阿部幸製菓
新潟県小千谷市
家族経営の精米業から株式会社化し米菓一本に
米(コシヒカリ)が収穫され、日本有数の穀倉地帯として知られる越後平野。その南端に位置する小千谷市で明治32(1899)年に創業した阿部幸製菓は、当時、市内中心部を縦断する信濃川の水を利用した水車で精米業を営んでいた。
今では業務用の「柿の種」のシェアナンバーワンを誇る阿部幸製菓だが、「そのころは餅をついて切り餅にし、天日干しをするという程度の商いを家族だけでやっていたと聞いています」と三代目の阿部俊幸さんは語る。
「精米業から、どういう経緯で米菓の製造を本業にするようになったのか、記録が残っていないのではっきりとは分かりませんが、新潟県自体が米どころということもあり、米菓づくりが盛んでした。今でも日本の米菓の約6割はここ新潟県でつくられています。二代目の俊司が戦争から復員して再スタートしたのが、当社の実質的な創業です」
昭和39年に株式会社化すると、42年に柿の実を開発。人気を呼び、大ヒットした。
44〜45年ごろは、米菓だけでなくポテトチップスの製造も手掛けていた。当時、国内でポテトチップスを製造していたのは5社ほどしかなかったそうだ。
「珍しさも手伝って、ポテトチップスは売れたそうです。でも、ほどなくやめました。ジャガイモは季節の作物で、貯蔵する施設が必要ですし、収穫量など市場の動向次第で価格が大きく変動します。これは商売としては難しいというのが理由でした。そこで、原点に立ち返ろう、専門の米菓一本でいこうとなったのです」
新しい材料を使いソフトな柿の種を開発
大きな転機が訪れたのは、新しい原料との出合いだった。県の食品研究所から、日本のもち米と同じ成分のものがアメリカのもち米コーンにあると紹介され、そこに俊司さんが目を付けたのだ。
「米は年々値段が上がっていたし、コーンを使えば非常にソフトな物が出来上がる。つまり米菓のスナック化が実現できます。これからはソフトな菓子が求められる、そう考えたんでしょう。その原料を使って何をやろうかと考え、行き着いたのが柿の種です」
データも後押しした。米菓は、ある年は塩味のあられが売れたり、別の年はのり巻きが売れたりと、年によって売れ行きが違っていた。ところが、柿の種だけは安定している。また、コーンを使うことでソフトな柿の種ができれば、スナック感覚で売れるはずだと考えたのだ。
コーンを材料に使うという技術では苦労したものの、なんとかクリアし、柿の種を開発。46年に販売を開始した。しかし、販路を容易に確保できたわけではなかった。既に大手が数社いる中で競争は厳しく、包装技術が進み小分けで販売する時代に突入していたのだ。そこで、販売ルートを業務用に切り替えた。
「一人当たりの売り上げを大手の3倍に高めれば、うちみたいな小さいところでも競争に勝てる、という考えが先代の俊司にあったんです。そのためには、包装に人手を掛けられないとなったわけです。まだ機械化がそれほど進んでいなくて、包装も手作業の部分が多い時代でしたから。一斗缶に柿の種を6㎏、一度に詰めて出荷する。そうすれば包装部門の人員を削減できることが分かり、手間の掛からない業務用に特化したのです」
俊司さんは、「稼業の規模が小さければ小さいほど、独自の特色を持たなければいけない」と常に口にしていたという。その教えは、今も受け継がれているのだと俊幸さんは話す。
商材としての魅力をPRし販路を拡大
販売先としてターゲットにしたのは豆屋だった。柿の種はピーナッツと相性がいい。そこで、ピーナッツを扱う豆屋に売り込んだのだ。
「最初は『なぜ自分たちが柿の種を仕入れて売らなきゃいけないんだ』と抵抗されましたが、コストが下がり、食感もソフトで品質もいいということが認識されると、儲かる商材として魅力にあふれていることが次第に広まったんです。業務用の柿の種で会社の基盤が築けたことで、それを核にしたさまざまな商品を積極的に開発するようになりました」
こうして企業としての核となる製品ができ、それを中心に会社を発展させていった。一方で、業務用に特化するということは、OEMやプライベートブランドの商品が中心になる。
「『阿部幸製菓』の名前が表に出ないというジレンマもありました」(俊幸さん)
製品の実力で勝負しようと海外に進出
そこで、俊幸さんは63年に社長に就任すると、本格的な海外進出を目指す。
「国内でのブランド力は何の役にも立たない海外で、商品自体の実力で勝負しようと考えたのです。欧米への輸出は昭和56年に始めていましたが、中国にも合弁会社を設立し、高品質な柿の種を製造することで欧米市場から世界市場への販路拡大を目指しています」
国内でも事業を拡大し、鏡餅の製造・販売や、総菜店5店と定食屋1店を展開。目まぐるしく変化し、さまざまなニーズが多様化する食品業界で、数多くの商品開発や新規事業への挑戦を経て、現在の経営展開に至っている。
「日本の代表的な食文化の一つとして、当社の商品を世界中の人に一度は食べてみてほしいですね」と俊幸さん。阿部幸製菓は、「世界中の人々に、私たちの食品を通じて笑顔の輪を広げて行きたい」という経営理念の下、開発型の企業を目指し、これからも挑戦を続けていく。
プロフィール
社名:阿部幸製菓 株式会社
所在地:新潟県小千谷市上ノ山4-8-16
電話:0258-83-3210
代表者:阿部俊幸 代表取締役社長(三代目)
創業:明治32(1899)年
従業員:270人
※月刊石垣2014年5月号に掲載された記事です。
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