「女性の活躍推進」が注目される中、すでに第一線で活躍している女性経営者がいる。今号は、彼女たちの経営理念とビジョン、企業のミッションに迫り、日本を元気にする女性経営者の目線の先にあるものを探った。
事例1 巻頭レポート 女性ならではの目線で自分の経営哲学を貫くことが大事
父の死で経営危機に陥った町工場を引き継いだ32歳の2代目女性社長がわずか3年で立て直すことに成功した社内改革とは?
ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪 貴子さん(東京都大田区)
平成24年度、東京商工会議所の「勇気ある経営大賞」優秀賞、月刊誌『日経WOMAN』の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞など数々の表彰を受けたダイヤ精機社長の諏訪貴子さん。彼女は父から引き継いだ会社を再建し、生産管理のIT化や若手育成の手法などを同業者に積極的に公開して、中小企業経営者だけでなく政府関係者からも注目されている「女性経営者」である。
「お前に社長ができるのか?」
平成16年5月、急逝した父の後を継いで二代目社長に就任した諏訪さんが取引銀行へあいさつに行くと、支店長に「社長? 大丈夫なのか? お前」と、真顔で心配された。お前呼ばわりした支店長に悪気があったわけではないだろう。ただ、社会経験が少なく、自社でもほとんど働いたことのない32歳の女性を前にして、頑固な職人集団を統率して経営が悪化している町工場を再建できるのかと不安にかられたのだろう。
なにしろ当時の諏訪さんの経歴は、父の意向で大学の工学部を卒業して家業の取引先でもある大手企業で2年間働いた後、結婚退職して専業主婦になったというもの。その後、父に請われて二度ダイヤ精機に入社したものの、二度とも短期間で解雇されている。理由は、バブル崩壊後の不況により悪化した経営の改革案として、二回とも社員のリストラを提案したためだった。営業、製造、設計の3部門のうち、不採算の設計部門の3人と、社長秘書、運転手は不要と判断したのだが、父は社員の雇用を守りつつ業績を向上させる改革計画を期待していたのである。
16年3月、父から会社を手伝ってほしいと三度目の依頼があった。しかし正式に入社する前に、父が亡くなってしまう。そのため、諏訪さんは当然、3人の幹部社員の中から新社長が選ばれるものと思っていた。ところが幹部たちは「全力で支えるから、社長を引き受けてほしい」と頼んできた。
ダイヤ精機は小さな町工場とはいえ、国内でも有数の超精密加工技術を持つ会社である。社員も27人(当時)抱えている。経営者として会社を再建し、事業を継続することができるのか。不安でいっぱいの社長就任に追い打ちをかけたのが、冒頭に紹介したような銀行の見る目であった。就任後すぐに同規模の会社との合併話がもちかけられ、新会社にポストはないと退任を迫られるほど厳しいものだった。「製造業にとって女性経営者は対外的にマイナス要素であり、32歳の若さは頼りない、信用できないというデメリットでしかなかったのです」(諏訪さん)。
しかし、諏訪さんは銀行に半年間の猶予をもらい、経営再建に取り組んだ。まず懸案だったリストラを断行。「経営者の立場でリストラを告げることがどれほどつらいことなのか、身に染みて分かりました」。だが、これは社内に、幹部社員に担がれているお飾り社長ではなく、実権を持った社長であることを示すことにもなった。
スピード感を意識した「3年の改革」を断行
諏訪さんにはツキもあった。就任からわずか2カ月後、主要取引先の自動車会社からの注文が急増。新ラインの立ち上げが決まり、主力製品のゲージや治工具(じこうぐ)が必要になったのである。おかげで17年7月期の売上高は前年比14・2%増の3億700万円を達成した。
こうして当面の経営難に対処した後は、「3年の改革」を打ち出した。それは、スピード感を意識した3段階の目標を設定したものだ。1年目は「意識改革」、2年目は「チャレンジ」、3年目は「維持・継続・発展」である。
最初の「意識改革」の年は、研修や改善運動に取り組んだ。社長自身が講師となり、コミュニケーションの基本であるあいさつの大切さ、製造業の基本である5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)の重要性を説き、実践させた。工場の改善会議は全体会議をやめて職場ごとの少人数会議に切り替え、年代別に分けた。思ったことを口に出しやすいようにと、社長と会社に対する〝悪口〟もOKとした。悪口でも何でも、自分の好きな意見を言ってほしいという思いからだった。
「私に対する悪口がたくさん出てくるかと思っていましたが、拍子抜けしました。出てきたのは、〝ガラスが割れたままだ〟とか〝腰が痛い〟といった細かいものばかり。しかし、細かいことでも改善につながるものなんです」
こだわっていたのは社員ではなく自分だった
「意識改革」は自分自身をも変えた。女性経営者という〝負い目〟を捨てることができたのだ。幹部社員との激しい対立は何度もあったが、彼らは一般社員の前では社長を立てて、女性だからという対応はしなかった。また、社員に何かの折、「社長が女でごめんね」と謝ったときは「社長はたまたま女だっただけ。社長は社長です」と笑って言われた。
「私だけがこだわっていたのです。ただ私には先代のようなカリスマ性がないので、〝女将さん〟になることを目指しました」と諏訪さん。社員一人ひとりの変化を見付けて「髪を切ったね」と声を掛けたり、社員の仕事を素直に褒めたり、機械やトイレの掃除も率先して行って、社員とのコミュニケーションを密に図ることを心掛けた。
2年目の「チャレンジ」の年は、設備を更新し、初めてNC(数値制御)機械を4台入れた。そして若手の教育手順を、業界の暗黙のルールである「汎用機を覚えてからNC機へ」から「NC機を覚えてから汎用機へ」に変えた。
「今の若者はパソコンに慣れているし、町工場には人が育つのを待つ余裕がありません。NC機を覚えればすぐに戦力になります」
17年9月からは「顧客第一主義」を徹底するためにIT化を推進。受注から納品までを管理できる新しい生産管理システムを稼働させた。これで社長就任以来の懸案事項が片付いた。
諏訪さんは「顧客第一主義」を顧客目線で実践するため、取引先へ出向いて「なぜうちと取引してくださっているのですか」と率直に聞いたことがある。担当者は大笑いしながら「高い品質や適正なコストは当たり前。急な依頼にも応えてくれる対応力です」と教えてくれたという。「私が女性だからではなく、32歳の新米社長だったから丁寧に教えてくれたのでしょうね」と振り返る諏訪さん。IT化は、こうした自社の強みをさらに強化した。
仕上げの「維持・継続・発展」の年は、2年間の仕事の仕組みや流れを整理し、作業を標準化するための基準書づくりに取り組んだ。「大企業でも町工場でも、一つの作業は同じ手順で行わなければならないし、責任の所在も明確にしておくべきです」。
論理的な思考で問題の根本に迫る
諏訪さんによれば、経営者に男女の区別は無いが、初代と二代目の違いはあるという。「二代目は初代に比べればカリスマ性も、リーダーシップも見劣りします。そこで私は、父とはまったく違う方法で経営しようと思いました」。それは、工学部や大手企業で身に付けたエンジニアとしての論理的な思考で問題の根本に迫り、原理原則に当てはめて対策を練るというものである。
一方で、次世代の幹部とリーダー(中間管理職)の育成にも着手した。幹部候補生には24年に開講した学習塾(大田区の子どもたちを日本の未来を担う人材として育成したいという目的がある)の室長を任せ、経営全般を学ばせた後、工場へ戻した。
規模を拡大するつもりはなく、「ダイヤ精機の規模は現在程度にとどめて、やる気のある社員にはのれん分けという形でダイヤの名を背負って独立してもらいたい」と考えているという。
諏訪さんは今、製造業の理想とする姿の実現を目指している。それは、大企業という大きな石と町工場という小さな石が「石垣」のように積み上げられた強固な協力関係である。それが日本を元気にすると信じている。
会社データ
社名:ダイヤ精機株式会社
住所:東京都大田区千鳥2-40-15
電話:03-3758-3351
代表者:諏訪貴子 代表取締役
従業員:39人
※月刊石垣2015年1月号に掲載された記事です。
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