昼時の店内に、皿の触れ合う音と客の笑い声が広がる。長野県須坂市の洋食店「かねき」は、そうした何げない日常を通して地域の記憶を支えてきた店である。1972年の創業以来、看板メニューのオムライスなど世代を超えて親しまれる味を育んできた。
とりわけ、量、味、価格の絶妙なバランスが生む満足感は高校生から家族連れまで幅広い客層の心をつかみ、「須坂の青春の味」とも呼ぶべき存在になっていた。ところが2024年9月、営業していたショッピングセンターの閉鎖に伴い、店は惜しまれながら幕を閉じる。
店ではなく意味を継ぐ
だが、物語はそこで終わらなかった。市内で障がい者就労支援事業を営む常連客の小森広樹さんが前店主から店を引き継ぎ、25年11月、市内市道沿いに移転再開。閉店を惜しむ人々の思いは、1人の決断を通じて再び地域の日常風景へと結び直された。
事業承継というと、設備、技術、屋号、収支といった目に見える条件に意識が向きやすい。もちろん、それらは重要である。しかし、かねきの継業を動かしたのは、それ以前のもっと深いところにある理由だった。
小森さんは閉店を知ったときの気持ちを「心の一部が欠けたような思い」と振り返る。それは単に好きな店がなくなったという感傷ではない。その店が地域に果たしていた役割を、自らの喪失として受け止めたのである。
高校時代から通った店の味、友人と過ごした時間、そこに集う人々の気配。その全てが店と共に失われてしまうことに耐えられなかった。小森さんのみならず多くの須坂市民にとって、かねきには残すべき意味があった。
もちろん、商いは利益を否定しては成り立たない。だが、利益だけを出発点にした商いは人の心を深く動かしにくい。反対に、残したい理由が明確な店には人を行動へ向かわせる力がある。「私だけではなく、市民もみんなかねきが好きだったという事実が私に行動を起こさせた」と小森さんは言う。
食事の場以上の価値を持つ店
継いだのはレシピだけではない。人々の記憶と、この店が地域に必要だという意味そのものだった。継業とは条件の継承である前に、存在理由の継承でもある。
小森さんの友人が、高齢者のグループ客が店を後にする姿を見て、「幾つになってもこうやって集まれる場所があるっていうのは、それだけでかねきの存在は大きいね」と語ったという。まさに、そこにこの継業の本質がある。店は単に料理を提供する場所ではない。人が会い、語り、思い出を重ねる場でもある。地域の店の廃業は、選択肢が一つ減ることにとどまらない。人と人との関係が育まれる場が失われることであり、地域の日常の厚みが薄れていくことでもある。
だからこそ、継業には厳しさも伴う。小森さんの元には「経営者が変わって味も変わった」「もう遠くから通う店ではなくなった」といった厳しい声も届くという。しかし小森さんはそれらを真摯(しんし)に受け止めつつ、「改善が必要な建設的な意見には耳を傾ける必要がある」と語る。
継業とは、過去をそのまま保存することではない。愛されてきた価値を守ろうと努めながら今の客に応え、明日へ続く形へと鍛え直していく営みである。さらに小森さんは「私には0から1をつくることはできませんが、0・5を1に、そしてそれを2、3とすることならできる」とも語る。その言葉には、受け継いだ価値を未来へ育てていこうとする覚悟がにじむ。
商いは数字だけでは測れない。店には誰かの青春があり、家族の時間があり、地域の安心がある。かねきの継業はそのことを鮮やかに教えてくれる。「好きだ」「なくしてはいけない」「残したい」といった思いが、一つの店を再び立ち上がらせた。
事業承継とは資産の継承である前に、価値への共感を受け渡す営みである。人口減少と廃業の増加が進む時代だからこそ、継業は単なる救済策ではない。地域の未来を守り育てる、創造的な挑戦として捉える必要がある。店の灯は思いによってこそ次代へつながる。
(商い未来研究所・笹井清範)
