前号で、日常に潜む美をすくい上げる営みは、生け花や俳句のように私たちの身の回りで長く育まれてきた、と書きました。俳句は特別な出来事を書くというより、季節の気配やその場での感覚を写実的にすくい上げる表現なのだと思います。
そうしたことを改めて考えたのは、俳人であった祖父が亡くなり、祖父の句集を読んでいた時でした。俳句は季語ごとにまとめられていましたが、同じ季語を用いた句が昭和の初期から平成にわたってさまざまな場所で詠まれていることに強くひかれました。当時GPSを使ったシステムに関心を持っていた私は、俳句にも別の並べ方があるのではないかと思いました。句を詠まれた場所ごとに並べ替えたらどうだろう。その土地を歩きながら読めば、言葉の背後にあった風景や気配を追体験できるのではないか。
そうして生まれたのが「時空間ポエマー※1」です。携帯電話で撮影した位置情報付きの写真を地図上に配置し、街の風景を共有する試みでした。さらにプロジェクターで床に投影し、擬似的に街を歩きながら風景をたどれるようにしました。写真を位置情報で並べ直すことで、時空間を視覚的・身体的にたどり直す体験をつくろうとしたのです。投稿された写真群が地図の上に重なっていくことで、場所の見え方が変わっていきます。振り返ってみれば、それは句集の中に潜んでいた発想の芽を、テクノロジーに接ぎ木したものだったのかもしれません。
俳句は言葉で場所の見え方を変える芸術であり、技術なのだと思います。日常の風景に潜む美しさや気配に気付いた時、見慣れた場所は少し違って見え始めます。創造性とは、新しいものを足すことだけでなく、すでにある時空間の中に眠る魅力を見いだし、それを誰かと分かち合えるかたちにすることでもあるはずです。テクノロジーは、そのための道具にもなります。日常に潜む発想の芽を見つけ、それを別の場所へ接ぎ木すること。見慣れた世界を少しだけ違うものへと作り直すデザインの力は、そこから生まれるのだと思います。
※1 小学生の頃、俳句雑誌「ホトトギス」の同人であった祖父に俳句を習っていましたが、俳人や詩人というほどではないので、ポエト(詩人)ではなくポエマーぐらいです。
慶應義塾大学 中西泰人研究室 ▶︎▶︎https://unitedfield.net/

