古き良き時代の面影が残るまち
上田市は、長野県東部に位置し、北は菅平高原、南は美ヶ原高原に囲まれた都市。晴天率が高く、年平均降水量は約900㎜と全国でも有数の少雨乾燥地帯でもある。現在の人口は、15万6000人。平成18年に周辺町村と合併した、東信地域の中核都市である。
「市の中央部を千曲川が貫流しており、右岸の旧市街地は、真田氏により、天正11(1583)年に築城された上田城の城下町。左岸の塩田平(上田市の西南部に広がる地域)は、鎌倉時代に塩田北条氏が信濃の一大勢力としてこの地方を統治したことから〝信州の鎌倉〟とも呼ばれ、鎌倉時代から室町時代にかけて建造された神社仏閣などがいまなお残っている地域です。安楽寺の国宝八角三重塔をはじめ重要文化財が数多く点在しています。また、信州最古の温泉といわれる別所温泉もあり、池波正太郎先生の『真田太平記』では、若き日の真田幸村が入浴に訪れるなど、重要な場面にしばしば登場しました」と上田市の歴史を熱く語ってくれるのは上田商工会議所の栁澤憲一郎会頭。さらに「上田市は、真田三代(幸隆・昌幸・信幸(信之)と信繁(幸村)兄弟)にゆかりの地ですが、実際に統治したのは40年ほどで、元和8(1622)年に信之が松代に移封された後は、仙石氏が80年、松平氏が160年統治して幕末を迎えました。江戸時代の上田は、北国街道により物資が集積する城下町であり、また宿場町としても栄えました。柳町の古いまち並みはその名残りです」(栁澤会頭)。
その上田市は、現在(2016年)NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台となったことをきっかけに、今年最もアツイ都市の一つである。
〝六文銭〟がまちのシンボル
北陸新幹線の東京・金沢間のほぼ中間に位置し、両都市から約75分で到着する距離にある上田市。今、全国から老若男女問わず大勢の観光客が訪れている。目当てはもちろん〝真田三代〟の歴史に思いを馳せるためだ。
上田駅をお城口方面に出ると真田家の家紋である〝六文銭〟が入った幟(のぼり)を携えた真田幸村の騎馬像が出迎えてくれる。
〝六文銭〟は、家紋としての名称で、もともとは仏教の世界で言う六道銭のこと。六道銭とは、三途の川の渡し賃、つまり通行料とされ、死者を葬るときに遺体と一緒に埋めるものである。真田氏は家紋に六文銭を用いることで、戦(いくさ)などに対して、死をもいとわない不惜身命(ふしゃくしんみょう)の決意で臨んでいることを示していたといわれており、真田三代の初代・幸隆が旗印として採用したことが始まりらしい。
市内の飲食店や土産物店などでは、この〝六文銭〟をあしらって開発された商品・製品がところ狭しと並び販売されている。名物の信州上田そばが入った黒塗りのお椀を六文銭のように並べた御膳、饅頭やせんべいなどを6つ並べひとつの箱にまとめた菓子セット、六文銭が印字されたTシャツや手鏡、文具類、さらに六文銭が刻印された松代焼の湯呑みなど、その関連商品・製品の数は、ゆうに150を超える。これらを取りまとめて紹介しているのが、上田商工会議所が関係機関の協力を得て、企画・編集した「真田関連商品大集合」という冊子(カタログ)である。信州上田公式ガイドブックにもなっており、お土産選びに役立つ一冊である。
〝真田氏〟をキーワードに老若男女が行き交うまちへ
上田駅から上田城跡公園までの通りやまちなかの商店街などを散策すると、明治時代末期から大正時代初期にかけて立川(たつかわ)文庫で広く知られるようになった猿飛佐助をはじめとした「真田十勇士」のキャラクターのモニュメントにあちこちで出会える。幼いころ同文庫を読んだ人やテレビの人形劇を見た人は昔の友に再会したような気分が味わえるのではないだろうか。
また、まちなかですれ違う観光客の年齢層は幅広く、年配の方はもちろんのこと、最近では、10代から20代と思われる若者が男女問わず多い。若い彼らの目的は、大河ドラマをきっかけとした上田観光というわけではなく、戦国時代を舞台とした歴史関連アクションゲームの主人公の一人である真田幸村ゆかりの地としての上田観光で、一部の熱烈なファンにとっては〝聖地〟となっているらしい。
こうしたことから本年3月には、上田城跡公園から中心商店街への来街者の回遊を促進する目的で、子どもから大人までもが楽しめるコミュニティ施設として、上田商工会議所が運営主体となっている「真田十勇士ガーデンプレイス」がオープンした。
通りから少し奥まった施設の入り口には、六文銭の幟が誘(いざな)う。施設には、真田十勇士のパネル展示がなされているほか、最新の真田関連歴史ゲームの体験コーナーや上田商工会議所女性会のメンバーがナレーションを務める上田城の歴史を紹介するアニメーションなどが楽しめるミニシアターもある。さらに売店では真田関連グッズの販売も行われている。屋外には、手裏剣投げが楽しめる忍者体験スペースがあるほか、収容人員が約300人の全天候型のイベント広場も設置されており、オープン時のイベントには、300人以上の来場者が訪れ、立ち見がでるほど盛況だったとのこと。
「今後、真田十勇士ガーデンプレイスでは、真田の歴史を学ぶ講座やゆかりの方々を招いての歴史トークライブ、ゲームで人気の声優さんをゲストに迎えたトークショーなど戦国エンタメ系イベントを順次開催する予定です。また、従来から実施している地元のイベントとも連携して、相互の集客増加と本施設への誘客も図ります」と語る栁澤会頭。上田に観光に訪れた老若男女をうまく取り込み・融合させる観光への取り組みがすでに始まっている。
「蚕都・上田」が商工会議所創立の原点
〝真田氏〟がキーワードとなっている上田市であるが、明治から昭和初期にかけて、日本の近代化の礎を築いた蚕糸業で栄え、「蚕都・上田」と呼ばれていたことをご存じだろうか。その歴史には、真田氏と江戸時代中期から藩主を務めた松平氏が関わっている。
まずは真田氏。上田城築城の後、領内の産業振興に力を注ぎ、特に養蚕と紬織を奨励したことで、「蚕都・上田」のきっかけを作った。
江戸時代後期になると時の上田藩主松平忠固(ただかた・江戸幕府の老中を2回にわたり務めた人物)は、藩の産物を外国に売ることで藩財政を立て直そうと考え、安政4(1857)年には、産物会所(特産品を専売する機関)を上田と江戸に設置。上田藩の特産品である生糸を江戸へ出荷する体制を作り上げ、生糸輸出の準備をさせた。安政6(1859)年6月には、開港間もない横浜から日本初の生糸の輸出を開始。以後、上田の生糸は「上田糸」「依田糸」としてイギリス、イタリア、フランスなどのヨーロッパをはじめアメリカにも輸出された。
明治政府の殖産興業政策とも相まって、昭和初期まで生糸が日本最大の輸出品として日本経済を支えたことを考えると、生糸輸出を始めた忠固の先見性は、確かなものであり、「蚕都・上田」を築いた重要人物の一人である。
「蚕糸業の発展が背景となって明治時代中期のこのあたり(現在の上田市を含む小県(ちいさがた)郡内)には、国立銀行条例に基づく国立銀行のほか、類似銀行会社が83社存在し、長野県内の76%を占めていました。さらに隣の南佐久郡の9社を加えると、長野県における東信地区の占有率は約85%となります。
こうした中、上田商工会議所は、長野県最初の商工会議所として明治29年5月28日に創立。今年で120周年を迎えます。実は私の高祖父(5代前)は、創立当時の上田商工会議所で常設委員という役員を務めており、歴代役員議員一覧表に名前が記載されていました」(栁澤会頭)。
「私の実家の倉庫には、当時の上田商工会議所の資料が残っており、その中身をみると、現在の商工会議所でも実施しているような、例えば、〝商品ディスプレイの仕方〟という講習会の記録がありました。企業の発展と地域振興が使命である商工会議所の役割は、今も昔も普遍ですね」(栁澤会頭)。
「学園都市・上田」の実現で地方創生を目指す
人口15万6000人の都市である上田市には、現在、大学が2校、短期大学が1校、短期工科大学校が1校ある。この中の1校である信州大学繊維学部は、国内唯一の繊維学部であり、その歴史は、明治43(1910)年に創立した上田蚕糸専門学校まで遡る。
この専門学校の講堂は、現在も繊維学部の講堂として利用されており、その趣ある佇まいから映画やテレビなどのロケ地となることが多く、映画「ゼロの焦点」(2009年)や「ラストゲーム最後の早慶戦」(2008年)でも見ることができる。
さて、繊維学部の本業は、上田蚕糸専門学校以来の〝繊維技術〟を背景にした、建築材料や電子材料、機械材料などの開発である。近年では、多くの産業資材に開発した材料が使われ、その用途は拡大している。そして、旧来の〝繊維工学〟から新時代の〝ファイバー工学〟へと転換が進んでおり、その注目度・期待度は高い。
このように最先端技術を有する大学で技術開発や人材育成を行っている一方で、長野県には、薬学系の大学・学部がないことから、薬学系大学の上田市誘致の動きが進んでいる。
「この誘致が実現すれば、県内の薬学系人材の育成を地元で行うことができるようになります。また、市内に5つの大学キャンパスを有することになるので、まちのにぎわい創出にもつながります。こうした点からも、上田商工会議所では、5つの大学を核にした『学園都市・上田』を、ぜひ実現したいと考えています。そして、上田で勉強した学生には、卒業後も上田を含む周辺地域に残ってもらい、さらに将来的には結婚して家庭を築いてもらえるとありがたいですね。そのためにも、生活の基盤となる就職先を地元でしっかり提供できるように地域経済を盛り上げていきたいと思います。こうした取り組みが将来的に実を結び、地方創生につながっていけば、これほどうれしいことはありません」と語る栁澤会頭。
どうしても〝真田氏〟ばかりが注目されてしまいがちであるが、それを強みとして人を呼び込み、さらにいろいろな歴史をたどってきたからこそ、もたらされるまちの魅力により、一歩先を見据えたまちづくり・ひとづくりを行う上田市。今後どのように発展していくか注視すべき都市(まち)の一つである。
最新号を紙面で読める!