時代の変遷とともに地域に残された古いまち並みや建物を保護・整備し、新たな観光資源として再活用することでにぎわいを取り戻したまちがある。一度は、忘れ去られようとしていた地域の遺産はいかにしてよみがえったのか……。各地の商工会議所や商店街の取り組みをリポートする。
事例1 「こみせ」という歴史的資源を生かしまちづくりと人づくりを進めていく
こみせ通り商店街(青森県黒石市)
青森県の中央にあり、東に八甲田山、西に〝津軽富士〟と呼ばれる岩木山を望む黒石市に、江戸時代から続く古いまち並みのこみせ通り商店街がある。ここには日本最古ともいわれる木造のアーケード「こみせ」(小見世)が今も残る。地元の商店主たちが中心となり、その歴史的遺産を生かした古くて新しい商店街づくりを進め、まちを活性化しようとしている。
まちの誇りを次世代へ残していく
黒石市の歴史は今から約360年前の明暦2(1656)年に、弘前藩の津軽信英(のぶふさ)が藩から5千石の分知(領地の分割相続)を受け、黒石津軽家を創立して移り住んできたことから始まる。信英が以前からの町並みに新しいまち割り(まちの区画)を行った際、それに合わせて商人町に「こみせ」がつくられたのだという。
「こみせ」とは、雪よけのために建物の通り沿いにひさし状の屋根を設置してその下を通路としたもの。同じ雪国である新潟県にも「雁木(がんぎ)」と呼ばれる同様のものがある。黒石のこみせは江戸時代の最盛期には全長4・8㎞にも及び、通り沿いの商店やそこを通る住民にとって、なくてはならないものとなっていた。
「それから黒石は宿場町として発展し、昭和の高度成長期には隣の弘前市より商業的に栄えていたほどでした。こみせは明治時代の大火や道路の拡張、建物の取り壊しなどで減ってしまいましたが、それでもこみせはまちの誇りであり、今あるところだけでも残していこうと商店街全体で努力しているところです」と、こみせ通り商店街振興組合の理事長である村上陽心さんは言う。
かつては人通りも多いにぎやかな商店街だったこみせ通りだが、高度成長期とともに車社会の時代が訪れ、人の流れが徐々に変わっていってしまった。交通アクセスが良くなり、車で隣の弘前まで行ってしまう人が増えたのだ。さらに大きな影響を与えたのが、昭和61年に郊外に大型ショッピングセンターができたことだった。
「それまでは商店街にゲームセンターや小さなデパートもあり、みんなそこに行っていたのですが、郊外に大型店ができてからは、商店街の人たちでさえ、そちらに行くようになってしまいました。僕も小さいころは友だちとよく遊びに行っていましたから」と村上さんは笑う。
しかし同じころ、こみせ通りにある老舗造り酒屋の中村亀吉酒造が、NHKの大河ドラマ『いのち』(昭和61年放映、主演・三田佳子)の舞台となったことから、こみせ通りが全国的に注目を集めるようになり、徐々にまちが動き始めた。
まちを育てることで商店街を盛り上げていく
「せっかくのこの機会に黒石をPRするためにも、メインの観光スポットであるこみせ通りをどうにかして周知しようという機運が出てきました。そこで、お祭りを通じて世に知らしめようと、黒石商工会議所が中心となって『黒石こみせまつり』を始めたのです」と村上さんは語る。以来、この祭りはこみせの歴史的文化遺産としての価値や認識を深めながら、まちの商業活性化を図ることを目的に毎年9月中旬に開催され、昨年で31回目を迎えた。さらに昭和62年には、建設省(当時)が道の美観と機動性を基準に選定した「日本の道百選」の一つにこみせ通りが選ばれた。
その後、昔からの商家が倒産して旧家が競売にかけられることになると、まちの有志が資金を出し合ってそれを購入。その建物で地元産品や土産物を販売する「こみせ駅」を開設するなど、地域の住民が協力して通りの景観を守る努力を続けていった。そして平成6年には、一つの通りで交差点を境に二つに分かれていた中町商店会と前町商店会を一つにまとめ、「こみせ通り商店街振興組合」を設立。通りに並ぶ商店の店主たちが一丸となって商店街を盛り上げようとした。
しかし、商店街だけが頑張っても、観光客の数が増えることはなく、まちはなかなか活性化していかない。そこで、歴史や文化も含めたまちそのものを育てていこうと、24年に商店街のメンバーを中心に黒石を愛する人たち10人が集まり、黒石商工会議所や行政の協力も得て「横町十文字まちそだて会」が誕生した。会の名前は、中町と前町からなる一本の通りと横町の通りとが十文字に交差している。この一帯を中心にまち全体を育てていこうという思いから付けられた。村上さんはその理事長も務めている。
「家や職場・学校といった日常の場とは違う、くつろげる〝第三の場〟を商店街やまちにつくるというコンセプトで発足しました。その中で試行錯誤するうちに26年から始めたのが、ボランティアが観光客を案内する『まち歩きツアー』です。観光客に黒石の魅力を知ってもらい、それが商店街の商売につながればと始めたんです」
次世代のリーダーを育てつつ黒石らしさを追求する
まち歩きツアーは1年に十数回行われ、これまでに年200〜300人の観光客が参加している。この活動により自分のまちをもっと知りたい、人に伝えたいという地元の若者が増えていると村上さんは言う。「今ではまちそだて会のメンバーは25人に増え、ツアーのガイドも最初3人だったのが、今では10人に増加しました。みんな自分の得意分野を持っていて、歴史的ツアーや消防団の屯所を巡るマニアックなツアー、庭園巡りなどを担当しています。まちづくりの取り組みに積極的に向かっていく若い人が増えたのが収穫ですね」
とはいえ、こみせ通りを訪れる観光客を大きく増やし、商店街を活性化させるまでにはまだ至っていないとも村上さんは言う。「5年前に比べて少なからず観光客は増えていますが、まだ微増程度です。商店街の対応も遅れていて、観光客が増える日曜日に店を閉めているところもまだある。観光客が増えたとしても、受け皿が整っていないのが実情です。これを改善していかないといけません」
その一方で明るい展望も見えている。まちそだて会では次世代のリーダーを育てていくために、小学生から高校生までを対象にまち歩きガイドの育成に力を入れている。今では小学生がガイドを務めて親御さんや先生を相手にツアーを行うこともあるという。そのような活動やまち歩きツアーが認められ、青森県を訪れた観光客に心温まるおもてなしを実践している団体を表彰する「おもてなしアワード2016」(青森県主催)で、横町十文字まちそだて会は最高賞の県知事賞を受賞した。
「まちづくりは人づくり。これからもいろいろな人を巻き込んで、外にアピールできる黒石らしさを追求していきたい。そして、商店街、まちの人たち、行政、商工会議所などと一緒に同じ目標に進んでいけば、いつかは黒石にもっと多くの人が訪れるようになるはず。それがみんなの思いなんです」と村上さんは最後に熱く語った。
まちづくりは一人の人間、一つの団体だけではなかなか難しい。こみせ通り商店街は、こみせという歴史的遺産を生かし、さまざまな団体や人を巻き込み、これからもまちづくりを推し進めていく。
※月刊石垣2017年5月号に掲載された記事です。
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