前号で、日常に潜む美をすくい上げる営みは、生け花や俳句のように私たちの身の回りで長く育まれてきた、と書きました。俳句は特別な出来事を書くというより、季節の気配やその場での感覚を写実的にすくい上げる表現なのだと思います。
そうしたことを改めて考えたのは、俳人であった祖父が亡くなり、祖父の句集を読んでいた時でした。俳句は季語ごとにまとめられていましたが、同じ季語を用いた句が昭和の初期から平成にわたってさまざまな場所で詠まれていることに強くひかれました。当時GPSを使ったシステムに関心を持っていた私は、俳句にも別の並べ方があるのではないかと思いました。句を詠まれた場所ごとに並べ替えたらどうだろう。その土地を歩きながら読めば、言葉の背後にあった風景や気配を追体験できるのではないか。
