事例2 地元の旬の味を食卓へ 高齢者の支持を得た和惣菜の通販
マーマ食品(岩手県花巻市)
岩手県の花巻市で、「中食」市場での大手との差別化に頭を悩ませていたのが、60年近く惣菜の製造卸業を営んでいる「マーマ食品」だ。少子高齢化の進展は、同時に消費カロリーの減少でもある。「食」は、その時代や人々のライフスタイルなどと密接なつながりを持っている。従って、そこに生きる企業には、常に時代への対応力が求められる。マーマ食品では、東日本大震災をきっかけに、岩手県内の良質な食材を使った惣菜の通販に乗り出した。それが、「毎日のお惣菜」の頒布会だ。70〜80代の高齢者から好評を得て、順調な伸びを見せている。
生き残るためには製造・販売するしかない
「マーマ食品」の創業は昭和33年のこと。現社長の伊藤恒利さんの両親が、自宅で味付けメンマやひじき煮などの惣菜製造を始め、それを自転車で商店に卸していたのが創業時の姿だ。以来、独自の商品開発も加えながら、和惣菜の製造卸を業務の中心に据えてきた。「日本の〝食〟が変わってきたのは、大阪万博が開かれた45年頃だと思います。ケンタッキー・フライド・チキンが初上陸したのも、すかいらーく1号店が開業したのもこの年です。翌年には、日本マクドナルド、ミスタードーナツ、ロイヤルホスト。さらに47年にロッテリア、モスバーガー、48年にはデニーズ、サイゼリアと、今を代表する外食産業が次々に登場してきたのです。それまで全くなかったメニューが普及し、日本人の食生活はその形態とともに、ガラリと変わってきました」(伊藤さん)
その後、外食産業は成長産業となって、50年には8兆6000億円だった売上高が、平成9年には29兆1000億円と、なんと3倍以上にまでなった。しかし、ここをピークに、25年の売上高は23兆円台まで落ちてきている。
「その一方、惣菜をはじめとした〝調理済みのもの〟を買って、自宅で食べるいわゆる『中食』産業の売上高は54年で9674億円、外食産業がピークだった平成9年には4兆3000億円。25年には8兆7000億円にまで売上を伸ばしています」
かつては、惣菜を買って帰り、そのまま食卓に乗せるのは恥ずかしいことだった。しかし、それが、いまや当たり前の時代になってきたのだ。すると、大手スーパーなどは惣菜を内製化しはじめ、コンビニも取り扱いを始める。こうした動きの中で、単に惣菜の製造卸だけをやっていては限界が見えてきた。「生き残るには一般向けに製造販売するしかない」(伊藤さん)。だが、それも簡単なことではなかった。
人口減の中で生き残る道を模索
「わが社がある花巻は、空港はあるし、新幹線の駅もある。高速道路のICにいたっては四つもある市です。こんな恵まれたまちでも、年々、人口は減っているのです。東北六県でも、人口10万人を超える所は、県庁所在地を除くと、わずかになるんじゃないかといわれています。半径100㎞以内に人口が増える所がなく、減っていくばかりの地域でどうやったら惣菜をなりわいに生きていけるのだろうかと、ずっと考えていました」
惣菜では、大手の柿安本店、ロック・フィールド、まつおかなどは自社で工場を持ち、店舗も全国各地に展開して成功を収めている。しかし、地場を相手にした中小企業は大手の傘下に入るか、廃業に追い込まれているのが実情だと伊藤さんは嘆く。
「デパ地下やエキナカの惣菜で伸びているのはサラダ類です。昔のような、卯の花、切り干しなどの和惣菜は落ちてきています。食生活は和惣菜ではなく、洋惣菜を求める傾向にあります。ただ、どこのセミナーに行っても、高齢者向け商品は伸びていると聞いていたので悩みました」
であれば、高齢者向け惣菜をやればよいと誰もが思う。しかし、養生食・介護食などに用いられる嚥下食(やわらか食品とも)などは大手が独占していて、新規参入は厳しい。健康で食を楽しみたいと思っている人に向けて、何ができるだろうか、伊藤さんは自らに問い続けた。
三陸の幸を全国に
そんな折、23年3月11日、東日本大震災が東北を襲う。「工場もやられ、電気も通らずに操業は停止せざるを得ませんでした。しかし、沿岸部の津波被害のことを考えると、やはり居ても立ってもいられませんでした。4日目には、自社工場にあった惣菜を支援物資としてトラックに載せて、被災地に向かいました」。
訪れたのは、県内の山田町だった。黒いがれきの中に、国旗と町旗が翻る避難場所になっている役場では、載せてきた惣菜がとても喜ばれた。
「行くたびに必要なものが変わっていくんです。そんな中で、あらためて〝食〟の大事さ、問題なども考えさせられました」
2カ月後、物流は動き出した。しかし、一向に三陸の物は入ってこない。輸入品を使ってしのいでいたが、地場の物が入ってこないだけでも、惣菜づくりには大打撃だった。地元を意識したのは、東日本大震災がきっかけだった。「かつて、京都のノムラフーズの野村善彦元社長から、『旬の地の物を使って、棒ダラなどをだしと合わせて惣菜をつくる、旬の物と合わせ物、それが京のおばんざいだ』という話を聞いたことを思い出しました。そうか、岩手の花巻に自分の会社があるという意味をあまりにも考えてなかったと、震災のときに、そのことをあらためて突き付けられました」。
岩手は三陸の海の幸、山菜やきのこなど山の幸に恵まれている土地。だったら、その素晴らしい食材を使って、旬の惣菜をつくり、全国の多くの人に和食の良さを届けたい。そんな思いが結実してできたのが「毎日のお惣菜」の頒布会だった。復興支援の意味もあったが、前面には出さなかった。25年10月に新聞広告を打ち、翌月から通販を開始した。
当初は、50〜60代を狙っていたというが、ふたを開けてみると、70〜80代が購入者の8割を占めた。「その年代だと、ご自分で毎日、惣菜をつくっていた人たちだと思うんです。そうした人たちの支持を得たというのは、何よりうれしい誤算でした」。
最初の1年は2000件、そして、今年の6月には5000件になる見込みだという。7月には、全体の売上の3分の1を「毎日のお惣菜」が占めるともいう。まだまだ先行投資に見合った売上にはなっていないが、この事業に対する期待は大きいという。「今後は設備を整え、うちの事業の核として育てていきたい」と伊藤さんは語ってくれた。
会社データ
社 名:株式会社マーマ食品
住 所:岩手県花巻市桜町4-241-2
電 話:0198-24-6811
代表者:伊藤 恒利 代表取締役社長
従業員:70人
※月刊石垣2015年4月号に掲載された記事です。
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