製造業のIT化には生産性を高めるという明確な目的があり、現場ではITが主役として活躍している。その点、接客業は違う。京都の老舗旅館・綿善では、ITを従業員が効率よく仕事をするためのツールと位置づけている。いわば脇役だからIT班などは置かず、開発や保守は信頼できる外部に任せているという。
一部従業員の抵抗に遭うも職場環境改善を貫く
今から190年前の天保元年、京都市中京区に薬屋を営んでいた綿屋善兵衛が開いた綿善旅館に現在の若おかみ・小野雅世さんが一従業員として入社したのは2011年。メガバンクの総合職からの転身だけに、「作業効率の悪さ、従業員間の風通しの悪さが目立つ働きにくい職場という印象を受けた」という。15年から役員・若おかみとなり、本格的に職場環境の改善に乗り出し、仕事場の整理整頓から始めたものの、旧来のやり方を変えようとしない一部の従業員からは抵抗に遭った。
改善に行き詰まりを感じたころ、観光庁の「宿泊業の生産性向上推進事業」を受けて、日本旅館協会が全国の会員を対象に募集した「モデル旅館ホテル」に応募、小規模旅館のモデルに選ばれ生産性向上という視点で日本生産性本部のコンサルタントに業務を見てもらった。小野さんはコンサルタントからは基本的な考え方や手法に関する助言を受けつつ、抱いている改善後の姿が明確だったため、具体的な進行を主導した。
綿善が抱えていた課題は、⑴全社応援体制が組まれておらず、繁忙時に人手不足となる、⑵客室係とフロント係の情報連絡が時間的にも体力的にも非効率である、という2点を含む計5点だった。
⑴の改善の障害は、冒頭の一部の従業員からの抵抗だ。綿善で働く人みんながより働きやすくなるよう作業を効率化し、他の人の領域もカバーできるような働き方に変えようと提案したのだが、「それってオレの業務が増えるだけで何のメリットがあるのですか」と反発されたという。それでも、小野さんは改善の姿勢を崩さなかった。結果、およそ20人の正社員のうち4人が辞めてしまった。繁忙期だっただけに「私が頭を下げて引き留めるべきか」と悩んだが、残った従業員は「(仕事量が増えて)体力的にはしんどいけれど、精神的にはいない方がいい」と支持してくれた。
タブレットとLINEで身の丈ITを実現
⑵の指摘通り、ITの‶普及〟も遅れていた。予約管理システムが稼働しているにもかかわらず、お客さまの予約は1冊の紙台帳に記入するという意味のない二重方式だった。「紙だから安心」という思い込みと、パソコンに対する抵抗感があったためだが、小野さんが紙台帳を廃止したところ、やはり一部の従業員が抵抗、パソコンの予約管理システム画面を見ることを拒んで、「わたし、ITの台帳は見れへんから」と、他の従業員に口頭で予約の有無や内容を聞くようになったという。
ここでも小野さんは踏ん張った。紙台帳廃止を貫く一方で、⑵を改善するため、従業員の提案を採用して、フロントと各階のパントリー(配膳室)にタブレット端末を置き、メッセージアプリのLINEで情報のやりとりをする簡単な方式を採用した。「LINEは従業員がプライベートでも使っているので抵抗なく受け入れてもらえました。70代の従業員だけ、初体験でしたが、すぐに使えるようになりました」
メッセージの内容はシンプルだ。例えば401号室のお客さまがチェックアウトすると、フロントが「401アウト」という短いメッセージを送る。パントリーに待機している担当が確認して掃除を始める。フロントは「既読」が付いたことで、情報が伝わったことを知る。それまでは両者のやりとりは内線電話だった。フロントが接客で忙しくて電話に出られないときは、各フロアの担当者がフロントまで出向いていた。従業員用エレベーターが混み合っているときは階段を使うので時間がかかり、体力も消耗した。
綿善が改善やIT導入に成功した理由は二つある。まず、一気に変えたこと。「徐々に変えるとずっと抵抗が続く。コテっと変えれば抵抗も一瞬です。ただし、変えてみてだめなら無理を通さずに元の形に戻すか、違う形を考える。そこはぶれないようにしています」
もう一つが外部の専門家の起用だ。IT導入では「社内にIT班があるわけではないので専門家(エン・トラスト情報開発京都オフィス)を頼りました」。そして良好な関係を築く。だから小野さんがシステムのアイデアを思いついて担当者に「こんなことはできませんか?」とLINEをすると、「すぐに返事がもらえます。餅屋は餅屋ですね」。
宿泊業界には高機能で高価なルームインジケーター(客室管理システム)があるが、綿善はそれに匹敵する仕組みを身の丈ITによって実現した。
会社データ
社名:株式会社綿善
所在地:京都市中京区柳馬場通六角下ル井筒屋町413
電話:075-223-0111
HP:https://www.watazen.com/sp/
代表者:小野善三 代表取締役
従業員:約20人(正社員)
※月刊石垣2020年5月号に掲載された記事です。
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