2011年3月11日から早くも5年が経過した。多くの被災地では徐々に復旧が進んでいる一方で福島県は、原発事故の影響もあり、未だに厳しい状況に置かれている。今号は、本格復興に向け、山積みする課題の解決に挑戦する被災地の取り組みを紹介する。
事例1 これまでの5年以上にこれからの5年が重要になってくる
福島商工会議所(福島県福島市)
政府による5年間の集中復興期間が今年3月で終わり、被災地は復興・創生に向け、新たなステージへと進もうとしている。未曾有の被害に遭った福島県は、これまでの5年間をどのように歩んできたのか、そして、そこで見えてきたこれからの課題と戦略は何なのか。福島県商工会議所連合会の渡邊博美会長に話を聞いた。
5年が区切りというよりまだ道半ばというのが実感
──これまでの5年間を振り返って、福島県の復興状況について、どのように感じていますか。
渡邊 今までに経験したことのない、慌ただしくも課題の多い5年間でした。大地震、津波、原発事故。何もかもが初めての経験でしたが、特に原子力災害によるその後の影響は、私たちが思っていた以上に厳しいものがありました。
それまで私たちも、21年前の阪神淡路大震災の破壊的な地震の影響とその後の復興を目の当たりにしてきましたので、今回の震災でも、時間がたてばかなり復興が進むのではないか、5年頑張れば復興の土台ができるのではないかという期待感がありました。しかし実際には、原子力災害については今なお大きな影響が残り、5年が区切りというより、まだまだ道半ばというのが実感です。
──今なお続く原子力災害の影響について、具体的にはどのようなものが挙げられますか。
渡邊 原子力災害による避難指示区域があるため、今でも故郷を離れている人が10万人も福島にはいる。しかも、そのうちの4万人強は県外にいます。昨年行われた国勢調査では、福島県全体では人口が約11万人減り、双葉町や浪江町など4町は、人口がゼロなんです。5年たった今でもその現実を見せられると、地域のコミュニティが破壊されたままで、復興はまだまだだという印象です。
もう一つは風評被害。除染作業が進み、空間線量は全国的なレベルと変わらない場所がほとんどなのですが、それでも福島という名前だけで、農作物や生産物がなかなか売れない。観光地の集客数もまだ回復していません。
また、除染で取り除いた土や廃棄物を一時的に保管する中間貯蔵施設の建設もなかなか進んでいません。原発の廃炉作業もあと35年はかかるといわれています。でも、そういった中で、復興に対する意欲が萎えないようにすることが重要ですし、福島全体で風評被害に立ち向かっていかなければなりません。また、自ら情報発信を続けていき、みんなから忘れられてしまう〝風化〟も防ぐ必要があります。
──風評被害については、日本よりも海外からの目のほうが厳しいということはありませんか。
渡邊 実は福島県内で起こる風評被害もかなりあるのです。例えば学校給食で、いくら基準値以下でも、福島産食品は自分の子どもには一切ダメだという意見が父兄の中から出てくることがあるのです。
たとえ、それがたった1人の意見であったとしても、後で何かあったらどうするのかと言われると、学校側も地元の素材を避けざるを得ないのです。今は徐々に解消されていますが、福島でさえこうだったわけですから、他の地域、特に外国の方の拒否反応が強かったのは無理もないことです。
──このように厳しい状況の中、被災地域や地元企業を盛り上げていくためにこれまでどのような支援や取り組みが行われてきたのでしょうか。
渡邊 もう同情してもらう時期ではありません。いかにして自立していくかが重要です。そのためには、今まで地元を支えてきた産業をどのようにして再生させるかが、私たち商工業者にとって一番重要なのです。例えば原子力災害の被害が大きかった浜通り地区(福島県の太平洋沿岸側)では、官民合同による具体的な自立支援策が昨年できました。これについては地元の商工会議所が窓口になり、中小企業の再建や自立のための支援に取り組んでいるところです。
また復興庁が行っている「結の場」では、大企業と被災した地域の中小企業とを技術、情報、販路の面で結び付ける場をつくっていただいています。日本商工会議所の協力でやっているビジネスマッチングや「遊休機械無償マッチング支援プロジェクト」でも、さまざまな効果が上がっています。震災前にはなかったことを新しい手法として取り組むようになったのはいいことだと思います。
そして一番ありがたいのは、日商の三村明夫会頭が何度も福島に来られて、日商が毎年出す基本方針でも福島の再生を優先的に取り上げるなど、さまざまなサポートをしてくれていることです。先日は青森から茨城まで被災した地域の商工会議所の会頭と三村会頭が意見交換をして、それぞれの意見を三村会頭から国に提言していただきました。地方単独ではなかなかそこまでできないので、とても心強く感じています。
──震災後に新たな産業も生まれつつあるとうかがいましたが、それはどのようなものですか。
渡邊 新しい産業の開発として、国や県が主体となって取り組んでいる国際研究産業都市構想(イノベーション・コースト)というものがあります。これは国際廃炉研究開発拠点、ロボット開発・実証拠点、国際産学連携拠点を設置し、新しい産業を起こすためのさまざまな開発支援を行っていくというものです。ここでは新たなエネルギー産業プロジェクトや農林水産業プロジェクトも進行中です。
また、放射線医学の研究拠点もまもなく福島県立医科大学に設置されます。震災のダメージから復興するためのシンボル的な産業の立ち上げは始まっているのです。
交通インフラでは、福島県北東部の相馬市から福島市を通って山形県米沢市までを結ぶ東北中央自動車道の一部区間が、来年開通します。これは震災の際、一般道が遮断され、高速道路がなかったために物資が被災地に届かなかったという反省から建設されているもので、無料の高速道路となります。
全線開通すれば、これまで福島市から米沢市まで約1時間30分かかったのが、20分くらいで行けるようになる。相馬市と福島市の間も、これまでは山道を走って1時間かかったのが、約30分でつながる。これにより地域間のいろいろな連携も可能になり、努力すればこれまでとは違う局面が出てくるのではないかと期待しています。
震災の経験を決して無駄にしてはならない
──地域の復興に際しては、今後も国からの財政的な支援が必要になることと思います。これについてはどのようにお考えですか。
渡邊 この3月で集中復興期間が終わりますが、この5年間で20数兆円もの国のお金が復興・復旧のために使われました。これから先は「復興・創生期間」として、ステージが変わります。そこでの予算は5年間で6兆5000億円と今のところ言われています。
まだ道半ばのところで復興への財源をどうするのか、商工会議所として政府や国の機関、政党などに実情を説明する要望活動は盛んにやっていますが、財源の問題はその年その年の政府の考えなどもあるので、まだ不透明なところもあります。
特に集中復興期間の終了で、国の対応が今後どのように変化するのかという不安もある。復興にはまだ時間もお金もかかりますが、それについて国との温度差を小さくしていかなければなりません。
──東北6県の各商工会議所との復興に対する連携や成果には、どのようなものがありますか。
渡邊 東北六県商工会議所連合会の鎌田宏会長を中心に互いに協力しあい、東北は一つという気持ちで、福島県に対しても皆さんから温かいサポートをいただいています。
特にインバウンド観光では、東北6県が一体となり、合同で東北の情報を発信したり、これまで東北への観光客が多かった韓国を訪問し、観光誘致を行ったりしています。福島県単独では、震災の際に多大な支援をいただいたお礼を兼ねて、台湾を訪問して観光誘致を行いました。
──最後に、これからの福島の復興・創生に向けて、福島商工会議所として、どのように臨んでいく予定でしょうか。
渡邊 福島をこれからもっと発展させていくために、商工会議所は重要な役割を担っています。震災は不幸な出来事でしたが、この経験を決して無駄にしてはいけません。これを機会に地方の在り方や役割、魅力などが変化していくのではないかと思います。
しかし、それをただ待っているのではなく、民間の商工業者の私たちは、困難にチャレンジしていかなければなりません。そのためには、これまでの5年間以上に、これからの5年間が重要になってきます。これには気合や熱意だけで向かっていってもだめで、冷静に時間をかけてやっていかなければいけないと思っています。
最後に、福島県は温泉が多く、果物の宝庫で、おいしい地酒もたくさんあります。桜が美しい花見の名所もあります。ぜひ皆さまに足を運んでいただき、福島の文化、歴史、食の豊富さを体験するとともに、福島の現状も知っていただければと思っています。
※月刊石垣2016年3月号に掲載された記事です。
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