初日の出スポットとしてにぎわう〝銚子〟
関東地方の最東端に位置する千葉県銚子市。その地名の由来は、利根川の河口(入り口)が狭く、中に入ると広い地形になっていることが、〝お銚子〟の口の形によく似ているというところからきているという。〝お銚子〟とは、婚礼の三三九度の際に用いる柄のついた小さな注ぎ口をもつ酒器のことで、同じ酒器の徳利とは異なる。
北は利根川、東と南が太平洋に面している人口6万4000人の銚子は、毎年1月1日の早朝、日本一早い初日の出を拝もうと大勢の来訪者でにぎわう。鉄道ではJRが初日の出に合わせて高尾、新宿(いずれも東京都)、大宮(埼玉県)、成田(千葉県)を始発とする臨時の直通列車(成田始発を除く全車指定席)を運行。地元の銚子電鉄も銚子半島の突端、犬吠埼に来訪者を運ぶ。さらに周辺道路は大渋滞し、毎年交通規制が敷かれる。その来訪者数は、人口の約8割にあたる5万人を超える。本来日の出は、南北に約3000㎞の日本列島では、その山頂や離島を除くと、最東端である北海道根室市のノサップ岬が一番早い。しかし、1月1日を挟む前後20日ほどは、地球の地軸の関係で、銚子が日本一早い日の出スポットとなる。
水揚げ量7年連続日本一の〝銚子〟
銚子商工会議所は、昭和11(1936)年12月1日に千葉県初の商工会議所として認可され、平成28年に創立80周年を迎えた。毎月発行している同所所報には、銚子漁港の水揚げ量の推移が魚の種類ごとに表で掲載されている。
「毎月の水揚げ量の所報への掲載は、商工会議所活動と直接関係ないものかもしれませんが、会員事業者や市民の皆さんにとって関心が高い情報であり、ご覧いただいている方も多いようです」と教えてくれるのは、同所の宮内智会頭。
銚子の沖合は、暖流の「黒潮」と、栄養塩が豊富な寒流の「親潮」がぶつかる潮目があり、魚のエサとなるプランクトンが多く集まる好漁場。さらに、太平洋に注ぐ日本最大級の河川「利根川」からも豊富な栄養が運ばれるため、マダイ、カツオ、マグロ類、マイワシ、サンマ、サバ、メカジキ、ブリ、アジ、ヒラメなど、水揚げされる魚種が豊富なことも大きな特徴だ。この絶好の漁場に目を付けたのが、黒潮に乗って漁を行っていた当時の紀州(現在の和歌山県)の漁民、崎山治郎右衛門。万治元(1658)年に銚子に移住し先進的な漁法で漁場を開発した崎山は、銚子半島南部に外川(とかわ)漁港を開き、これが銚子漁業の発祥となる。
その外川漁港は昭和初期まで銚子漁業の中心であったが、イワシの不漁とともに、その中心は銚子漁港に移る。ただ、銚子漁港がある利根川河口付近は水深が浅く、潮の流れが急であったことから遭難する船も多く「日本三大海難」の一つに挙げられていた。
明治43(1910)年3月12日には、漁船80隻、漁民1000人以上が遭難する大きな事故が発生。市内の千人塚は、当時の犠牲者を供養するために建立されたものだ。その後、銚子漁港は昭和初期にかけて改良工事を行い施設を整備したが、太平洋戦争の空襲で消失。戦後、復旧工事が行われ、3つの大型卸売市場が整備された。
そして現在の銚子漁港。本年1月に2017年の水揚げ量が日本一になったと発表された。これで2011年から7年連続日本一。主力のサバやイワシが好調で、特にサバは水揚げ量の約6割を占めた。全国的に不漁だったサンマの水揚げ量は減少したものの全体への影響は小さかった。銚子漁港は好漁場を生かして、地元漁船はもちろん、北海道から沖縄までの沖合漁船が集結する拠点港として、ますますの発展が期待されている。
水運としょうゆで発展した〝銚子〟
銚子は、江戸時代には漁業に加えて水運でも栄えた。それは大消費地・江戸への物資(コメや水産物、しょうゆなど)の運搬において利根川を活用したことによる。
東北各藩で収穫されたコメは、江戸時代に開発された東廻(まわ)り航路の千石船で房総沖を回り江戸湾に入り運ぶ方法が最も早かった。しかし、房総沖が海難事故の多発地帯であったため、この航路は敬遠された。そこで房総沖の手前である銚子でコメを下ろし、それを高瀬舟に積み替えて、利根川を遡上。江戸川との合流点である関宿(せきやど)経由で江戸に運んだことが銚子が発展した要因の一つである。
また、銚子の発展で忘れてはならないのがしょうゆ醸造業。業界2位の「ヤマサ醤油」や3位の「ヒゲタ醤油」など銚子で創業した会社が、現在も同地でしょうゆをつくり続けている。ただ、この2社は、発祥の経緯が異なる。
先に創業したのは「ヒゲタ醤油」。1616(元和2)年、下総国銚子の豪農、第三代田中玄蕃が、摂津国西宮の酒造家である真宜九郎右衛門(さなぎくろうえもん)に、関西の溜(たまり)しょうゆの製法を伝授されたことが起こり。関東最古のしょうゆといわれる。
他方「ヤマサ醤油」は、初代浜口儀兵衛(ぎへえ)が1645(正保2)年に創業したと伝えられている。浜口は、しょうゆ発祥の地、紀州湯浅の隣村、広村(現在の和歌山県広川町)の出身。新しい漁法で大成功をおさめて外川港を聞いた同じ紀州出身の崎山治郎右衛門(前述)に触発され、銚子の気候がしょうゆづくりに適した紀州とよく似ていることから、関西のしょうゆ醸造技術を持ち込んで商売を始めたのではないかといわれている。
とはいえ、江戸時代初期の江戸の台所では「下りもの」(関西で製造されたしょうゆ)が主流。銚子などで製造された「関東のしょうゆ」が本格的に江戸で流通し始めたのは、銚子を地場にするしょうゆ醸造者12人が〝醤油仲間〟を結成した宝暦年間(1700年代中期)のこと。しょうゆ醸造者は、おのおの製法の改良などに取り組み、その改良された「関東のしょうゆ」(色・味・香りが良く、味付けが濃いなどの特徴があるしょうゆ)が、江戸の町の発展を支える労働力であった〝江戸っ子〟たちの間に広まった。それが後にソバや天ぷら、鰻(うなぎ)の蒲(かば)焼き、寿司、煮物など、現在の食文化にもつながっていく。そして明和7(1770)年頃から〝地廻りしょうゆ〟とも呼ばれた「関東のしょうゆ」が「下りもの」を上回る。文政4(1821)年には、江戸のしょうゆ125万樽のうち123万樽が「関東のしょうゆ」で「下りもの」は、わずか2万樽という記録が残っている。江戸の台所は「関東のしょうゆ」が取って代わった。これは、単に輸送上の有利さにとどまらず、早くから市場競争に勝つために品質向上と廉価に努めた結果といえる。
こうしたこともあり、明治時代初めには銚子は東総地方(現在の千葉県東部地域)の中心都市に発展。千葉市に次ぐ県内第2位の人口を有する都市になった。
道路整備で飛躍を目指す〝銚子〟
江戸時代には水運(利根川)というインフラを最大限生かして、江戸への物流拠点として発展した銚子が、現在は陸運(道路)というインフラで課題を抱えている。
「高速道路に乗るまで(または降りてから)幹線道路で1時間以上かかる地域が、東京都心から直線で100㎞圏内の関東地方の中にあるでしょうか。道路の質を高めなければなりません」と語る宮内会頭。
「2代前の千葉県知事が〝県都1時間構想〟を掲げました。県内どこからでも県都(千葉市)まで〝車で1時間〟というものでした。当時、銚子と館山が未達成でしたが、館山は館山道の開通により達成し、銚子だけ残されました。私は会頭就任時から道路網の整備を重点事業と位置づけ活動しています。近隣の行政トップ(首長)などで構成される道路建設促進期成同盟の活動を、民間レベルでバックアップするため、当所をはじめ、近隣の商工会議所・商工会、大学などと連携して道路建設促進のための連絡協議会を発足。県に要望書を提出しました。道路工事は以前より行われていますが、工事現場の見学により進捗状況の確認活動を始めました。こうした目に見える活動を通じて市民の皆さんの関心も高まりました」
「道路の整備が進めば水揚げされた新鮮な魚を今よりも早く東京市場まで運ぶことができ、鮮度面で付加価値の高い取引ができます。そうすれば漁港の価値も高まり、銚子漁港を母港とする漁船も増え、水揚げ量日本一も継続できるのではないでしょうか。
また、観光面においても高速道路を降りて一時間以上かかるのとかからないのでは全然違います。早期に完成すれば、観光バスによる観光コースの復活や新設にもつながり、観光業にもプラスをもたらします。幸い予算もつきましたので道路工事の進捗確認を引き続き行うなど、しっかり対応したいと思います」(宮内会頭)
洋上風力発電を追い風にする〝銚子〟
その昔、海難事故の原因の一つであった洋上の風が、銚子の未来に新風を吹き込もうとしている。
現在、銚子では国による洋上風力発電の実証実験が終わり、その事業化に向けて宮内会頭を中心に関係者の間で研究が続いている。
「銚子沖は、日本でも有数の強風地帯です。この強風はこれまでは嫌われものでしたが、うまく活用すれば重要な地域資源になり得ます。実は、銚子沖は遠浅で平坦な海域が広がっています。加えて好風況で風向きも安定しています。これが着床式洋上風力発電に適していると、東日本大震災より前から認識されていました。折しも震災後、自然エネルギーへの関心が高まっている中、その事業化の実現は海に囲まれたわが国にとって、とても重要なことです」
「少子高齢化や人口減少が著しい銚子では、この洋上風力発電の事業化を、新たな産業の創出、雇用の拡大など地域活性化の起爆剤にしたいと考えています。そのためには市民全体の機運を高めるような活動が必要です。一方で漁業に関する影響なども有識者に評価していただきながら、その情報を漁業者の皆さんにしっかり開示するなどして、理解を得ていきたいと考えています」(宮内会頭)
冬暖かく夏涼しい銚子。その気候特性を生かして農作物の栽培も盛ん。特に春キャベツと春ダイコンの作付面積は日本一。また、国の名勝で天然記念物である屏風ヶ浦に代表される銚子ジオパークは、2012年9月に日本ジオパークに認定されるなど見どころにこと欠かない。このように漁業、農業、自然、観光、食などの資源豊富な銚子が、洋上の光と風を受けて未来に羽ばたこうとしている。
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