城西館
高知県高知市
女中頭から旅館経営者に
江戸時代に建造された天守と本丸御殿の両方が明治時代の廃城令や太平洋戦争、南海地震を乗り越え、唯一現存する高知城。その城下町に、老舗旅館の城西館(じょうせいかん)はある。創業は明治7(1874)年だが、当時の話は詳しく伝わっていない。その経緯について、城西館の副総支配人である藤本幸太郎さんはこう説明する。
「うちは高知で一番古い旅館で、146年の歴史がありますが、その経緯は少々変わっています。藤本家が経営に携わるようになってからは74年になりますが、それ以前はいろいろな方が経営されていました。高知市が戦時中に空襲に遭ったために資料が残っておらず、以前のことは詳しく分からないのです。先代の女将(おかみ)である藤本楠子(くすこ)が終戦後の昭和21(1946)年に、それまで旅館の株式を持っていた方々から株を譲り受けて、経営を引き継いだ形になっています」
藤本楠子さんは高知県内の農家に生まれ、高知市内の旅館で女中として働いていた。14(1939)年、それまで勤めていたホテルの支配人が城西館の経営を譲り受けることになり、楠子さんは請われて城西館に移り、女中頭として旅館内の采配を振るうようになった。「曾祖母が書き遺したものによると、当時から城西館は高知市内では有名な老舗で、曾祖母にとっては憧れの旅館だったようです」と藤本さんは言う。
太平洋戦争が始まると、城西館は軍に提供され、地元の政財界有志たちによる出資で軍事会館となったが、楠子さんは引き続き支配人として支えていった。
皇室や政治家の常宿に
昭和20(1945)年7月4日未明の高知大空襲で市内中心部は火の海となり、城西館も3階建ての建物に20あった部屋は、貴賓室と5部屋を残して焼失してしまった。それでも楠子さんは残った部屋を修繕し、必要な物を集めて旅館を再開した。
そして翌年2月、楠子さんは、軍事会館の株主たちから株を譲り受けて旅館の経営を引き継いだ。戦中・戦後と旅館を守り抜いた功績が認められたのだ。
「その年の12月に吉田茂首相が選挙区の高知に来た際、うちにお泊まりになり、吉田首相とのご縁が始まりました。以来、高知に帰ってくるたびに宿泊されるようになり、他の政治家の方々にもご宿泊いただくようになりました」
また、31(1956)年に秩父宮妃殿下がご宿泊されて以来、皇室の方々が高知を訪れた際の常宿となり、53(1978)年には昭和天皇も高知市を訪れた際にご宿泊されている。
先代女将の真心込めたおもてなしにより、城西館は旅館としての評判を上げていった。そして、59(1984)年に建物を大きく増改築し、最大200人が一堂に会せるホール「太陽の間」が完成したことで、さらに大きく発展した。
「これにより披露宴や忘年会、新年会などの宴会事業にそれまで以上に力を入れられるようになり、宿泊客だけでなく、地元のお客さまに向けたサービスも大きく展開できるようになりました。今では、三世代にわたり城西館で披露宴をされたという方もいらっしゃるほどです」
高知を魅力化する仕掛けを
「宿泊、婚礼、宴会、そして10年前に始めた物販と、事業として大きな柱が四つできたことで、経営が安定してきました。この四本柱があることで、8月は宿泊は多いが婚礼は少ない、12月は宿泊は少ないが宴会は多いといった、季節による忙しさの変動にも、人手が少ない中でうまく対応できるようになりました。これが宿泊だけだったら、なかなか厳しかったと思います」と語る藤本さんは、先代の女将である楠子さんのひ孫に当たる。楠子さんが57(1982)年に亡くなってからは、娘の佐和子さんが、その後は孫嫁の浩美さんが女将を務めている。
「先代女将が遺した社訓である《縁を大切にする》《褒められて反省、しかられて感謝、すべて何事にも謙虚に》の教えを守り、高知県民を代表してお客さまを接客する真心のおもてなしは、城西館に脈々と受け継がれています」
近年、外国人観光客が増加しており、全国各地の観光地による競争が激しくなっている。2年後には高知空港に国際線ターミナルが完成する予定となっており、四国の他県に比べて少なかった外国人旅行客の増加が見込まれている。
「観光客を高知に呼び込むためには高知をどう魅力化・商品化するかが重要です。城西館では10年前から体験型観光の提供や物販事業を始めており、これからもいろいろな仕掛けを戦略的に行っていきたいと思っています」
伝統を大切にしながらも格式にとらわれない心を込めたサービスが、城西館の真骨頂と言えるだろう。
プロフィール
社名:株式会社城西館(じょうせいかん)
所在地:高知県高知市上町2-5-34
電話:088-875-0111
HP:https://www.jyoseikan.co.jp/
代表者:藤本正孝 代表取締役社長
創業:明治7(1874)年
従業員:230人
※月刊石垣2020年3月号に掲載された記事です。
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