「熟田津(にぎたつ)」(同地区にあったとされる船着場)の名から、「仁喜多津(にきたつ)」という代表銘柄を醸造し、以来、道後温泉本館と共に歴史を刻む。国内屈指の観光地へ発展した道後で、仁喜多津も地酒としての不動の地位を築いた。1994年、酒税法が改正されると、2年後にはビール製造免許を取得。地名を冠した「道後ビール」を開発し、地域に根付く。
「湯上がりには、日本酒よりビール。先代の父の先見の明により、道後ビールは第一次地ビールブームに乗り、広島と愛媛を結ぶ『しまなみ海道』の開通、団体旅行から個人旅行への移行、人口減少や日本酒消費量の減少などを背景に、日本酒と並ぶ主要事業に成長していきました」
そう語るのは、六代目で代表取締役社長の水口皓介さんだ。だが、自身は家業に関心を持たぬまま、東京の大学に進んだという。
異業種から家業へ転職し国内外で新風を巻き起こす
専攻した物理学を生かしたいと、ジェイアール東海情報システムに入社した水口さんは、リニア中央新幹線のシステム開発を担当した。8年間勤務する中、家業を意識したのは、趣味の海外旅行がきっかけだった。
「実家が酒蔵だというと、海外の人は興味を持っていろいろ質問してきてくれるのですが、何一つ答えられません。お酒に弱い体質だったこともあって、家業に関心がなかったのですが、聞かれたら答えられるようにと調べていくうちに、家業の歴史と実績に驚き、自分の人生と家業の行く末を真剣に考えました」
3人きょうだいで、姉も弟もすでに家業とは異なる職に就いていた。継ぐなら長男である自分しかいない。重責だが家業を支え、地元に恩返しがしたいと、2019年に後を継ぐ覚悟を決めて帰郷した。
「新米蔵人として、一から酒造りに携わりました。家業入りを喜ぶ父が、取引先に早い段階で後継者として紹介してくれて、その後の事業承継も〝スーパーうまくいった〟部類でした」と笑う。
