2011年3月11日に起きた東日本大震災から早くも10年。今号では、これまでの復興の状況や現状の研究を続けている専門家と、甚大な被害を受けた宮古商工会議所(岩手県)、塩釜商工会議所(宮城県)、原町商工会議所(福島県)の各会頭に10年後の東北の未来予想図を語っていただいた。
総論 東北の被災地が最先端の地域になるために必要なこと
柳井 雅也(やない・まさや)/東北学院大学 教養学部地域構想学科 教授
東日本大震災の被災地に足を運び、現地での聞き取り調査などを行って復興の研究を続けている東北学院大学教養学部地域構想学科教授の柳井雅也さん。研究者だからこそ見えてきた被災地の現状と、10年後に向けた‶東北ビジョン〟について伺った。
被災地の復興に見え隠れする数字には表れない「光と影」
―岩手・宮城・福島三県の復興の現状について、全体としてどのように感じていますか。
柳井雅也さん(以下、柳井) 道路や鉄道の全線開通、農地や水産加工業の施設再開など、数字上では復興が進んでいるといわれています(「東日本大震災からの復興状況」図表参照)。しかし、実際に被災地を見に行くと、家が建つべきところに建っておらず空き地が目立つ地域とコンクリートの壁に覆われたような都市型の景観があり、光と影のコントラストがはっきりしている印象です。
産業やまちづくりについても、地域によって光と影がはっきりしています。光、つまり復興が進んでいる地域のキーワードは「共助と工夫」。そして影、つまり復興が遅れている地域のキーワードは「オーバースペックと未活用」です。
―まず、復興が進んでいる地域のキーワード「共助と工夫」について教えてください。
柳井 「共助」は、東北の人間の素朴さに裏打ちされた共に助け合う精神です。人と人とのつながりを表す言葉では「絆」がよく使われますが、絆のもともとの意味は上下関係を含んでいます。対等な相互関係を結ぶときには「共助」という言葉がふさわしいでしょう。
被災地で復興に必要な共助の条件には次の三つがあります。①地域内が共助の精神でまとまっているところ。②若者が主役になるか、外部の支援組織と知恵のネットワークでつながっているところ。③ビルド・バック・ベター(より良き再建)の精神で、新しいことにもチャレンジしているところ。これらのどれかが欠けていても苦戦してしまいます。
―具体的には、どのようなことでしょうか。
柳井 共助を産業面として捉えると、今までの東北は漁業協同組合のような同業者のヨコのつながりが多かった。大震災後、異なる業者が得意の技術や販路を持ち寄ってタテのつながり、つまりサプライチェーンを形成する動きも出てきています。
漁業なら、現地で原料を取る漁師、加工業者、運送業者、そして小売店や飲食店というつながりです。宮城県石巻市ではカキやホタテなどを「日高見(ひたかみ)の国」という統一ブランドで、香港や台湾に共同で輸出する連携事業が生まれています。
共助とともに出てきたのが「工夫」です。マーケットを意識したパッケージやSNSを使ったPRなどは、この10年で東北が得た‶武器〟といえるでしょう。
―復興が遅れている地域についてのキーワード、まず「オーバースペック」から教えてください。
柳井 震災直後は、国の方針として「震災前に戻す」といわれていました。しかし、被災地では人口減少が進んでおり、震災直後に計画されたものがオーバースペックになっている。例えば大きすぎる役場、人がいない場所にある防潮堤などです。また岩手県大槌町では人口減少や不在地主化(地主が死亡、または遠方に在住)などを十分織り込めず、空き地の中に家が建つ状況になりました。私が懸念しているのは「整備はしたけれど、誰も来てくれない」まちづくりです。「身の丈」にあった復興が求められるのではないでしょうか。
―続いて「未活用」とはどういうことですか。
柳井 石巻市では、新しい市街地が内陸部にできて、中心商店街は一層衰退してしまいました。また防災集団移転跡地(防災集団移転促進事業により住民が移転した跡地)でも空地が目立ち、仙台のような都市部以外では祈念公園やグランドなどの活用にとどまっています。今後の維持管理費も心配です。
若者による「希望の光」は、原発事故の被害地域を照らす
―原発事故の影響が大きい福島県浜通り地域の復興状況については、どのように感じていますか。
柳井 災害には自然災害と事故災害がありますが、福島県はこの両方を被った地域だと思います。帰還困難地域がいまだに残り、故郷に戻れない人の気持ちはいくばくかと思わざるを得ません。
それでも少しずつ若者が希望の光を届けています。楢葉町では、築70年の古民家が「木戸の交民家」としてよみがえり、人々の交流拠点になっています。
今後は買い物ができる場所、金融機能、医療施設などの再生はもちろん、新しい仕事をつくり出す必要があるでしょう。破壊されたコミュニティの再生だけではなく、若者にとって魅力的な可能性のある土地として、仕組みづくりをする必要があるのではないでしょうか。
―柳井さんが座長を務められ、復興庁が発行した「岩手・宮城・福島の産業復興事例集30」(以下、事例集)の中で、特に興味を持った事例はありますか。
柳井 岩手県で注目したのは、鶏肉を生産する二戸市の十文字チキンカンパニーの事例です。企業は一般に、機械化・省力化でコストダウンを図ります。しかし、同社はあえて人手をかけることで、鶏肉加工作業における歩留まりの向上と品質の確保、雇用の拡大を優先させました。
東北の産業の優位性は、海外ではつくれず、それでいて首都圏ではコスト的に合わない商品を手間暇かけてつくれるところにあります。
―事例集のうち、地域交流や観光について特筆すべき事例を教えてください。
柳井 大船渡市でエリアマネジメントなどを行うキャッセン大船渡は、商業地と少し離れた住宅地とのコミュニティづくりをしています。年間200回くらいのイベントを開催し、居住地域にいる人も観光客も引き付けようという作戦。交流事業を意識的に仕掛けて、にぎわいを取り戻しています。
また、陸前高田市の商業施設「CAMOCY」(カモシー/2021年3月中旬本格開業予定)による「発酵の里」づくりの今後にも注目です。この施設は、みそやしょうゆを製造する八木澤商店など地元経営者と、外部の若者がタッグを組んでいます。経営者たちは震災直後、事業再開と地元高校生の新規採用を継続することを決め、それがカモシーにつながっています。人と人とのつながりを大事にしているところは強いです。
今後の支援に必要なのは「人とのつながり」
―被災地に今後も必要な支援は、どのように考えていますか。
柳井 失われた悲しみを背負っている人と、生き残った人、企業と人、そして企業と企業をつなぎ合わせる中で、地域経済のつながりを再生・創造する。復興に必要なのは、お金ではなくて「人」です。
―人がつながるための支援が必要ということですか。
柳井 そうです。例えば、生産者から飲食店までをサプライチェーンでつないであげることで、やる気のある事業者が新たな販路を手に入れたりすることができると思います。
マーケットを広げる意味では、国際標準を目指すことも大事です。食品工場などのHACCP※、農産物のグローバルGAPなどです。
行政や支援機関は、そのための制度設計や場の提供、資金や人材支援を行う必要があるのです。つながりをきちんとつくった上で、新しい働き方やマーケットのつかみ方を再生し、創造します。
つながりをつくっていない状態で、表面的に「他との違いを出そう」とやっていると、うまくいかなくなるんですよ。
―人と人との新しいつながりをしっかりつくってから、働き方やマーケットを広げるんですね。
柳井 被災地には外部から来て企業を立ち上げた人もいます。彼らは、いろいろな勘や国際的な感覚を持っています。だから、もっと交流のパイプを太くして、そういう人たちの技術をうまく取り込む。それが新しいタイプの「共助」です。
そうすれば、人口減少下にあっても、いいアイデアや新しいビジネスモデルが実行しやすくなると思います。
フィールドワークを通じて自ら考え、行動できる学生に
―復興の現状は地域によってさまざまですが、東北学院大学地域構想学科では教授として、学生にどのように指導していますか。
柳井 被災地から教訓として何を学び、それを産業や経済にどう生かすのかを学ぶのが私のゼミです。単に現場を見て終わり、情報を収集して終わりではなく、自分の頭で考えて行動するには、「LOOK=目を向ける」「WATCH=意識してしっかり見る」「ACT=行動する」という段階が必要です。
―現地に足を運ぶフィールドワークが中心ということですが、どのような授業ですか。
柳井 昨年は、福島県の土湯温泉で民芸品のこけしをつくる工人の調査、宮城県石巻市で水産加工業に関する調査、仙台市では防災集団移転跡地にできる観光複合施設の調査に行きました。
土湯温泉は原発から離れた内陸部にあるのですが、震災後は風評被害があり、その現場を見て、衝撃を肌で感じてもらいました。石巻市では、震災後の経営立て直しの話などを聞き、しっかりと現場を見つめてきました。そして仙台市の防集移転跡地では、温泉と観光農園などの施設がこれからオープンするので、そこで企画を立てました。施設の利活用やイベント、食材の活用など50の企画を、私と学生とで考えて提案しました。
―いろいろな被災地を回って、現地で調査をするんですね。
柳井 被災地の多様な産業活動を通じて、被災地の現状と課題を考えてもらい、自分で調査対象にアプローチして自ら考え、行動できる人に育てばいいと考えています。
10年後は被災地が最先端の場に
―「10年後の東北」について、どのように考えていますか。
柳井 これまでお話ししてきたように、東北が震災から10年間で学んだのは「共助」と「工夫」です。以前の東北人はいずれも下手でしたが、外部からさまざまな人が来て教えてくれたので「ものは良いのに、売り方が悪かった」などと東北の人々も気付きました。
こうした気付きは、次の10年にきちんと受け継がれていくべき「資産」であり、その資産を次の10年に生かすべきです。
―10年後は、今の若者たちが活躍する時代になっていますね。
柳井 そうです。現在、被災地では多くの若者が「自分らしく」「楽しく」「力を抜いて」未来を見つめて頑張っています。彼らは今20代なら、10年後には30代です。
その頃には、人もドローンタクシーで空を飛ぶようになり、ロボットも今より人間に近くなるでしょう。そういう時代には、人と人がつながるコミュニケーションの力が武器になると思います。
そして価値観も変わり、今は最も遅れているような地域が、未来には最先端になっていることもあり得ます。料亭レベルのおいしい刺し身に舌鼓を打ちながら、仕事ができる。そういう場所は、震災を経た被災地ではないでしょうか。
だから10年後には、都会ではなく東北や地方が「もっと注目される魅力のある場所」になり得るのです。その時、被災地がその先頭になるように今から「納得感のあるいい地域」を再生・創造していきましょう。そのためにも、次に続く若者に期待したいですね。
※HACCP(ハサップ):「Hazard(危害)」「Analysis(分析)」「Critical(重要)」「Control(管理)」「Point(点)」
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