東日本大震災から7年が経過した。道路網や建物などインフラの復旧は、確実に進んでいるように見える。しかし、水産・食品加工など“東北産を売る”多くの事業者にとっては、未だ復興への道は遠い。それでも販路回復から拡大、さらに新たな市場の開拓へ向けて地域や行政などと連携して活路を見出した事業者がいる。その取り組みに迫った。
総論1 百貨店のバイヤーとしての経験を生かしたソフト面での支援
川西 恵理子/復興庁 政策調査官
震災から7年が経過した。岩手・宮城・福島・青森の東北4県の水産・食品加工業のうち、震災前の水準以上まで売り上げが回復した割合は3割程度にとどまり(東北経済産業局による平成29年6月「グループ補助金交付先アンケート調査」)、多くの企業が「販路の確保・開拓」を経営課題としている。そこで百貨店から出向中の復興庁政策調査官・川西恵理子さんに、課題克服のための国の支援策や事業者に求められる「努力」について話を聞いた。
事業者の営業能力を高める場をつくる
復興庁の政策調査官には、民間の知見を復興に役立てるため、民間企業から復興庁へ出向している人材も多い。大手百貨店である三越伊勢丹の食品統括部バイヤーだった川西さんは平成28年4月に着任した。ちょうど国が位置付けた「集中復興期間」が終わり、「復興・創生期間」が始まるタイミングだった。
「インフラ整備というハードの支援の進捗(しんちょく)により商品開発や販路拡大というソフトの支援の重要性も増しており、政策調査官もメーカー系から流通小売や物流などの出向者が多くなりました」と川西さんは語る(以下「 」内は全て川西さん)。
被災企業に共通する悩みは、まさに冒頭のアンケート(16ページ参照)のように、震災で失った販路を復活させたい、新たな販路を開拓したい、しかしその方法が分からないというものだった。
「事業者が販路を復活させたり開拓したりするためには、売り手側の視点に立って商品を売り込まなければなりません。バイヤー時代は、私が事業者から売り込まれる立場だったので、お客さま(消費者)を意識した発言をしていましたが、今の仕事は事業者に寄り添う立場です」。そこから見えてきたことは、「双方向のコミュニケーションの不足」だった。
「バイヤーは、当たり前のように『どこが強みなのか』『他社製品とどう差別化されているのか』と聞きます。でも、営業に慣れていない事業者さんは答えられないのです」。そのためバイヤーから言われるがままに商品を何種類もつくったものの、採用に至らないケースも多々あった。
事業者に寄り添う政策調査官としてできることは、事業者の営業能力を高める支援を行うことだ。セミナーやワークショップをどのくらいの頻度で開催するのか、講師や専門家の人選をどうするのかといった指針を定め、各地の商工会議所などと連携して営業能力を高める場をつくった。
名刺のつくり方まで教えるハンズオン支援事業
一例を挙げよう。復興庁では毎年、複数の企業支援メニューを実施している。川西さんは24年度に始まった「被災地域企業新事業ハンズオン支援事業」に関わった。ハンズオン支援とは、新商品開発、販路拡大、新事業立ち上げなどに挑戦したいと手を挙げた事業者に対して、支援機関や専門家らが「伴走型の支援」を行うもの。伴走型なのでゴールに向かって走り続けるのは事業者自身だ。
28年度は11事業の支援を行った。その中の一つ、岩手県大船渡市では「大船渡における水産加工業者等への支援」として実施された。当時の大船渡市の状況と課題はこうだ。
・状況 事業者の3分の1が水産加工業者である。これまでは営業をしなくても売れていたが、震災で販路を断たれるなどで、自身が活動しなければ淘汰される状況にある。
・課題 市場開拓、商品開発の方法が分からず、現状に甘んじている事業者が多数いる。
復興庁では、「地域において複数の事業者が共通した課題を持っているので、個々の事業者を支援する従来方式のほか、複数社を対象に一斉に支援できるようなプログラムも必要ではないか」と考えた。全体支援として、大船渡商工会議所、復興庁、復興庁岩手復興局主催の「時代を勝ち抜く商品力アップ術セミナー」(10月12日)と「ヒット仕掛人に学ぶ 時代を勝ち抜く商品力アップ術合同営業作戦ワークショップ」(10月19日)を実施した。講演内容は営業設計コンサルタントによる「自社商品の『売り』を見える化し、明日からすぐに使える営業の『武器』を作る方法」、ジェイアール東日本商事のバイヤーによる「首都圏マーケットに向けた商品開発について」だった。これに約20社が参加し、希望した事業者7社がワークショップに参加した。
ワークショップは、自らの課題を整理することと他の事業者の課題を聞き、自社の姿に当てはめ、振り返ることが目的だ。一例を挙げると、冷凍冷蔵・水産加工業を営む及川冷蔵は、売り上げの増加を目指しているが、販路を開拓できず非常に苦戦しているという課題があった。新芽早採りわかめを扱う山口商店は商品「早採りわかめ」のターゲット、価格、プロモーション方法などが分からないでいた(同じく参加したカレーハウスKojikaは18ページ参照)。
続いて個別支援として各社1回1時間の面談を約3回行った。その主な内容は新商品開発と営業ノウハウのアドバイス、名刺・チラシ・ポスター・提案書といったツール開発の支援だ。山口商店の名刺を例に取ると、「最初にいただいた名刺はごく普通のものでした。今のままではどんな商品を取り扱っている会社なのか、たくさんの名刺を受け取るバイヤーの記憶に残りにくい。そこで大きく『早採りわかめ』と印刷し、他のわかめとの違いを簡潔に記載した名刺を作成しました」
もちろん支援はこれで終わりではない。省庁の食堂運営会社への食材納入を実現し、具体的な販路先の紹介を行った。また、次年度以降に向けて、大手企業への食材納入も目指している。各事業者が営業ノウハウとツールを活用して売り込み、大船渡商工会議所が後押しすることを決めて、現在も活動が続いている。
終了後のアンケートでは9割が「勉強になった」と答えているが、セミナーやワークショップに参加したからといって、すぐに販路が開拓できるわけではない。バイヤーに対して効果的な売り込みをする必要がある。「もっとできることがないかと政策調査官たちが知恵を出し合いました。29年度は、いわき市と気仙沼市で販路開拓の支援を行い、自社の強みや商品の魅力を端的に表すことが苦手な経営者に対して、商談の練習会を企画しました」
それは商品の魅力を100字以内でまとめたり、実際に商品を並べバイヤー役の前で商品説明したりするというような実戦的な練習だった。
既存商品の魅力を再認識して「見せ方」を変化させる
なぜ売り込みの練習が必要なのだろう。川西さんは「バイヤーは新商品だけを求めているわけではないからです」と説明する。
「百貨店では良い商品は定番として長く売り続けます。それがお客さまに飽きられないのは、スポットライトの当て方(売り場や切り口の工夫など)を変えているからです。事業者さんも新商品をつくることばかり考えず、消費者や小売業者が何を求めているのかについて意識を向けて、既存商品の見せ方を工夫することを学んでほしい。既存商品にいくつか魅力があったら、相手によってこの魅力を前面に出す、別の方には他の魅力を強調するというように変えていく。そのための売り込み方の練習です。事業者さん自身が既存商品の魅力を認識していないと、どのバイヤーに売り込んでも振られ続けてしまいます」
川西さんは3月末で復興庁での勤務を終える。2年間の出向のおかげで東北の肥沃(ひよく)な大地で育った農作物、驚くほど鮮度の良い水産品、他ではまねのできない職人技……東北には素晴らしい産品がたくさんあることを改めて知ったという。
「百貨店に戻っても東北の良さを伝えていきたいですね。また私自身は、バイヤーの目線、その先のお客さまの目線だけでものを言うのではなく、事業者さんの話をしっかり聞いて、一緒に商品を磨き上げることの大切さを学びました」
東北の産品は百貨店の第一線バイヤーの目から見ても一級品だ。だからこそ「ハンズオン支援事業」のような支援策を上手に活用して、バイヤーやその先の消費者が買いたくなる商品の開発や売り方・見せ方を学ぶことで、販路復活・開拓の可能性が大きく広がる。
事例1 "東北産"が売れる!"絶品"レトルトカレーで日本全国にファンをつくる
KOJIKA(岩手県大船渡市)
震災後の息子の言動で店の再建を決意
岩手県大船渡市は、震災の影響で三陸鉄道とJR大船渡線が2年近く運休し、陸の孤島と化していた。その状況を打破するべく平成25年3月、開通したのがJR大船渡線BRT(Bus Rapid transit)というバス高速輸送システムだ。鉄道を舗装し、バス専用道(一部一般道)として気仙沼と盛駅間を運行する。
「ようやく軌道に乗ったというところです。まだ先は読めません」
23年7月に営業を再開した「curry house KOJIKA」代表の鈴木典夫さんは、「まちも店もこれから」と語る。昭和63年に、先代が34年に開いた大衆食堂「小鹿食堂」を一新。平成13年には奥さまの奈代子さんが、女性が集まって話ができるスペースと、2号店「café de curry Kojika」をオープンさせた。
「スーパーでカレールウを買って、研究するところから始めた店です」と、全くのゼロから築き上げ、市内だけではなく遠方からも訪れる人が続出する人気店へと押し上げた。それが23年3月11日、高さ16・7mの津波にのまれ、2号店は全壊、1号店は大規模半壊した。
「再建にはざっと1億円かかると言われました。62歳で多額の借金を背負うのは、正直楽しい話ではありません。これを機に店を畳もうかと思いました」
そんな鈴木さんの気持ちを変えたのが、息子の守さんの言動だ。
「ここに残りたい」
震災の2カ月半前に住まいを購入し、8日前に入籍という時期に襲った大惨事だったにもかかわらず、守さんはすぐさまカレーの炊き出しを始める。1日1000人分、水道も断水しているため、山に水をくみに行くところからの作業となる。これを来る日も来る日も行い、2万食は炊き出しをしたという。3週間行動をともにした鈴木さんは確信する。
「店を任せて大丈夫だ」
来られないなら届けるレトルトカレーに本腰
「誰に命令されたわけでもなく、自主的に不特定多数にカレーを提供する。息子としてというより、一人の人間として、こいつのために何かしてやろうと思いました」
Kojikaは、このときから再び動き始めた。店は2号店に絞り、店の再建と同時に鈴木さんが始めたのがレトルトカレーの商品開発、つまり製造業への進出だった。12年からレトルトカレーを発売していたが、27年、再開したお店を奈代子さんと守さんに任せ、鈴木さんは1号店を製造工場にしてレトルトカレー開発に注力する。
「お店に来たくても来られないなら、こちらがカレーを届ければいい。逆転の発想です。他社のレトルトカレーを見つけては買って研究しましたが、求めている味とは違う。原材料を見ると、オニオンパウダーやビーフエキスが使われていて、こういうものを使わないカレーをつくろうと思いました」
お店で提供するカレーは大船渡産玉ねぎ100㎏を10時間以上かけて10㎏ほどになるまで炒める。玉ねぎ特有のツンとした辛味は、まろやかなコクのある甘みとなり、カレーの味に深みを与える。手間暇を惜しまない味の再現に尽力した。
「岩手のブランド牛を使っていない、パッケージがカレーっぽくないと周囲からいろいろ言われましたよ。でも、自分がおいしいと思うカレーをつくる。これはお店を始めたころから変わりません。お店を始めた当初も試食した10人中10人が『これはカレーじゃない』と言ったところからスタートしましたからね」と苦笑する。
案の定、完成したレトルトカレーの売り上げは年間200万円程度と、思ったほど振るわなかった。
次世代にとってより良い環境をつくりたい
そこで鈴木さんは、さらにオリジナリティーに磨きをかける。29年に「三陸まるごと 鮑カレー」を発売。三陸産の蝦夷(えぞ)鮑を贅沢(ぜいたく)に使い、「としる」という肝の部分を丁寧に裏ごしした濃厚なレトルトカレーを完成させた。1つ2700円(当時価格)と高値だが、これを大手百貨店に出店したところ、2000個が完売した。続けて発売した帆立カレー、牡蠣(かき)カレーも半月でそれぞれ約1500個が売れた。
「客層の95%は関東圏です。震災前から市内だけでなく、お店から300㎞圏内の方に来てもらえる店づくりをしてきました。レトルトカレーも同様です」(鈴木さん)
「レトルトカレーは、三陸、大船渡にKojikaというカレーショップがあることを知ってもらうツールの一つ。その期待に応える店を守り抜きます」と守さんも語る。
ツートップ体制の運営は上々だ。レトルトカレーの卸は7掛け以下なら断り、価格競争に巻き込まれないようにしているが、それでも数百個単位で注文が入り始めている。
「製造業とサービス業で年間3000万円の売り上げが目標です。再建時の借入金を4年で返済する事業計画を立てて、2年半で半分は返済できました」と語る。だが、際限なく右肩上がりを狙うのではなく、レトルトカレーの製造は数に限りを設けている。事業拡大より品質を維持し、後継者が仕事をしやすいようにすることに主軸を置く方針はブレない。
また、鈴木さんはまちの復興にも精力的に活動している。被災した北海道の奥尻や兵庫県の神戸に通って情報を集め、経済産業省や復興庁にも足を運んだ。
「震災から5年過ぎれば、震災前よりまちが廃れるという例をいくつも見聞きしました。多数決で成功した事例はどこにもなく、成功したのは例外ばかり。『新しい盃に古い酒を注いではいけない』。そう肝に命じて、時間という津波を乗り越えられる環境を、いかに若手に残していけるかが課題です」
復興へ、奔走する日々は続く。
会社データ
社名:Kojika
所在地:岩手県大船渡市大船渡町字野々田23-1
電話:0192-47-4777
代表者:鈴木典夫(curry houseKOJIKA)、鈴木奈代子(cafe de curry Kojika)、店長 鈴木守(GARAGE Kojika)
従業員:7人(パート含む)
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