日本で開催されたラグビー・ワールドカップは日本の決勝トーナメント進出などもあって、予想以上の盛り上がりを見せた。注目すべきは、海外から日本に向けられる視線の変化である。ワールドカップに合わせて多数の外国人観光客が来日、知られざる日本の地方に足を運んだことで、日本の地方の持つ魅力が発掘されたことは大きな意味がある。また、停滞が長期化し、「日本病」とも称される日本経済が実は多様性、組織力、戦略性、俊敏さを持ち、これから期待できるという印象をラグビーを通じて示せたことも大きい。
振り返れば、戦後日本の先進国への躍進は、1964年10月10日の快晴の東京五輪開会式とともに始まった。正確かつ機能的な五輪運営と活気に満ちた東京のまちが世界にテレビで放映され、日本や日本製品への世界の評価を一変させたからだ。日本だけではない。88年のソウル五輪、2008年の北京五輪もまた韓国、中国に対する世界の評価を変えた。五輪はアスリートだけでなく、国にとっても登竜門になるのである。20年の2度目の東京五輪の後、22年に北京で冬季五輪、その次は、32年に韓国が南北共催で五輪に立候補するという構想も出ているが、そろそろアジアで4番目の五輪開催国が生まれてもいい頃だ。
インド、インドネシア、タイ、ベトナムなどがその候補だろう。ただ、開催には莫大な費用がかかり、今回の東京五輪でも経費分担で政府と東京都が対立する場面もあった。
24年のパリ五輪決定の際には当初、立候補した3都市が経済的理由で途中辞退、決選投票に進む前に候補が2都市になってしまった。
五輪開催の経済的ハードルは、ますます高くなっている。インド、インドネシアなどは十分な経済規模と人口を抱えているものの、財政状況は厳しい。もうひとつの大きな課題はメダル獲得だ。せっかく開催しながら金メダルゼロでは、開催国の面目が立たない。64年に日本は16個、88年に韓国は12個、08年に中国は48個の金メダルを獲得した。リオ五輪での金メダル獲得数はタイが2個、インドネシア、ベトナムが各1個、インドはゼロだった。アジアで開催の可能性のある国が、五輪までに2ケタの金メダルを獲得できる選手を育成できるかどうかも、開催の鍵を握っている。
だが、開催費用の捻出や選手育成である程度背伸びをすることこそ、五輪が成長のきっかけになる理由だ。アジアでの五輪開催という無謀にも思える夢に挑戦する、次の国が出ることに期待しよう。
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