熊本県菊池市は古くから米どころとして知られる農業の盛んな土地柄だ。この地で祖父の代から続く酒販店「渡辺酒店」の渡辺義文さんが家業に入ったのは24歳のときだった。
福岡市の酒販店で修業を終え、実家に戻った渡辺さんを待っていたのは、酒業界を大きく揺さぶる変革の嵐。かつては酒販免許を持っていれば安泰だったが、規制緩和により業界を超えての激しい価格競争が繰り広げられた。当然、地方の小さな店への影響は少なくない。
次世代に健全な社会をつなぐ
「家業に戻ってみると、いかに薄利で売るかが仕事の中心でした。大手ほど仕入れ条件が恵まれない中で、納品先からは価格をたたかれる。そんな商売に希望を見いだせずにいました」(渡辺さん)
そんな折、知人に誘われ環境問題の講演会に参加してみると、自分の知らない世界を目の当たりにした。日本の食料自給率が極端に低いこと、それなのに食料廃棄率は高まる一方であることを知った。その一方、世界を見れば各地で深刻な食糧不足で餓死者が続出しているという。
「そうした事実を知ったとき思い浮かんだのは、幼いわが子たちでした。次世代に健全な社会をつないでいくのが今を預かる世代の使命だし、商人の役割だと思ったのです」(渡辺さん)
そこで渡辺さんは地元の自然栽培生産者による米を販売したものの、ほとんど売れない。12種類の無農薬雑穀を用いたブレンド米も、地元客からは「鳥の餌」と言われた。
自分自身が商品について語れる知識がないと痛感した渡辺さんは、地元の自然栽培生産者に習いながら米づくりに挑戦。それを九州米品評会に出品すると最優秀賞を受賞した。今日では月に300個以上が売れていく、さらに、地元の醸造所に依頼して焼酎、日本酒にすると、人気商品となった。これまで価格でしか評価されなかった商いとは違う景色が見えた瞬間だった。
〝売人〟ではなく〝商人〟でありたい
地元の安全安心な食材を用いた商品開発に取り組み始めた渡辺商店を一躍全国区にした商品が、ごぼう茶だ。熊本名産の水田ごぼうによる商品開発を目指していたところ、あるとき地元の長老から「アメリカ先住民はごぼうでお茶をつくる」と聞くと、すぐさま試作を繰り返して商品化した。時同じく、ある有名医師が「ごぼう茶を飲むと若返る」とメディアで提唱した途端、注目を浴びることになった。
しかし、厳選された素材を使用するゆえ、生産が追い付かない。追随企業が慣行栽培ごぼうを使った商品で売り上げを伸ばしていくのを見ながらも、渡辺さんはさらに厳選された素材による製造を追求した。
「売れてもうかれば何でも売る〝売人〟ではなく、僕はつくり手と食べ手・使い手を幸せにする役割を担う〝商人〟でありたい。そこは、ぶれてはいけないのです」
そう語る渡辺さんの脳裏には、家業を継いだばかりで巻き込まれた〝価格ありきの商売〟に対する嫌悪感があるという。それゆえ、渡辺商店では現在およそ100軒の生産者と取引があるが、そのほぼ全てを生産者からの言い値で買い取っている。
現在、渡辺商店には600品目を超えるオリジナル商品があり、店舗向かいにある生産拠点「本物のアレ研究所」では、本物を目指して新しい商品開発が続けられている。
そうした商品は、インターネット通販サイト「自然派きくち村」を通じて全国2万人の顧客に支持されており、客単価は約1万円に上る。食に関心を持ち、食で悩む人が少なくないという。
「あなたがこの世で見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい」とは、インド独立の父、ガンジーが遺した言葉として知られる。
渡辺さんを表現するなら、これがもっともふさわしい。
(商業界・笹井清範)
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