女性経営者の活躍が目立つのは、絶対数が少ないからだけではないようだ。しなやかなビジネスの視点、従業員目線の働き方改革などの社内環境の整備、自由な発想など、地域で活躍し業績を上げている女性経営者も多い。社員も顧客も笑顔に変えて、業績を上げる……。そんな女性経営者のリーダーシップと手腕には、多くの経営者が見習うべき点がある。
「温故創新」の理念を掲げ新聞販売店としてのハブ機能を強化
栃木県鹿沼市(かぬまし)にある瀬谷新聞店は、全国紙から地元紙まで幅広く扱う新聞販売店として、地域に根差してきた。しかし、活字離れやデジタル化の波に押され、全国的にも新聞販売店は減少している。そんな中、同社は従来の「新聞を届ける」という枠組みを超え、牛乳販売、マルシェの開催、さらにカフェの運営まで、驚くべき多角化を遂げている。
現場の労働環境の改善と地域に眠る「財産」の発見
瀬谷新聞店は1990年、栃木県足利市で創業した。二代目社長である瀬谷一世(せやかずよ)さんが家業に入ったのは、2000年のことである。瀬谷さんは、地元の商業高校を卒業後、一度は一般企業に就職したものの、「家業を手伝ってほしい」という父の要請を受け、入社を決めた。当時は「自分が経営者になるとは思わなかった」という彼女を待っていたのは、前時代的な労働環境だった。
「タイムカードはなく、昼休みを取ることさえはばかられる雰囲気で、就業規則は形骸化した状態でした。私は外部の職場を知っていたので、これではいけないと思いました」と当時を振り返る。社内環境の改善に着手し、働く者が当たり前の権利を行使できる職場づくりを一歩ずつ進めていった。
07年、元々鹿沼市にあった販売店を引き継ぐ形で、足利市の店舗とは別会社として、新店が立ち上がった。瀬谷さんは父の右腕として鹿沼の地へ移る。未知の土地での再スタートで彼女を支えたのは、新聞販売店特有の業務である、集金を通じた顧客とのコミュニケーションだった。
「新聞は、各家のポストに配達すればいいのですが、集金はお客さまと顔を合わせる必要があります。毎月伺う中で『待ってたよ』『野菜を収穫したから持っていって』と声をかけてもらえるようになりました。ドアを開けて対話ができる関係性こそが、新聞販売店の貴重な財産なのだと気付きました」と語る瀬谷さん。この「人とのつながり」という目に見えない資産こそが、地域インフラとしての新たな事業をつくるための土壌となった。
商工会議所との出会いが事業多角化のきっかけに
11年1月、大きな転機が訪れる。創業者である父ががんにより他界したのだ。資金の工面や、自分が全責任を負うという覚悟ができず、瀬谷さんは半年間、代表就任を迷った。背中を押したのは、業界の大先輩からの「1年やってみて、ダメなら辞めればいい」という言葉だった。同年7月、彼女は覚悟を決め、全国でも珍しい女性の新聞販売店主として歩み始めた。
就任後、瀬谷さんがまず取り組んだのは「開かれた新聞販売店」づくりである。店舗の一部を使ってフラワーアレンジメント教室を開催。新聞を教材とし、現代社会について学ぶことができる、小中学生を対象とした「せや塾」も開催した。また、NPO法人の依頼を受け、社会貢献活動として「世界の子どもたちに靴を贈ろう!」という活動を始めた。これは履かなくなった靴を東南アジアなどの子どもたちに贈るもので、オリジナルのチラシを作成して呼びかけると、1回で300足以上の靴が集まった。「配達するだけでなく、集める」という新聞販売店が持つインフラ機能を、この活動を通じて確信した。
12年には、オリジナルのミニコミ紙「せやTOWN」の発行を開始。この独自紙がきっかけで、瀬谷さんは鹿沼商工会議所に入会することになった。一人で経営することに孤独感を抱えていた瀬谷さんは、同じ悩みを持つ経営者仲間と触れ合う中で「身の丈を知り、学びを得ることができた」と語る。
商工会議所の支援を受け、瀬谷さんは、公的補助金の活用にも積極的に乗り出す。13年頃には小規模事業者持続化補助金を活用。地元の農家などが抱える「商品をつくっても販路がない」という悩みを解決するため、新聞の配達網を生かした物販事業を開始した。トマトジュースやそば、こんにゃくなどをオリジナルのチラシで紹介し、受注販売を行う。この取り組みのために冷蔵庫を導入し、デザイナーを起用して広告の質を高めた。
さらに16年には、栃木県の補助金を活用し、牛乳や乳製品の販売事業を本格化させた。父をがんで亡くした経験から「情報だけでなく、健康も届けたい」という思いが新事業の背景にあった。利益率は決して高くはない。しかし、新聞や商品を楽しみに待つ高齢の購読者への付加価値提供と、買い物弱者の支援として、この事業は地域に深く浸透していった。
マルシェとカフェに込めた目に見えない大切なもの
18年、同社は新社屋を建設した。以前の「暗くて何をやっているか分からない」というイメージを覆すべく、道路から店舗を少し引き込ませ、前面に広い「余白」を設けた設計にした。このスペースで始めたのが「SEYAマルシェ」である。
実は、父も生前「いつかまちの人とお祭りをやりたい」と語っていた。その遺志を継ぐ形となったマルシェは、キッチンカーやハンドメード作家など最大25店舗が集まり、老若男女が楽しめる一大イベントに成長した。近隣のデイサービスから車椅子の高齢者が訪れ、笑顔で交流することもある。「大切なものほど目に見えない。人とのつながりや共有する時間は可視化できないからこそ、体感していただくことが重要だ」という近所の寺の住職の言葉に、彼女は深く共感した。
24年には、国の事業再構築補助金を活用したカフェ「KEYHOLE(キーホール)」をオープンさせた。自家焙煎(ばいせん)のコーヒーや、地元産の野菜を使ったサラダボウルが好評で、新聞読者以外の地域住民ともつながる拠点として機能させている。さらに、自社ブランド商品の開発にも着手。地元スーパーでも販売されるオリジナルドレッシングを完成させた。これもまた、新聞販売店という枠を超えた、収益基盤の安定化と地域ブランド向上のための新たな一手である。
受け継いだ笑顔と挑戦力
経営者としての指針を明確にするため、瀬谷さんは19年に経営革新塾に参加し、会社の理念を言語化した。掲げた言葉は「温故創新」である。新聞という150年続く古き良き伝統文化を守りながら、新しい時代に即した価値を創造していく。この四文字には、父が築いた基盤に彼女自身の「イズム」を加え、未来へつなぐという決意が込められている。
苦しい時、彼女は父から言われた言葉を思い出す。「おまえが不安な顔をしていれば、社員も不安になる。苦しい時こそ笑っていろ」。笑顔を届けるには、まず自分自身が、そして組織が笑顔でなければならない。その教えは、現在の瀬谷さんの生き方そのものになっている。
現在、瀬谷さんが見据える未来はさらに具体的だ。まず、鹿沼市や関連団体の協力を得て20年にリリースした、地域の情報を集約するアプリ「ツムクル」の運営である。このアプリを活用し、紙媒体の良さを堅持しつつ、デジタルの利便性を掛け合わせることで、地域情報の「ハブ」としての機能を強化していく。また、自社ブランド商品の拡充や、さらなる地域ニーズの深掘りも行う。
「新聞販売店は地域のインフラの原形。まだまだ、やれることはたくさんある」と語る瀬谷さん。創業者の熱い思いを胸に、彼女は今日も鹿沼のまちを笑顔で駆け抜ける。新聞を届ける同社は、今やこのまちの安心と楽しさをつなぐ、かけがえのない絆となっている。
会社データ
社 名 : 株式会社瀬谷新聞店
所在地 : 栃木県鹿沼市下田町1丁目1021-20
電 話 : 0289-60-2855
HP : https://www.seyashinbun.com
代表者 : 瀬谷一世 代表取締役社長
従業員 : 60人
【鹿沼商工会議所】
※月刊石垣2026年6月号に掲載された記事です。
