時代が大きな転機に差し掛かったとき、あるいは人間の尊厳が脅かされそうな世界の変化を感じ取ったとき、ローマ教皇は重要な教義文書「回勅(かいちょく)」を発表してきた。全世界の司教に向けた通達だが、人類への警鐘でもある▼
歴史上重要なのは1891年に教皇レオ13世が発した「資本主義の弊害と社会主義の幻想」と題する回勅である。産業革命で先進国が繁栄する一方、資本主義がもたらす問題を解決する手段として登場した社会主義にも安易に依存すべきではないとした▼
それから百年後、これと表裏を成す回勅を教皇ヨハネ・パウロ2世が発した。社会主義体制は崩壊したものの、市場の機能も万能ではないとする「社会主義の弊害と資本主義の幻想」と題する文書である。どちらも人間が人間らしく生きられる社会をめざしたものだ▼
さて現代である。去る5月25日、人工知能(AI)が人間の尊厳に与える影響をテーマにした回勅を現教皇レオ14世が発した。技術の進歩を敵対視すべきではないとしつつ、さまざまな分野に広がる第4次産業革命としてのAI技術が人間の尊厳を脅かしているいま、人間性を守り抜かねばならないとの警鐘である▼
進歩という価値観に駆動されてきた人類は技術革新と相性がいい。相手より軍事的優位に立つために核兵器を造ったのも不可逆的な技術革新の結果である。いまAIは素晴らしき福音を人類にもたらす一方、人間による制御を失いつつある。労働のあり方を変え、社会のしくみや戦争の実相さえ急速に変えかねない。科学は法則だが、技術は人間が選び取るものであることを忘れてはなるまい。バチカンが発した意味を、私たちは深くかみしめる必要があるだろう。
(コラムニスト・宇津井輝史)