宮城県を中心に約50店舗を展開しているお茶の井ヶ田。仙台銘菓「喜久福」でも知られる、和洋スイーツの物販店「喜久水庵」を軸に手掛ける老舗茶舗だ。2012年に四代目で代表取締役に就任した井ヶ田健一さんは、30年に売上高100億円達成を宣言。革新的な経営者マインドが脈々と受け継がれている。
「飲む」から「食べる」新しいお茶文化を創造
JR仙台駅に降り立つと、探さなくてもお茶の井ヶ田の和洋菓子ブランド「喜久水庵」の看板が目に飛び込んでくる。同社は1920年創業の仙台を代表する老舗企業だが、創業者は埼玉県出身だ。同県入間市の茶舗・繁田園の分店として、縁もゆかりもない仙台に根をおろした。
「繁田園と商圏がかぶらず、お茶文化と将来性のある地として、仙台を選んだと聞いています」
その予想が的中し、店は繁盛したと語るのは四代目で代表取締役の井ヶ田健一さん。だが、同社の歴史は激動だ。45年の仙台大空襲で建屋は1軒のみを残して全焼。お茶の卸小売業で一から事業を立て直した。井ヶ田茶舗、井ヶ田製茶と社名を変え、77年に販売会社として分離・設立したのがお茶の井ヶ田だ。
同社は品質の高さで実績を上げていくが、高度経済成長以降ソフトドリンクの多品種化やペットボトル飲料が普及。「83年に入社し、三代目になった父の代はまさに斜陽でした。そんな状況を打開すべく、父は全国の茶屋などの店舗を視察し、ある商品に目を付けます。それが抹茶アイスでした」。
抹茶は直射日光や湿気に弱く、酸化しやすい。その難しい特性を大切に、品質重視の商品開発に乗り出した。幅広い客層に支持されるように、抹茶の苦みや甘み、風味のバランスを約半年かけて調整し、さらに1年かけて商品化した。そして、93年に抹茶ソフトクリームを発売すると、約1カ月で開発費を回収できるほど当たり、店先には連日長蛇の列ができた。
「井ヶ田」のバトンを受け 自らの意思で家業を選択
96年、当時は珍しかった飲食もできる郊外型大型店「喜久水庵」をオープンし、その2年後に発売した喜久福が看板商品となる。
「喜久福も全国を視察して、三重包餡(ほうあん)の商品に着想を得て開発したそうです。抹茶ソフトも喜久福も地元の口コミで広がり、冷凍保存できる喜久福は、贈答用にも選ばれて県外の方にも広く知ってもらえるようになりました。その後、喜久水庵は約15年で50店舗規模に拡大していきます」
当時高校生だった井ヶ田さんは、家業を継ぐことを期待されて育ったわけではないという。しかし、三代目の父は娘婿で姓は「今野」である。創業家の苗字存続のため、井ヶ田さんは戸籍上、曾祖父の養子になり、「井ヶ田」姓になったという。
親子で苗字が違っても関係は良好で、子どもの頃、毎年GWにお茶の仕入れを兼ねて家族旅行に出掛けた楽しい思い出が、家業に対する好感度に直結したと振り返る。その思いから、事業承継を念頭に、大学は慶應義塾大学商学部を選んだ。卒業後は「雇用される立場の経験が大事」と、異業種であるダスキンに入社。従業員の労働環境とメンタルケア、多角経営の重要性を学んだという。
