石巻市には、〝米と魚で元気な日本〟をキャッチコピーにした特定第三種漁港の一つ、石巻港があります。石巻は、〝ホーキとチリトリ〟さえあれば暮らしていけると言われるほどまでに住み心地の良い地域だったのです。あの大津波さえなければ……。2011年3月11日に発生した東日本大震災の震源に最も近かったまち、それが石巻です。まちは大きな損害を受け、一瞬の判断が生死を分けました。
しかし、石巻は全国の皆さまからの励ましを支えに、官民一体となり復興に向かって進んでいます。物は破壊されてしまいましたが、心が壊れることは決してありません。私も商工会議所のリーダーとして、〝復興をライフワーク〟と決めて活動していく覚悟です。
私は、1941年12月に石巻で生まれ、高校からは東京に出ました。卒業後は、ダイキン工業に2年間ほどお世話になり、66年に石巻へ帰り、家業を継ぎました。
故郷に帰って仕事をしようと思った大きなきっかけは、私の恩師である慶應義塾大学の飯田鼎教授の言葉です。それは、「地方から志を立てて上京して勉強している諸君は、卒業したら地元に帰り地域の発展のために尽くすことが使命だ」というものです。
現在、当社は東北六県を中心にヤンマーの特約店として、漁船のエンジン・陸上の予備電源装置の販売・メンテナンスを営んでいます。経営のポイントはヒト・モノ・カネ・情報と言われていますが、その中で私が最も力を入れているのはヒトです。目標は、会社でも、家庭でも、社会でも「存在感のある人」を育てること。また、会社の目標も市場から必要とされる、存在感のある会社になることです。
わが故郷、石巻の復興は未だ道半ば。これからが正念場です。この闘いに臨むには、折れない心が要ります。スポーツは、その心を奮い立たせる有効な手段の一つです。例えば、子どもから大人まで、底辺の大きなスポーツである野球では、県立石巻工業高校や、日本製紙石巻硬式野球部が活躍し、石巻に大きな力を与えてくれました。
今、2020年の東京五輪の聖火リレーを、石巻から出発させる運動をしています。1964年東京五輪ときのテーマは「戦後の復興」と「平和」。今度は大災害から復興する日本の姿を、世界に発信する大会です。「聖火リレーは石巻から」の運動を、ぜひ応援していただきますようお願いいたします。
最新号を紙面で読める!