商業施設の一角に残る近代紡績発展の足跡
外国綿糸の大量輸入により国産綿糸の生産が圧迫されていたことを憂慮していた渋沢栄一は、紡績産業を発展させるため、大阪紡績の設立に尽力しました。やがて大阪紡績は同じく栄一の出資を受けて設立された三重紡績と合併して1914年に東洋紡績(現・東洋紡)となり、栄一から受け継いだ「順理則裕(じゅんりそくゆう)」を企業理念に掲げ、日本の紡績業をリードする存在となっていきます。
富田工場原綿倉庫は、加工前の綿を保管していたレンガづくりの倉庫で、国の登録有形文化財に指定されています。倉庫としての役目を終えた現在では、外見をそのまま残して商業施設に生まれ変わり、大正時代の面影を楽しめる一角となっています。
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