「大根は、これくらいでお願いします」
客が指で五センチメートルほどの幅を示すと、スタッフが包丁を入れる。隣では、持参したガラス瓶にナッツを移す人がいる。棚にはコメ、豆、パスタ、調味料が大きな容器に収まり、野菜や果物には袋もトレーもない。
電子計量器の音、瓶に豆が落ちる乾いた音、総菜の香り。京都市上京区の「斗々屋」では、イチゴ2粒、卵1個から買うことができる。客は売り手が決めた容量ではなく、今日の暮らしに必要な量を自分で選べるのだ。
量り売りは、決して新しい販売方法ではない。かつてまちの商店では、みそもしょうゆも豆も、客の家族構成や懐具合に応じて売られていた。斗々屋が現代によみがえらせたのは、その売り方だけではない。限りある資源を使い過ぎず、食品を捨てず、それでも店が利益を残して続いていく仕組みである。
代表の梅田温子さんは、料理人として渡仏した後、オーガニック食材やワインの輸入卸に携わった。その仕事の中で、自然の中で丁寧につくられた食品が使い捨ての包装に包まれて流通することに違和感を抱いた。ならば、包装をなくした商いをつくろうと考え、環境への思いを啓発で終わらせず、毎日の買い物として実践できる店にしたのである。
便利さの裏側に潜む代償を見直す
商品を個包装すれば、運びやすく、数えやすく、棚にも並べやすい。しかし、食べ終えた後には袋やトレーが残る。容量が暮らしに合わなければ、中身まで余らせる。包装がもたらした便利さの陰で、資源と食品の二つの無駄が生まれてきた。
その構造を改めて意識させたのが今春に広がったナフサの供給不安、いわゆる「ナフサショック」である。ナフサはプラスチック製品の基礎原料となる。中東情勢の影響を受け、石油化学業界は中東以外からの調達を増やし、在庫を活用して供給を維持した。しかし、私たちの身近な包装材が海外の資源と複雑な供給網に依存している現実が浮き彫りになった。
包装を減らすことの意義は、もはや環境への配慮にとどまらない。原材料価格の高騰や供給の混乱に左右されにくい店をつくるためでもある。
斗々屋は店頭の包装を外すだけでなく、取引先とも相談し、繰り返し使える容器で仕入れる。乾燥しやすい野菜の陳列や納豆の容器なども、つくり手と試行錯誤してきた。買い手は1人暮らしなら少量を、新しい食材なら試す分だけ選べる。商品に暮らしを合わせるのではなく、暮らしに商品を合わせるのである。
捨てないことを利益に変える
斗々屋の真価は、善いことを訴えるだけで終わらないところにある。売り場で残りそうな野菜や果物は、店内の厨房で総菜、スープ、カレー、瓶詰めへ姿を変える。2025年に始まった朝食も、売り場のコメや野菜、豆腐、発酵食品を一膳に仕立てたものだ。
食材が動くのは売り場から厨房までのわずかな距離だ。包装費や物流費を抑え、食品ロスをほとんど出さないから素材の質を落とさず価格を抑えられる。 環境に良い買い物は、手間がかかり、価格も高いと思われがちである。そこで斗々屋は、総菜を入り口近くに置き、持ち帰り商品を充実させ、容器を忘れた客には貸し出すなど利用の壁を下げてきた。
店を改装した後には、総菜やイートインの売り上げが大きく伸び、近隣住民の利用も増えた。理念を日常の便利さに翻訳した結果である。
自店だけが繁盛すればよいとも考えていない。商品、什器(じゅうき)、衛生管理、運営方法を他店へ提供し、量り売りに取り組む仲間を全国へ広げている。自社の技を囲い込むのではなく、同じ志を持つ店を増やすことで、社会の買い方そのものを変えようとしている。
連載のテーマ「商いの心」とは、目の前の客だけでなく、未来の客にも責任を持つことである。「商いの技」とは、その思いを利益の残る仕組みに変えることである。包まない。余らせない。捨てずに別の商品へ生かす。客に我慢を求めるのではなく、必要な分だけ買える便利さを届ける。
社会の変化を嘆くのではなく、売り方を変えて新しい日常をつくる。斗々屋の売り場には、商品と共に資源に振り回されにくい小売業の姿が並んでいる。
(商い未来研究所・笹井清範)
