深刻な人手不足や経営強化に悩まされている中小企業だが、解決策の一つとして大きな注目を集めているのが、IoT、AI(人工知能)、ロボット、クラウドなどのIT技術だ。ここ数年、中小企業へのIT導入が叫ばれているが、まだまだ進んでいないのが現状だ。そこで、ITを導入して大きな成果を上げている企業の現場を取材した。
総論 IT導入成功のカギは経営者のビジョンの中にある
井領 明広/つづく株式会社 代表
国はIT導入補助金などを整備して中小企業のIT化を支援しているが、導入をためらう企業側は「ITを導入できる人材がいない」「導入効果が分からない、評価できない」「コストが負担できない」といった“できない理由”(図1)を挙げている。中小企業にとってIT導入のハードルは本当に高いのか。長野県上田市と御代田町に拠点を置き、県内の中小企業に特化してクラウドサービスの導入を支援する「つづく」代表の井領明広さんに、成功するIT導入の考え方を聞いた。
企業とITをつなぐ存在として長野で起業
「つづく」という印象に残る社名には、井領明広さんの「中小企業の商売が100年続くことが当たり前の未来を創りたい」という願いが込められている。
井領さんは子どもの頃から中小企業に興味を持ち、大学では迷わず経営学を学び、就職先はITの導入支援を通じて多くの経営者と出会えるNTTデータイントラマートを選んだ。だがその時、世の中は億単位のIT投資と同じ効果を数十万、数百万円で実現できるクラウドの時代を迎えていた。
いよいよ中小企業の時代が来る―井領さんは、クラウド会計ソフトのfreee(フリー)に転職した。クラウドの可能性に改めて驚かされる一方で、中小企業の課題は会計ソフトだけでは解決しないことに気付く。「課題はさまざまでしたが、本質は人に関する悩みにあり、ITによって解決できる可能性があった。それなのに中小企業とITをつなぐ存在がいなかったのです。そこで妻の実家がある長野県御代田町で2018年に起業しました」。首都圏外の長野でIT導入の成功モデルをつくることができれば、「それを各地方都市にコピー&ペーストすることで、全国の中小企業を活性化させることができる」と井領さんは考えた。
起業してすぐに顧客がついた。その一社が同県富士見町で70年続く両国屋豆腐店だった。三代目の石垣貴裕さんの課題は「黒いモヤモヤを晴らすこと」だったという。
豆腐店の朝は早い。5時から仕込みに入り9時開店、18時閉店。15時から18時にかけて事務作業に没頭し、最終的に片付けなどを含めて仕事から上がれるのは19時か20時ごろ。黒いモヤモヤは、事務作業に追われる日々の繰り返しで、経営者としてやりたいことがやれないことへの焦りが原因だった。
黒いモヤモヤを抱えたまま石垣さんは、井領さんの「ITを使った業務効率化」セミナーに参加し、「会計ソフトの『フリー』を使いたい」という相談を持ちかけた。井領さんは、石垣さんの話を聞くうちにフリーだけで解決するのかという疑問を抱き、実際に店を訪問して驚いた。すべての管理が紙ベースで行われていたからだ。図2を見ていただきたい。電話やFAXを通じての注文の内容はボードに貼ったメモで管理。石垣さんは店を閉めた後、電卓で集計して、製造計画を立てていた。レジの売上金の集計は会計ソフトへ手打ちしていた。請求書の発行や顧客からの入金管理はキャッシュフローを確保する上でも重要な仕事だが、漏れてしまうことが多々あった。
「一般的なITベンダーであれば、製造管理、販売管理、請求書発行ができる製品を売ると思います。しかし私の目的は100年続くことですから、石垣さんに豆腐店という仕事を通じて何をしたいのかというビジョンを明確にすることを求めました」
ビジョンを明確にしたら新規顧客が開拓できた
石垣さんのビジョンは明快だった。「まちの子どもたちに安全・安心な県産大豆の食品を食べさせたい」。そのためには商品開発や販路開拓の時間を確保する必要がある。豆腐をつくる作業と事務作業のうち削れる(削ってもいい)のは事務作業の方だから、製造計画・出荷計画・請求書の自動作成はサイボウズの業務改善プラットフォーム「kintone(キントーン)」を活用、入金予定、売掛金などのデータなどを取り消す消し込み、取引を借方と貸方に分ける仕訳を「会計フリー」で自動化、決済にはモバイル決済サービス「Square(スクエア)」を導入した。
それぞれのシステムの導入設定は1、2カ月という圧倒的なスピードで行われたが、井領さんは活用や、より自動化するための伴走型の支援に時間をかけた。1年かけて支援し、最終的には利益をリアルタイムで確認できるまでになったのである。一連の自動化によって、石垣さんの事務作業は年間750時間から150時間へ、600時間も減らすことができた。
「でも、ITツール導入や業務時間の改善がゴールではありません。黒いモヤモヤが消えたことで、ビジョンを実現するための時間が確保できたことが重要なのです」
石垣さんはビジョンを実現するため、県内の小中学校の給食用に納めていた豆腐の原料の大豆を外国産から県産に切り替える提案を取引先20校に行った。結果、値上げになっても県産を使ってほしいという声が集まった。石垣さんは、外国産大豆を使わないと他社との価格競争に勝てず、顧客が離れると思い込んでいたが、実際は逆だった。学校側は、高くても県産の大豆を使ってほしいと考えていたのである。
タブレットレジとクレジットカード決済を組み合わせたモバイル決済サービスの導入は、予想外の効果を生んだ。豆腐をクレジットカードで買う客がいるのかと思うが、県産有機大豆の味を好み、安全・安心な豆腐を食べたいという人が、わざわざ買いに来てくれるようになった。
「ポイントはクレジットカードが使われたことではなくて、買い手の層が広がったこと。若い人や、食にこだわりのある人々に手にとってもらえるようになったことが、キャッシュレス化した本当の効果なのです」
ここでITを導入できない理由を思い出していただきたい。「ITを導入できる人材がいない」「導入効果が分からない、評価できない」「コストが負担できない」……。それらは失礼ながらすべて両国屋豆腐店に当てはまる項目だったが、自動化に成功した事実を見れば、ハードルでも障害でもないことを理解いただけるはずだ。
「ツールありきのアプローチではなく、ビジョンありきで仕組みを構築すべきです。そうしないとITを導入しても中小企業の生産性が上がらないと、私は思っています」
人手不足と後継者問題を解決するには
中小企業では創業者の夫が経営者で、妻が経理担当という例は珍しくない。40年、50年二人三脚でやってきて妻が引退すると、会社はたちまち行き詰まる。経理担当者を育てていないからだ。 御代田町のレタス農家・トップリバーは、大手外食チェーンへ食材を提供しており、年商15億円を売り上げている。経理や労務は、現在の専務(母親)が行っていたが、やり方が属人的で、引き継ぎなどが難しかった。そこで、経理・労務をクラウド化・自動化した上で、標準化しつつ、次世代へのスムーズな引き継ぎを実現した。
このことは何を意味しているのか。経理や労務の生産性が向上しただけでなく、属人的な仕事がなくなり、経理の状況が見える化された。さらに事業承継にも一役買ったのである。井領さんはIT化によって企業の最大の課題である「人の問題」が解決できると考えている。
企業によっては会計ソフトが動いていたり、生産管理システムが導入されていたりするケースもあるだろう。既存のシステムとは共存できるのか。井領さんは、次のようなケースで説明する。
「とある製造業では、生産管理システムをすでに導入していました。そのシステムは、課題はあれど使いやすい、必要最低限の機能があるという状態でした。そのため、ここには触れずに、タイムカード管理のような遅れている部分から改善していきました。70点を90点にするより、10点を90点にした方がインパクトが大きいのです」
顧客に伴走するシステム納品後が本番
IT業界のゴールはシステムの納品だった。だから、納品されたものの使いこなせないという話が当たり前のように聞こえてくる。
「システム会社は、豆腐屋を経営しているわけではありません。豆腐屋も、システムの専門家ではありません。この状態で、いきなり大きな投資をして、販売システム、レジ、会計システムなどを構築しても、結局ビジネスに適していないため、捨てることになる。これが、いわゆる従来のシステム受託開発の限界です。クラウドは、さまざまなサービスを組み合わせることができる。便利な機能が次々と出てきて、自動でアップデートされていく。一緒に育てる感覚ですね。違うと思ったら、自分に合わせてチューニングしていけばいい」
井領さんが料金設定をサブスクリプション型(毎月一定額を支払う)にしているのは、スタート後が本番と認識しているからだ。顧客に伴走しながらレクチャーしたり、手直しをしたりしているうちに、だんだん手が離れ契約が終わる。「そして新たな変化が起こったときに、また契約を結んでいただく。100年続くことを前提にした料金体系です」。
長野県は別にして、他の都道府県では、どのように伴走者を選べばいいのか。井領さんのアドバイスは簡単だった。
「100年先とは言わないまでも、5年、10年先のビジョンを考えてください。今、目の前の課題と戦ってはいけません。これからどんなビジネスにしたいのか。それに合わせたITシステムを入れるという未来志向の考え方になれば、必ず道は開けます」
IT化の成功のカギは、経営者のビジョンの中にある。
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