長い歴史を持つ城下町
新発田市は人口約10万人、新潟県北部の中核都市だ。周辺は非常に環境が良く、人が住むのに適した環境で、縄文土器や弥生土器が出土するなど、古くから人が住んでいたこともわかっている。新発田商工会議所の佐藤哲也会頭は「かつて新発田のある新潟県は農業をベースに全国で一番多くの人口を抱えていました。そんなこともあって人が暮らすために必要なものは一通り何でもそろっている。ですから、住む・暮らすには最高の場所ですよ」と笑顔を見せる。
また、新発田は江戸時代まで溝口10万石の城下町としても栄えた。残念ながら昭和10年に起きた大火で、その姿が完全な形で残っているわけではないが、今でもその風情・文化が色濃く残っている。また、美人の湯として知られる月岡温泉などの観光資源にも恵まれている。
「大火で城下町らしさが失われてしまったのは、やはり残念ではあります。でも、新発田城は100名城に選ばれていますし、三階櫓の『三匹のしゃちほこ』は全国的にも非常に珍しいもの。硫黄の含有量が日本有数といわれている月岡温泉もある。それに市町村合併で、市域が広くなったこともあって、北西には美しい海岸線、南東には日本一小さな山脈である櫛形山脈や霊峰二王子岳もある。もちろん川も市内に流れていますし、山・川・海と豊かな自然に恵まれた環境です」(佐藤会頭)
何でもあるが故の悩み
何でもあることは強みではあるが、同時に弱みでもあると佐藤会頭は分析する。「例えば、長野県なら、『善光寺』『軽井沢』というようにピンポイントで行きたい所がイメージできます。こんなふうにイメージできるのはそれだけで強み。でも一方で新発田は、何でもあるけれど外の方が『これ』とイメージできる突出したものがない。これが大きな課題です」。
そんななかで盛り上がりを見せているのが雑煮だ。平成15年から始まった青年部主催の「城下町しばた全国雑煮合戦」が冬のイベントとして定着した。「最初は3年ということで始めたイベントでしたが、次で12回目になります。最初は〝ノリ〟だったかもしれませんが、市が『食の循環によるまちづくり』を掲げていることもあり、支援をしてくれるようになりました。市長も『食に関するイベントは毎月やってほしい』と言っているくらい食には力を入れています。今では、食に関するイベントのトップバッターという位置付けで、やめるにやめられない状況になったともいえますね」と佐藤会頭は顔をほころばせる。
盛り上がっているのは、雑煮だけではない。新発田市観光協会では「スイーツ」に注目している。新発田市観光協会の森康弘専務理事は「新発田は歴史的に茶の湯が盛んです。そのため、和菓子文化が根付いていて、市内には、和菓子店が20店以上あるくらいです。スイーツに関しては、取り組みをはじめてから10年くらいになります。この新発田のお菓子文化を生かしつつ、滞在時間を延ばす取り組みとして昨年始めたのが『和スイーツBOX』です。箱を持って市内の各店をまわってもらう仕掛けです」と説明する。
すぐに立ち直れるまちになる
「会頭に就任した直後に市に向けて、『地元中小企業の受注機会の拡大』に関する要望をしました。ただ、ずっと言い続けていることですが、単に要望するだけで終わってはいけない。市に何かをやってもらうだけでなく、同時に商工会議所・各部会・地元企業もやることを明確にしていかなければダメなのです」
こうした考えの下、災害発生時に地元企業として何か貢献できることはないかということを考え、平成21年に生まれたのが「新発田地区防災協議会」だ。新潟県では、新潟地震(昭和39年)や新潟中越地震(平成16年)など大きな地震が何度も発生してきた。幸い新発田市のある阿賀野川以北では、これまでに大きな被害を出す地震は発生していない。しかし、佐藤会頭はこう指摘する。
「これまでに起きなかったということは逆に言うと、これから起こる可能性があるということでもある。防災協議会は災害が起こった際に自分たちのまちは自分たちで守ろうという組織です」
具体的には市内を中学校区で分けて、それぞれの区域を建設会社が担当。新発田商工会議所の加藤康弘事務局長は「震度4を超える地震が発生したときには担当建設会社が自主的にパトロールする仕組みになっています。市との調整の結果、ある程度権限が現場に移譲されており、自主判断で対応ができるようになっています」と説明する。
また、建設業だけではなく、電気工事・管工事や飲食など、災害発生時に必要となる他の業種に関しても役割分担がなされている。その結果、東日本大震災が発生したときは多くの被災者が新発田にやってきたが、混乱することなく受け入れができたという。
新発田地区防災協議会は新発田市と災害協定を締結している。このため、従来に比べると災害が起こった際の連携は、格段に改善したという。
「災害が起こったときには、市から防災協議会の事務局である商工会議所に連絡が入ります。そこから各担当に連絡をしていきます。連絡するのは、日頃から付き合っている商工会議所の会員さんですし、担当もきっちり分けられているので、前よりも対応はずっとスムーズになっていると思っています」(加藤事務局長)
行政にとっても新発田地区防災協議会の果たした役割は小さくなかったのだろう。21年5月、市の制限付一般競争入札の参加要件に「新発田市と災害協定を締結している者」という項目が追加された。
「要望していたわけではなかったので、びっくりしました。事実上、防災協議会に加盟していなければ、入札に参加できないわけです。加盟するためには区域を担当してもらうこと、日頃から防災訓練に参加してもらうことなども条件になりますから、地元新発田で活動できることが必要です。各々がやるべきことを考えて実行したからこういう結果が出たのだと思います」(佐藤会頭)
現代版城下町の再生を目指す
「まちづくりは将来の目指すべき都市像を明確にし、産官学が一体となって進めることが重要です」と語る佐藤会頭は就任以来、まちづくりに注力してきた。新発田商工会議所は平成12年、新発田新世紀都市ヴィジョン「新世紀城下町づくり」を策定。これまで、これに沿って、中心市街地の活性化に取り組んできた。
「第8代の佐藤康男会頭のころ、社会システム研究所をつくりました。これは色々な大学の研究者に入ってもらった地元のシンクタンクのようなものです。ここの協力を得て、『新発田新世紀都市ヴィジョン』を市に提出しました。そこでは田園文化都市構想、まちの機能は中心市街地に、周囲は田園。今でいうコンパクトシティのような考え方を提言しています」
当時の新発田市では駅前にあった大型スーパーが撤退。さらに中心市街地にある県立病院に移転計画があり、その移転先が郊外であるという情報が流れていた。「新世紀城下町づくり」は、こういった動きに対し、まちづくりの目標をコンパクトシティに据え、現代版城下町としての復活と、中心市街地の再生を目指したものだ。この結果、県立病院は駅前に移転。これに加えて現在、新市庁舎や駅前の複合施設(図書館などが入る予定)の建設が進められている。商工会議所が提案した「新世紀城下町づくり」は新発田のまちづくりの方向性に大きな影響を与えている。
「われわれが出した、このプランを新発田市民に知ってもらうために大きな役割を果たしたのが、当所の会報『会議所だより』です。会議所だよりは市内全世帯に配布しています。コストは掛かりますが、これからも商工会議所のことや、その活動を市民の皆さまに知っていただくために続けていきたいですね」(加藤局長)
将来を担う人づくりを
「新発田新世紀都市ヴィジョン」がつくられてから、すでに10年以上の歳月が流れた。その間に少子化・高齢化の進展、人口の減少、グローバル化の進展などにより新発田市の置かれている環境は大きく変化してきている。このため、新発田商工会議所は25年、今後10年間のまちづくりの方向性を示すために「まちづくりビジョン」を改訂した。新しいビジョンは、従来のビジョンを継承しながら、今後10年間でどういったことに取り組んでいったらよいかをまとめている。この中で一番強調されているのが「人づくり」だ。
「やはり何をするにしても最後は人なんです。観光にしても、まちづくりにしても。いきなりはできるようにはなりません。そのために若い世代に経験を積んでもらうことが必要です。例えば、青年部は去年、全国会長研修会も主管していますし、『城下町しばた全国雑煮合戦』も青年部の事業。非常にいい動きをしてくれていると思っています」(佐藤会頭)
観光協会の森専務理事も「観光で人を呼ぶことはもちろん大切です。でも、打って出る前に新発田の地力を高めていく必要があると思っています。人材育成やまちづくりなど、内側の整備が非常に大切だと思っています」と話す。
人づくりを重視する理由の中には、「人口減少」もある。平成17年、市町村合併により、新市が誕生したが、現在の人口は、発足当時から5000人以上減少している。
「子ども、子育て世代が安心して定住できる環境を整えていかなければならない。そのためには働く場が必要です。商工会議所が果たすべき役割は大きいと思います」(佐藤会頭)
みんなが生き生きして生活できるまちに
新発田の将来について佐藤会頭は「企業が健全に育ち、まちがきちんと整備され、みんなが生き生きしている。そんなまちにしていきたい。かつてのように新発田の中心市街地に人が来るようにしたいと思いますね」と話す。そして、新発田の課題についてあらためて触れ、こう力を込める。
「これぞ新発田というものを行政と協力しながらつくっていきたい。それができれば周りを引っ張っていける。確かに難しい。でも、何とかやり遂げたい」
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