中小企業の人手不足が叫ばれて久しいが、手をこまねいているだけでは問題は解決しない。そこで、社内の構造改革、高齢者や女性の登用、他社との連携などにより人手不足という逆境を跳ね返して業績を伸ばしている、あるいは新たな分野を視野に入れている企業などを取材した。各社の取り組みは、きっとあなたの会社のヒントになる!
事例1 障害者や高齢者を正規雇用し、大手が敬遠する戦略で売上回復
クラロン(福島県福島市)
福島市にあるクラロンは、学校専門の体育着を製造・販売している。同社は、平成27年「第5回日本でいちばん大切にしたい会社」大賞で同年より創設された厚生労働大臣賞に選ばれ、一躍全国に名が知られるようになる。授賞理由にもなった人材獲得と育成には、創業者の「経営理念」があった。
34年五輪開催決定を機に学校体育着専門メーカーへ
「もちろん毎朝社員と同じように出勤しています。私は何よりも会社に来て、社員の顔を見ることが大好きなんです」と話すクラロン取締役会長の田中須美子さんは、なんと御年91歳。田中さんは、故田中善六さんと二人三脚で昭和31年クラロンを創立し、しばらくは、綿メリヤスと呼ばれる肌着の製造を行っていた。平成14年に氏が亡くなると二代目社長を継ぐ。そして2年前、現社長に会社経営は委ねたが、今なお〝現役〟として社内外へ目を配っている。
「今では、福島駅から近いこの辺りも人が増えてにぎやかな住宅地になりましたが、当時は吉井田村と呼ばれる畑と田んぼが広がる農村地帯でした。一面農地が広がるこの場所に先代社長が肌着の縫製工場をつくり、近所の農家の奥さんが農閑期に働きに来ていました」
昔から福島市周辺は、メリヤスや肌着の製造が盛んな地域である。後発の同社にとって、肌着の製造だけでは先行きに不安があった。新たな策を探していた先代が飛びついたのは、昭和34年東京五輪開催決定だったという。
「先代社長が『これからはスポーツが盛んになる。子どもも増えるし、学校がなくなることはない』と、肌着の製造から学校専門の体育着の製造・販売へ切り替えたのです。当社のオリジナル・サンプルを作り、東北の学校へ営業に行きました」と、田中さんは当時を振り返る。昭和30年代は戦後のベビーブームで、全国的に子どもの数が爆発的に増加し、福島県内でも新設校が次々とできていた。
同社の体育着は、学校ごとの要望に沿ってデザインや色を変え、学校名や個人の名入れまで、数の多少にかかわらず全てオーダーメードで対応することで、着実に売り上げを伸ばしていった。今や取引先は、青森県を除く東北から北関東、新潟の学校まで広がっている。最盛期の昭和50年代には年間100万着、少子化が叫ばれている現在でも年間50万着を製造・販売している。
障害、性別の隔てなく雇用し、非正規社員ゼロ
創業以来、「みんなが望む健康、みんなに優しいスポーツウエア」というクラロンの経営理念には、創業社長の思いが詰まっているという。
「東京オリンピックが決まって健康への関心が大いに高まっている時代でしたし、子どもさんもたくさん生まれた時代です。高い体育着では、親御さんが子どもさんに買ってあげることはできないし、すぐ破れてしまうものもだめです。みんなが着られるように、安くて丈夫な体育着でなければというのが、先代社長の考えでした」
こうした製品に対する初代の考え方は、社員を大切にする姿勢にもつながっているという。「当社は、縫製工場ですから創業時から農家の女性が多く、農業が忙しい時期は会社を休む社員がたくさんいたのですが、先代社長はけっして解雇することはありませんでした。今でも子育てや実家の仕事が忙しければ、自由に休めますよ。また、先代社長の方針もあり、障害者も創業時から雇用しています」
現在、同社の社員数は134人、うち女性は100人。障害者は36人(うち重度11人)で、障害者の法定雇用率2%に対して35・1%という高さである。しかも驚くべきことに、障害者であっても全員が正社員。給料も他の社員とほぼ同等で、作業も健常者と同じ作業場で一緒に進め、一切分け隔てをしない。まさに社員が大きな家族のように一丸となることで、同社は業績を伸ばしてきたのだ。
「障害があろうがなかろうが、みんな私の子どもみたいなものです。障害があっても40年以上勤務している社員もいるし、一家の家計を担っている者もいます。たとえ障害があっても時間をかけて仕事を教えれば、仕事を覚えて一人前になります。親御さんが見学に来て、子どもの働く姿を見て、うれし涙を流すこともあります。そんな姿を見ると私もうれしくて、もっと頑張ろうと思ってしまいます」
さらに驚くことがある。勤続51年、今年80歳になる最高齢の女性営業課長の小手森タンさんは、現在も営業部門の陣頭指揮を執っている。同社の定年は60歳だが、その後は1年ずつ更新でき、しかもパートや嘱託ではなく、正社員として雇用される。同社の従業員の平均年齢は45歳、60歳以上の社員が20人も勤務している。「なんといっても高齢者には経験がありますし、年齢を重ねたことで、人格も穏やかになり社員の見本になってくれています。私は、いたいだけいていいし、死ぬまでいてもいいと言っています。高齢者であっても、やる気があれば中途採用もしますよ」
こうした同社の、社員を大切にする経営姿勢が冒頭で紹介した「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の受賞につながったことは、言うまでもない。
創業以来、右肩上がりに業績を伸ばしてきたクラロンだったが、平成に入ると、全国的な少子化や安い輸入品の増加などにより、業績に陰りが見えてくる。さらに、平成23年3月に起きた東日本大震災と原発事故が追い討ちをかけた。全国の避難者数は2月時点で23万人、原発事故が起きた福島県では12万人に上り、うち4万7000人が県外への避難を余儀なくされている。学童用の体育着をメーン商品とする同社でさえも、原発事故後の風評で、大きな影響を受けた。
「震災後は、本当に大変でした。子どもさんが着るものですから福島製というだけで学校側から拒否されたり、『絶対安全という証明書を出してほしい』と言われました。そこで、県内にある国の放射能の検査機関に依頼して証明書を発行してもらって、ようやく納得してもらいました」と田中さんは震災後の苦労を話す。この証明書の要望は、震災後3年間続いたが、昨年からやっと証明書なしでも納入できるようになったという。
新たな分野への開拓と人材獲得目指す
次々と試練が襲ってきても、同社は工場の稼働を止めることも、解雇者を出すこともなかった。
実は、10年ほど前から学校の体育着以外にも、官庁や警察、企業のTシャツ、さらに病院や介護施設の制服や作業服など新たな分野の製造・販売にも進出していたのだ。同社製品の生地の素材はクラボウ、クラレ、東レ、カワボウなどから仕入れている。そうした生地を使い、体育着の縫製で培った技術を生かした製品は、安価で丈夫、伸縮性にも富み、速乾性にも優れていると、新たな取引先にも高い評価を受けているという。
「もちろん体育着が当社のメーン商品です。しかし、常に時代とお客さまの要望を聞いて、新たな商品を開発していかなければいけません。それに当社は福島の会社ですから〝地産地消〟してもらえるように、学校の体育着以外にも、県内の役所やさまざまな施設の皆さまにも愛用してもらえるウエアを開発していきたいと考えています。そのためには、全ての社員が経営者の目を持って、次の商品を見つけてほしいと思っています。そういう意味でも今一番欲しい人材は、営業ができる人です」と、田中さんは新たな分野の開拓へ向けて、人材の獲得にも意欲を示す。
経営環境は厳しいが、大手が敬遠する顧客の細かな要望に対応する「多品種小ロット」という戦略に徹する同社の業績は、少しずつ回復してきている。「先代社長が『学校はなくならない』と言ったことは間違いない。少子化は進みますが、学校がなくなることはありません。1学年10人に満たない学校からの受注でも、肥満児用の規格外のサイズにも細かく対応できるのが、当社の特徴です。他社にまねのできない強みをさらに磨いて、これからも社員の働く場を守っていきたい」
今年、創業60周年を迎えるクラロン。田中さんらの経営努力に応えるように、障害者、女性、高齢者であろうと、従業員全員が大きな家族として団結している限り、今後もその基盤が揺らぐことはないだろう。
会社データ
社名:株式会社クラロン
住所:福島市八木田字並柳58
電話:024-546-0135
代表者:氏川守義 代表取締役社長
従業員:134人(非正規雇用0人)
※月刊石垣2016年6月号に掲載された記事です。
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