事例1 産学官連携と分社化で理念と技を次世代へつなぐ
髙橋屋根工業(宮城県石巻市)
昭和25年創業の髙橋屋根工業は、屋根工事一筋、60年以上の実績を誇る。その間に幾多の災害に見舞われ、東日本大震災でも甚大な被害を受ける中、産学官連携や分社化で次世代を見据えた事業に取り組んできた。独自に開発した屋根材で工法も含めて特許を取得するなど、不屈の精神とものづくりへの情熱で全国展開を図る。
安心・安全第一の屋根工事を貫く
東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市は、復興再建が進みつつあり、市の中心部には真新しい家が建ち並ぶ。石巻駅にも制服姿の学生たちを多く見かけるが、いまだに仮設住宅で暮らす人は多く、震災の爪痕はまだ深い。
「地獄を見ました」
そう切り出す髙橋屋根工業の代表取締役社長の髙橋悌太郎さんの眉間には、深く皺(しわ)が寄る。昭和25年に祖父が創業した事業を、53年に三代目として継いで以来、屋根工事事業を展開してきた。とりわけアスベストによる被害について警鐘を鳴らし続け、啓蒙(けいもう)活動にも力を入れてきた人物だ。
「アスベストは髪の毛の5000分の1の細さで、くぎ1本抜くだけで2〜3万本のアスベストが飛ぶといわれています。建物の解体時にはシートで覆うことになっていますが、災害時となるとそうはいきません」
日本では、平成16年に実質禁止されるまで、アスベストを使った住宅屋根用化粧スレートが製造されてきた。しかし、髙橋さんは屋根施工においてのアスベスト使用を、どんなに大きな仕事でも断固として断り続けたという。
「施工後は問題ありませんが、施工時や屋根スレートのふき替え、建物の解体、地震による摩擦、災害などによって、住む人、近隣の人が吸引するリスクがあります。そして何より、施工や解体する社員の健康被害を考えると使うことはできないものでした」
三代目就任の2年後には、国宝や重要文化財を手掛ける奈良の名匠、石野欣延さんに直談判して門下生になり、車で片道12時間かけて瓦ぶきの伝統技法を学んだ。他社とは一線を画す屋根のスペシャリストとして頭角を現す。その後も職人としての技を磨き続け、一級かわらぶき技能士、瓦屋根工事技士、瓦屋根診断技士と次々と資格を取得し、アスベスト未使用の屋根工事の先駆者として走り続けた。
企業の枠を超えた地域内の協力に奔走
髙橋さんの取り組みは、「会社」の枠にとどまらない。平成元年に石巻専修大学が開学し、石巻市内の地域産学官交流が活発化すると、そのメンバーにも名を連ねる。
「石巻はもともと漁師のまちで、“狩猟民族”としての血が濃いですから、周囲と連携して一つのことに取り組むのが得意ではないんです。だからこそ、これからは横の連携を強化して地域を盛り上げていくことが大切だと強く思いました」と参加動機について語る。11年には石巻地域産学官グループ交流会が設立され、地元行政や石巻商工会議所なども加わって、県内外の企業視察や地元の文化や資源の掘り起こしに向けた調査や研究を進めていった。その一環で、産学官環境部会6社で、アスベストを安全に除去するシールドサクション®工法を普及する合同会社宮城県SS管理委員会も設立する。
「損得勘定は度外視で、掛かる経費はもちろん自費です」と苦笑するが、この産学官連携が髙橋さんの事業とも連動していく。5年に自社開発した天然石材を主原料とした平板瓦「シーファー33」から始まった商品開発に、地元企業や大学の協力が得られたのだ。
「社長に就任した年に宮城県沖地震がありましたから、私にとって災害と事業は切り離せません。日本瓦の屋根は災害に弱いといわれ続けるなか、シーファー33を自社独自で耐震・耐風の強い屋根材として開発しました」
改良に改良を重ねた4世代目の「シーファーS6」は、女川町の今野梱包(こんぽう)が実物大模型のスーパーカー「ダンボルギーニ」を制作したことを知り、石巻の地域資源である紙の活用にもなると、屋根材開発への協力を仰ぐ。さらに専修大学工学部の工藤すばる教授と共同開発を進め、23年に商品化にこぎつけた。28年には屋根構造と施工方法で特許を取得し、勢いづく。
「シーファー33に始まった開発の集大成がS6です。99・9%の完成ですが、あと0・1%改良したいところが出てきました」と、髙橋さんの開発意欲はまだまだ尽きることがない。
「弟子を育てる=敵をつくる」という発想を捨てて先へ
また、産学官連携と同時並行で分社化も進めた。狙いは社員の勤労意欲を高めるとともに、髙橋さんの信念に共感する経営者の育成だ。出資50%、受注は約90%を髙橋屋根工業が負担し、残りは営業活動で各社が推進する。
「平成3年に1社、8年に2社が分社しました。1番弟子から3番弟子です。周囲から『弟子を育てることは敵を育てることだ』と言われたりもしましたが、私が会得した技術や考え方を、後世に広めたいという気持ちの方が勝りました。人材育成といっても、志が一緒じゃないと私について来られないというだけのことです」と笑う。
だが、経営学は一から教える必要があると捉え、月1回ペースで勉強会を開いたり、頻繁に会う機会を設けたりしたという。
「『人件費がこんなに掛かるとは知らなかった』と言ってもらえただけでも、独立させた甲斐(かい)があります」と目を細める。経営者の育成だけではなく、屋根ぶき職人が全国的に減少傾向にあることから、25年には新卒5人を地元学生から採用して若手職人の育成にも努める。昔ながらの教え方に固執せず、作業工程のマニュアル化を図り、時代に合った職場の環境づくり、働き方の工夫にも余念がない。
「私も今年で70歳です。来年1月には事業を四代目に譲り、独立した3社も事業承継を考える段階に入っています。私自身が人材を育成するのではなく、バトンを渡した次の代がそれをどう広げていくか見守る立場にあります」
そう語るものの、19年から地域産学官グループ交流会の三代目座長であり、24年に発足した全国SS管理委員会連合会の会長も務めるなど、今なおいくつもの肩書を持っている。職人として、経営者として、地域に貢献する有識者として世に発信することはまだまだありそうだ。
会社データ
社名:髙橋屋根工業株式会社
所在地:宮城県石巻市蛇田字北経塚12-11
電話:0225-22-8682
代表者:髙橋悌太郎 代表取締役社長
従業員:30人
※月刊石垣2017年11月号に掲載された記事です。
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