東京から最短でも5時間かかる“熊野”
紀伊半島の東側、三重県南部に位置する熊野市は、江戸時代、紀州藩に属し、奥熊野代官所(同市木本)が置かれるなど、熊野地方(現在の三重県南部と和歌山県南部からなる地域。紀伊半島の南端部)一帯の行政の中心地であった。明治時代に入り廃藩置県により三重県に編入された。
同市は1954年に市制を敷き、57年に久生屋町と金山町が編入。その後、2005年には、いわゆる平成の大合併により山間部の紀和町と合併、「新」熊野市が誕生し、現在の市域となった。
同市は、温暖多雨な気候と市域の88%が山林という地形から、木材の生産地としても名高い。農業では温暖な気候に育まれたみかんの栽培が盛んで、この地域の特産品の一つとなっている。漁業では、天然の良港と漁場に恵まれ、定置網漁や敷網漁などが盛んだ。こうした同市でも人口減少の波は押し寄せ、現在の人口は約1万7000人。多いときは3万人を超えていたが、半分近くまで減少している。
同市北西部は、標高500mを超える山々が縦横に連なっており、同県尾鷲市と奈良県に接している。同市東南部は、熊野灘に面しており、リアス式海岸と白砂青松の変化に富んだ景観を有している。また同市南西部(旧紀和町)は和歌山県と奈良県に接している。最近では高速道路の整備が進んだことにより、尾鷲市との往来が増えたとのことだが、それ以前は、県境を越えて和歌山県新宮市との関係が深かったという。
海にも山にも近い熊野だが、地元の人でさえ「陸の孤島」と話すほどの地域でもある。東京を起点にすると、まずは名古屋まで新幹線を利用して約1時間40分。そこから特急に乗り換えて約3時間10分かかる。乗り換え時間を含めると、東京から、およそ5時間の行程だ。それが特急の走っていない時間帯となると、名古屋から快速と各駅停車を利用して4時間ほどかかるため、東京からはおよそ6時間となる。
ただ、名古屋から熊野までの車窓からの風景は変化があり飽きない。名古屋を出るとしばらくの間は市街地(住宅地)が続き、その後、鉄橋を渡る音が車内に響くと、そこは濃尾平野の大河、木曽川と長良川の上。そして県境を越え、三重県に入ると四日市の工場群が見えてくる。その後は住宅地と田園、山あいの木々が目の前に迫るなどの風景が続く。無人駅への停車もある。熊野近くになると海(熊野灘)も見えてくる。都市の喧騒(けんそう)を離れ、のんびりと移動したい人にとっては、贅沢(ぜいたく)な癒やしの時間となる。
「観光」をキーワードに活性化に取り組む“熊野”
「(三重県には)伊勢神宮があるので、観光のお客さまは伊勢市までは来られるのですが、そこから当市までなかなか足を運んでもらえないことが悩みです。それでも2004年7月に、当市の歴史文化遺産である松本峠や大吹峠などの熊野古道が「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されたことや、13年に高速道路ネットワークが延伸したおかげもあり、以前より、当市を訪れるお客さまは増えました」と話すのは、熊野商工会議所の榎本正一会頭。
「来年(19年)は世界遺産登録15周年にあたりますので、記念事業の実施を検討しています」と力を込める。一方で「あまりに身近すぎて、われわれ地元の人間が熊野古道をきちんと歩いたことがないという事実も明らかになりました。地域外から多くのお客さまに来ていただくためには、地元住民が自ら熊野古道のことをよく知って、魅力を再確認しておくことが必要です。そのため、当所会員を対象に、『熊野古道を歩いて学ぶツアー』を実施することにしました。語り部さんも同行します」と榎本会頭。
また、「人口減少や高齢化が進んでいる中、域内経済だけでは地域の活性化は見込めません。今後、裾野の広い観光産業の活性化を図る中で、地域外への販路拡大が重要な取り組みとなります。幸い当市は観光資源に恵まれていますので、それらを生かした事業の実施を考えています」と話す。
現在、同所では「中期活動指針(商工会議所ビジョン)」に基づき、“聖地熊野の産業化”事業に取り組んでいる。同事業は、熊野の強み、特性である神々の故郷としての自然、歴史、文化を生かし、地域の全ての産業に“聖地熊野”をテーマとした付加価値を付け、地域経済の活性化を図っていくというもの。
具体的には、16年度からスタートした熊野ブランド認定事業が、それにあたる。ストーリー性のある特産品および加工品を地域ブランドとして同所が認定し、熊野市のイメージアップ、観光および産業の振興、地域経済の活性化につなげていく。①コンセプト、②独自性・主体性、③信頼性、④市場性、⑤将来性の五つの項目で審査され、それらをクリアした特産品・加工品が熊野ブランドの認定を得る。その数は、現在10点(16年度・6点、17年度・4点)。
いずれも特色ある逸品が認定を受けている。その代表格が熊野でしか取れない漆黒の岩石“那智黒(ぐろ)石”を使ったアクセサリーなどの加工品だ。希少性が高く、熊野になくてはならない特産品である。
加えて同所では、観光産業の活性化に向けた取り組みも行っている。16年度には日本商工会議所主催の「きらり輝き観光振興大賞」において奨励賞を受賞するなど、既に高い評価を得ている。その内容は「熊野古道を訪れる観光客は、宿泊、飲食、土産物購入などを伴わない場合も多く、観光入込客数の増加が地域経済活性化に結びつかないという課題がある。その解決に向けて、都市部の大手旅行会社と連携し、ツアー企画から商品提案(弁当、土産物など)、契約に至るまでを代行し、通年で誘客と観光消費の向上に寄与する」というもの。「地域の小規模事業者の商品を活用したツアーを旅行会社と作成し、観光消費に寄与」した点が評価のポイントとなった。
悠久の歴史と大自然が来街者をもてなす“熊野”
日本史における“熊野”の登場はとても早い。「国産みの舞台」として日本書紀に登場し、さらに「日本国の母神である“イザナミノミコト”が火の神である“カグツチノミコト”を産んだ際にヤケドを負って亡くなり、紀伊国の熊野の有馬村に葬られた」と記述されている。同市有馬町にある高さ45mの巨岩“花の窟(いわや)”は、それ自体がご神体そのもので、神々の母であるイザナミノミコトの御陵とされる。それを祭る花窟神社は、(諸説あるが)日本最古の神社といわれている。同神社の年2回(2月と10月)の例大祭では「御綱掛け神事」が行われる。この神事は神々に舞を奉納し、日本一長いといわれる約170mの大綱を、前述のご神体(高さ45mの巨岩“花の窟”)から境内南隅の松のご神木にわたすもの。太古の昔から行われていたこの神事は1969年に「三重県無形民俗文化財」の指定を受けた。
また、熊野には、花の窟のほかにも大丹倉(おおにぐら)、鬼ヶ城、獅子岩などの巨岩・奇岩が多数あり、自然崇拝、巨岩信仰の地としても知られる。
山に目を移すと、豊富な湯量が自慢の湯ノ口温泉や、先人の米づくりに対する意志を後世につなぐ棚田「丸山千枚田」、北山川からなる紀伊半島随一を誇る渓谷美の瀞峡(どろきょう)などがあり、自然の宝庫だ。このうち「丸山千枚田」は、1601年には2240枚の田があったという記録が残っているほど長い歴史を有している。その棚田も1970年代から90年代にかけては、過疎の進行や耕作者の高齢化などにより、耕作放棄地が増加、一時は530枚まで減少した。その後、地元住民による復元と保全活動が結実し、810枚の田の復元に成功。現在は1340枚という国内最大規模の枚数を誇る棚田となった。99年には、「日本の棚田百選」にも選ばれた。
「1年を通じて違う表情を見せる『丸山千枚田』は、私のおすすめの場所です。7月最初の土曜日に行われる虫おくりでは、棚田の松明(たいまつ)に火が灯(とも)されると、とても幻想的な光景が広がります。また、冬に雪がうっすらと積もった白い棚田もとても神秘的です」(榎本会頭)
海に目を移すと、柱状節理の景勝地としても有名な楯ヶ崎、無数の洞窟が階段状に並んだ奇岩奇勝で知られる鬼ヶ城、美しい砂浜と透き通った遠浅の海が広がる新鹿・大泊海水浴場、同市から隣の紀宝町まで約22㎞続く日本一長い砂礫(されき)海岸・七里御浜(みはま)など、熊野の海も自然に満ち溢れている。
その海を舞台に毎年8月17日に開催されるのが熊野大花火大会。300年余りの伝統を誇るこの花火大会の起源は、お盆の初精霊供養に簡単な花火を打ち上げ、その花火の火の粉で灯籠焼きを行ったことといわれている。時代とともに規模も拡大したが、今でも、初精霊供養の灯籠焼きや追善供養の打ち上げ花火などが大会プログラムに組み込まれており、伝統はしっかりと守られている。
「世界遺産に登録されている七里御浜や鬼ヶ城(大岩壁)を舞台に、海上の台船から打ち上げられる約1万発の花火は圧巻です。特に鬼ヶ城で行われる大仕掛花火は、その音が大岩壁で反響するため迫力満点です。この日ばかりは、人口の10倍近くの17万人が来場しました。最近では、この花火大会を見るために、海外のクルーズ船が沖に停泊するほどで、今年は5隻来ました。また、大会運営の負担がとても大きいという課題解決のため、毎年、国際ボランティア学生協会(IVUSA)が協力してくれています。今年は204人(学生202人、事務局2人)が大会前から終了後まで、泊まり込みで手伝ってくれました。とても助かりました」(榎本会頭)
「当所では、この花火大会の前夜祭として、大会前日の16日に『古道通り夜市』を開催しています。今年で10回目でした。会場は木本本町通りの当所会館周辺(岩畳遊歩道)です。ビアガーデンや夜店・屋台が出るほか、ウミガメに触れられるコーナーや地元の木本高校写真部が会場内のあちこちで写真撮影を行うイベントも行われます。なお、撮影した写真は、会場内の特設コーナーに展示し、写っている方にプレゼントしています。旅のよい思い出になっているようです。さらに大抽選会も行い、大いに盛り上げています」(熊野商工会議所岩本眞智子専務理事、齋藤公己事務局長)
悠久の歴史を感じられる熊野。数々の巨岩や奇岩、世界遺産“熊野古道”、海、山がもたらす豊かな自然が来た者を温かく迎えてくれる。一度訪れると帰り難くなるという意味でも「陸の孤島」なのかもしれない。魅力いっぱいの熊野に、ぜひ一度お越しあれ。
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