運動会などで活躍した拡声器、子どものおもちゃ、マッチや畳など、一時は暮らしや娯楽に欠かせなかった商品を扱う企業も、今や廃業の危機……。いやいや、培ってきた技術と時代に合わせた発想で“レトロ商品”をアップグレードして、新たな販路を切り開くことは可能だろう。老舗の誇りを賭けたものづくり企業の生き残り戦略に注目だ。
「畳は四角」という固定観念覆す自由なアートとデザインの力
岐阜県羽島市にある山田一畳店は、150年以上の歴史を紡いできた老舗畳店である。同店の五代目代表は、「畳は四角」という固定観念を覆し、幾何学模様の畳や、畳をパズルのように組み合わせたアート作品を生み出した。それらの作品は、メディアやSNSで広がり、全国の一般住宅や老舗旅館などから制作依頼があり、名古屋や京都で個展を開くなど、多方面から注目を集めている。
無気力な帰郷が偶然の転機 「デザイン畳」の誕生
山田一畳店は、1869年創業の老舗畳店で、代表者の山田憲司さんは五代目である。
1983年生まれの山田さんは、畳文化が衰退し、住宅が洋風化していく時代を見て育った。「畳は古臭いもの」というイメージがあり、家業を継ぐ気はなかった。大学卒業後、東京で建築関係の仕事をしていたが、2017年に故郷である羽島市に戻ってきた。
「戻ってきてからしばらくは、仕事もせずにダラダラしていました。畳屋をやるなんて、当時は全く思っていませんでした」と山田さんは振り返る。そんな彼に転機が訪れたのは、友人からの何げない頼み事だった。ワンボックスカーに乗っていた友人が「暇そうだから、この荷台に畳を敷いてくれよ」と声をかけてきた。それまで本格的に畳をつくった経験はなかったが、山田さんは「やってみるか」と腰を上げた。
車の荷台には、タイヤ用の出っ張りがあり、複雑な曲線や変形した形が求められた。試行錯誤しながらも、曲線をくり抜いた畳を完成させたとき、山田さんの中に衝撃が走った。「畳で曲線ができるんだ」という発見。そして、建築の世界でデザインに触れ、イタリアやフランスの展示会を見てきた彼にとって、畳という素材の可能性が開かれた瞬間だった。
それまで、畳は「四角形」であるという常識が深くこびりついていたが、ワンボックスカーの変形畳をきっかけに、山田さんは畳を「床を構成するパーツ」ではなく、「表現のキャンバス」として捉え直した。当初、彼はデザインとプロデュースを担当し、制作は職人に任せようと考えていた。しかし、先代である父親からは「こんなのつくれるわけがない」、「受ける仕事じゃない」と一蹴される。
「誰もやってくれないなら、自分でやるしかない」。技術はゼロからのスタートだった。本を読み、独学で畳づくりを学び始めた。従来の畳は機械で縫い合わせるが、鋭角や曲線は機械では処理できない。そのため、全ての工程を手作業で行う必要があり、手間も時間もかかった。
山田さんが開発したのは、幾何学模様や自由曲線を組み合わせた「デザイン畳」である。単に形が珍しいだけではない。畳の向きや、い草の加工角度を変化させることで、光の反射による濃淡を表現し、単一の素材で、豊かなグラデーションを生み出す。この新規性が評価され、18年には岐阜県産業経済振興センターの事業可能性評価でA判定を取得した。
戦略的プレスリリースと「龍の畳」による突破口
「デザイン畳」をビジネスとして軌道に乗せるため、山田さんは泥くさい営業活動もいとわなかった。18年からは、全国の建築関連会社に向けて1日30件、年間で1万件、3年間で計3万件もの営業メールを送った。「これだけの技術があれば、営業すれば売れるはずだ」という確信があった。その営業のおかげで、大きな仕事を数件、受注することができた。
さらなる飛躍のきっかけとなったのは、19年に羽島商工会議所が主催した「新商品・新サービス等合同記者発表会」への参加だった。この発表会に向けて、事前に専門家によるセミナーが開かれた。山田さんはこのセミナーで「取材者目線に立った商品開発」という考えを学び、「映像的に映えるもの」「一目ですごさが伝わるもの」として、戦略的な作品を考案する。それが、8畳間の和室用に制作された「龍の畳」である。これは、約200枚もの細かな畳のパーツを組み合わせ、龍の鱗(うろこ)、歯、髭(ひげ)に至るまでを精緻に表現した圧巻の作品だ。
