二つの世界基準を有する荒尾
荒尾市は熊本県西北端に位置する人口5万4000人ほどのまち。同市の北側は県境を挟んで福岡県大牟田市と隣接し、南側は同県の玉名市・長洲町に接している。東側には市内最高峰の小岱山(しょうだいさん)がそびえ、西側には有明海が広がり、その海を隔てて長崎県と佐賀県に面している。この有明海は最深部こそ165mほどあるものの、平均水深は20mほどで、全体的に遠浅な湾であることが特徴。その中央部東側に位置し、同市に面している「荒尾干潟」は、南北約9・1㎞、東西最大幅約3・2㎞、面積約1656 haで、単一の干潟としては国内有数の広さだ。シギ・チドリ類や希少なクロツラヘラサギをはじめとする多くの渡り鳥の中継地・越冬地としても知られる。2012年7月3日、この干潟が、その貴重な生態系から国際的に重要な湿地として「ラムサール条約湿地」に登録された。後述する世界文化遺産「万田坑」とあわせて二つの世界基準を有する地域は国内に6カ所しかなく、同市はその一つである。
また、同市は福岡市や熊本市からともに車や電車で1時間ほどの距離にあり、その通勤・通学圏となっている。実際、朝夕の上り下りの電車では、ビジネスマンや学生の姿を多く目にする。さらに熊本、佐賀、福岡の3空港に車で1時間程度で行くことができることから、大阪、名古屋、東京の三大都市圏へのアクセスも良好だ。
こうした地理的特徴を持つ荒尾市が、明治、大正、昭和の各時代の日本経済を石炭産業で支え発展してきたまちであることは、現在の様子からは想像しにくい。しかし、それは紛れもない事実である。そして、その荒尾市が今度は、将来に向けて“道路”というインフラを核に、交流・定住人口の増加を目指し、周辺地域も巻き込んで再び発展するべく、現在着々と準備を進めている。
日本最大級の炭鉱「万田坑」でわが国近代化を支えた荒尾
15年7月5日午後10時37分、待ちに待ったその瞬間が訪れた。ユネスコの第39回世界遺産委員会において、同市に所在する万田坑と専用鉄道敷跡を含む「明治日本の産業革命遺産」が、世界文化遺産に登録されることが発表された。同市のホームページを見ると、今でも当時のうれしさが伝わってくる。「この瞬間、『荒尾市の宝 万田坑』が晴れて『世界の宝』となりました」
同市と隣接する福岡県大牟田市にまたがるこの地域は、日本史の教科書でも重要語句として説明されている三井三池炭鉱のお膝元である。石炭との関わりは古く、室町時代までさかのぼる。地元の農夫、伝治左衛門が文明元(1479)年、三池郡稲荷(とうか)村の稲荷山(現在の大牟田市大浦町付近)で「燃ゆる石」(石炭)を発見したという伝承が残っている。その後、江戸時代になると、柳河(川)藩の家老、小野春信が享保6(1721)年から採掘を始め、その後、三池藩や久留米藩なども採掘に関わる。当時採掘された石炭は、主に瀬戸内地方の製塩用燃料として販売されていた。この三池炭鉱は明治6(1874)年、政府の官営炭鉱となり、その後、明治21(1889)年に三井組(三井財閥)に払い下げられた。ここから、近代日本の発展に寄与した同市の歴史が大きく動き出す。
当時の三井三池炭鉱の最高責任者(事務長)は團琢磨(だんたくま)。後に三井財閥の総帥となり、現在の日本経済団体連合会の前身となる日本経済聯盟会を設立、後年理事長、会長を務めた人物だ。その團は安政5(1858)年に福岡藩士馬廻役神尾宅之丞の四男として生まれた。12歳のときに福岡藩勘定奉行の團尚静の養子となり、藩校修猷館(しゅうゆうかん )に学ぶ。明治4(1871)年には、旧福岡藩主黒田長知の供として、同年から明治6(1873)年にかけて、アメリカおよびヨーロッパ諸国に派遣された岩倉使節団に同行して渡米。そのままマサチューセッツ工科大学に留学し鉱山学などを学んだ。帰国後は、大学の教員や政府の役人を務め、払い下げ前の三池炭鉱に鉱山局技師として赴任。払い下げ時に三井組(三井財閥)に移籍し(三池炭鉱に残り)、最高責任者となる。團は100年先を見据えた産業開発に取り組み、炭鉱を近代化させるとともに鉄道および港湾整備などを一気に進めた。
中でも明治30(1897)年に開発した万田坑は、明治35(1902)年完成の第一竪坑と明治41(1908)年完成の第二竪坑からなり、昭和20(1945)年頃までに1600万t以上の膨大な量の石炭を採掘。石油に切り替わるまで、わが国の近代化を支え続けた。これが世界文化遺産登録の理由の一つとなった。こうした歴史の変遷を振り返る荒尾商工会議所の那須良介会頭は「團琢磨がいなければ、三井三池炭鉱の発展ひいては荒尾市の発展はなかったかもしれません」と語る。
有明海沿岸道路で広域発展を目指す荒尾
「私は、荒尾商工会議所会頭のほかに、有明海沿岸道路『荒尾・玉名地域』整備促進期成会の会長も務めています」と差し出した名刺の荒尾商工会議所会頭と記載された面を裏返す那須会頭。
「有明海沿岸道路は、長崎県、佐賀県、福岡県、熊本県の主要都市を結ぶ重要な経済・物流道路です。福岡県と佐賀県では、一部供用され整備が進んでいます。2012年1月29日には、福岡県と熊本県の県境近くの三池港インターチェンジ(IC)まで延伸され供用が始まりました。この道路は、熊本、佐賀両県の県庁所在地を結ぶ国道208号の渋滞緩和のほか、バイパス機能としても期待されています。当面は、この道路を熊本県北沿岸地域(当市、長洲町、玉名地域)の長洲町まで延伸することにより、当市はもとより、大牟田市を中心として、長洲町(熊本県)南関(なんかん)町(同)みやま市(福岡県)柳川市(同)の4市2町で構成される有明圏域定住自立圏に、玉名市を加えた圏域(人口約40万人)での経済活動が、これまで以上に活性化することが望まれています。その結果、グリーンアジア国際戦略総合特区に指定されている大牟田市(年間工業出荷額約2771億円)と、名石浜工業団地(面積約110 ha)・有明工業団地(面積約160 ha)を有する長洲町(年間工業出荷額約1722億円)を中核として、この圏域全体での年間工業出荷額を、現在の約6000億円から念願の1兆円に引き上げる相乗効果も期待されています」(那須会頭)
さらに16年4月14日、16日に発生した熊本地震のときの役割について「鉄道や主要道路が寸断されてしまいましたが、地域高規格道路である有明海沿岸道路は、物流道路・観光道路以外にも、リダンダンシー(冗長性)機能として大きな役割を果たしました。近年、頻発・激甚化する災害への対応という観点からも、有明海沿岸道路こそが『命の道』として、より強靭(きょうじん)な国土軸の確保につながるインフラであり、その整備を早くしっかり進めていくことの重要性を認識しました」と、人々の生活に安心感をもたらす道路整備の加速化を那須会頭は訴える。
未来を見据えたまちづくりに挑む荒尾
那須会頭は荒尾市のまちづくりについて「当市は小さなまちですが、二つの拠点があります。一つは、有明海沿岸の荒尾競馬場跡地を含むJR荒尾駅周辺。もう一つは三井三池炭鉱の社宅があった内陸部の緑ヶ丘地区周辺です。この二つの拠点を核に市と協力してまちづくりを進めています」と語る。
このうち、荒尾競馬場跡地については「三池港ICから延伸される有明海沿岸道路が、12年3月に閉鎖した荒尾競馬場跡地を通る計画となっていることを荒尾市から示されています。コンセプトは『人・自然・新たな交流を育む ウエルネス拠点』。①有明海に面した豊かな自然環境を生かし、良質な居住拠点を形成、②子どもからお年寄りまで、多様な世代が安心して過ごせる交流拠点を形成、③交通アクセスを生かした、人々が集う観光・レジャーの発信拠点を形成、がコンセプトに基づく土地利用方針です。これらが実現すると交流・定住人口の増加につながるのでないでしょうか」と、その利用方法に期待を込めて話す那須会頭。 「また、これから建て替え工事が始まる荒尾市民病院は、二つの拠点の中間に位置し、有明海沿岸道路の延伸で佐賀や福岡、当市以南など市域外からの来院が見込まれることから、二つの拠点を結ぶ施設となります」と付け加える。
もう一つの拠点である緑ヶ丘地区周辺は、既に市民生活やレジャーなどの役割を持つ拠点となっている。
「三井三池炭鉱も石炭から石油への転換の流れや悲しい事故の発生などの影響もあり、次第に採掘量が減りました。こうした状況をみた荒尾市は、万田坑をはじめとする三井三池炭鉱で働く人々の社宅が立ち並んでいた広大な土地(緑ヶ丘地区)にいち早く注目しました。その跡地に当所も出資した第3セクターで運営する大型商業施設“あらおシティーモール”がオープンしたのが1997年4月。三井三池炭鉱の閉山が同じ年の3月でしたので、ちょうど入れ替わった形です。このモールは、オープンから20年たった今でも年間400万人以上を集客し、荒尾市民の台所にもなっています。第3セクターのショッピングモールとしては、数少ない黒字経営のモールです。さらに、このモールから1㎞圏内には、『グリーンランドリゾート』としてアトラクション数日本一で西日本最大級を誇り、2014年に創業50周年を迎えた遊園地やゴルフ場、あらお温泉、オフィシャルホテルがあり、年間約300万人を集客しています。九州自動車道の南関ICからほど近く、福岡市から1時間ほど、鹿児島市からでも2時間半ほどなので、車を利用して訪れる人が多いです。今後、有明海沿岸道路が延伸されれば、さらなる集客増に期待が高まります」
「また、今年の秋には、この遊園地(グリーンランド)を舞台にした映画『オズランド』が東宝系で全国ロードショー公開されます。主演は波瑠さんで、西島秀俊さんが共演します。出演者の衣装は、グリーンランドスタッフが着用しているユニホームと同じです。今から公開が楽しみです」(那須会頭)
過去に炭鉱の閉山という大きな出来事があったにもかかわらず、まちの拠点づくりによって人口減少を最小限に食い止めた荒尾市。今後は、交通アクセスの良さと買い物、レジャー、病院などの施設がそろう好立地を売りに交流・定住人口の増加を狙う。日常生活の安心安全に欠かせない地域高規格道路「有明海沿岸道路」の完成が楽しみである。
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