私の基礎は3者からの教育が基になっています。
父からは仕事へのスタンスと下町人のあるべき生き方を教えられました。中学高校時代は、実家の商売を手伝い、家族の食事の準備、深夜にわたる値付けなど、できることは何でもするのが当たり前で、私のオーナー意識はこの頃の暮らしが原点となっています。
母からは、人さまへの礼儀や感謝を、そして学校では勉強だけでなく、自分がいかほどのものであるかについて、教えられました。
私の通っていた小学校ではローマ字しか教えてもらっていませんでしたが、中学に進学してみると、ほかの学生は英語の初歩をすでに知っていて、「出遅れた」事に気付きました。それを必死で取り返すのに3年かかり、高校1年の時、学年350人中70番になってホッとしていたら、担任から「数学・物理は10番以内なのに、英語の手を抜くな」と叱られました。そして努力し尽くしてもこれ以上は、自分には無理だと思いました。この程度の自分である事を骨身に染みて知ったのです。死ぬほど頑張った高校2年の実力考査で350人中25番というのが私の最高順位で、どうあがいても自分の上に24人の抜けない相手がいることを痛感しました。
その24人の中の筆頭に伊藤又男君という学生がいました。お兄さん2人も東大にストレート合格、後に本人も同じように、東大に進学しました。中学時代に彼が落ちこぼれの同級生に数学を教えているのを見ましたが、相手の理解のレベルに立って丁寧に分かりやすく説明して、しかも見下げる様子がみじんもなかったのです。「私には無理だ」、そう思うと同時に、トップの人の人生にはコンプレックスや意地悪の文字がなく、いつも平常心でいられることを知りました。
人は思い込みや、それによる価値観形成で自分の生き方を決めるのだろうと思います。私の基礎というか根本は人間的に未熟なこの時代に培われ、捨て切れないコンプレックスを抱きました。が、それと同時に、何でも1番なんて無理で、自分が思う1番を目指せばいい、と諦めにも似た考えを持つようになっていました。
後にそれが船井流で言う、「長所伸展法」そのものであることを知った時には、人間的で現実に則した指導法にどれほどホッとしたか分かりません。苦手な英語をもっと頑張れと言われた時のあの苦しみからも解放されました。
人の上に立ち、よりよく人を指導するためには、自分の癖や弱点を把握することが必要です。あなたの基礎を形成するに至った経験と教育、それはどのような事であったのでしょうか。この機会に考えてみてください。

