太平洋沿岸部に所在し津波被害などを受けた商工会議所の会頭に、未来に向けた取り組みや展望を語ってもらいました。なお、宮古、塩釜、原町の3商工会議所は、『月刊石垣』(2021年3月号、3月10日発行)の東日本大震災復興特集で、相馬商工会議所は、同誌連載コーナー「リーダーの横顔」で、それぞれ紹介していますので合わせてご覧ください。
次世代と未来を築く
八戸(青森県)
八戸商工会議所会頭 河村 忠夫
かけがえのない多くの命が失われ、東北各地に未曽有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、10年の歳月が流れました。
震災により犠牲となられた方々に対し、ここに改めて、深く哀悼の意を表します。また、改めまして商工会議所のネットワークを通じたご支援・ご協力に対し、この場をお借りし、感謝申し上げます。
震災から10年が経ち、被災地の復旧・復興は大きく進展しました。おかげさまで当地域もインフラ面の復旧は終了し、震災前と変わらぬまち並みを取り戻しております。観光面においても、平成25年に蕪島と種差海岸が「三陸復興国立公園」に指定され、八戸市から福島県相馬市までの「みちのく潮風トレイル」も開通し、全国からたくさんの人にお出でいただいております。
当所においては、特に津波被害の大きかった沿岸部に立地する水産・食品加工業者に対する支援として、東北六県商工会議所連合会が主体となって2015年より開催している「東北復興水産加工品展示商談会」に関わることで、水産業界の販路回復・開拓に取り組んでまいりました。
年内には、復興道路として仙台・八戸間をつなぐ「三陸沿岸道路」が全線開通し、東北地方の太平洋沿岸地域が一つに結ばれます。物流の効率化と広域周遊観光の促進に大きな効果をもたらすものと期待され、地域間交流や経済活動にとって新たな可能性が生まれると考えており、その効果を地域振興につなげることが重要だと認識しております。
復興年目の節目を迎えるに当たり、震災の記憶と教訓を語り継ぎ、次世代の若者と一緒に地域の未来を築いていくとともに、新型コロナウイルスという新たな脅威と向き合いながら、一日も早い地域経済の回復に向けて、東北一丸となってまい進してまいりたいと存じます。
地域経済の躍進を目指し
釜石(岩手県)
釜石商工会議所会頭 菊地 次雄
早いもので、東日本大震災発生から10年がたちました。
今私共がこうして日常生活を送っていることが当時を顧みますと、とても想像することができません。今日がありますのは、震災の復旧・復興にご尽力された多くの方々のご支援のたまものであると感謝に耐えない思いであります。
改めまして心より厚くお礼申し上げます。
この震災により、多くの人命が失われ、全てを失った悲しみは10年の歳月を経た今でも癒えることはありません。
その一方で、新たなまちづくりが推進され、市民の長年の悲願であった高速交通体系をはじめ生活インフラの整備、港湾機能強化など目に見えて進捗(しんちょく)している状況は、確実に将来に向けた社会基盤が構築されたものと実感しています。
10年という歳月で全ての復旧・復興が図られたわけではなく、地域差や個人の置かれている状況はさまざまであります。当所では、会員企業全ての方々が真の復興を果たすまで、しっかり伴走支援をしてまいる所存であります。
地域経済の持続的発展のためには、人口減少が続く状況に歯止めをかけ、商工業者がより活発に営業活動を推進していけるよう取り組んでいかなければなりません。そこに商工会議所の役割と責務があるものと存じます。
これまで賜りましたご恩に報いるためにも当所役職員一丸となり、地域経済の躍動を目指し取り組んでまいりたく、今後とも変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げます。
広域連携で地域活性化
大船渡(岩手県)
大船渡商工会議所会頭 米谷 春夫
東日本大震災津波により、大船渡のまちは一瞬にしてがれきと化しました。堅固と思われていた建物や街路樹がいとも簡単に無に帰すという状況を目の当たりにして、ぼうぜんとしたのが、ついこの間だったように思われます。あの震災から10年がたち、がれきのまちには、きれいな街路と真新しい建物が出現し、整然としたまち並みに変貌しました。震災前は空き店舗が目立った商店街でしたが、コンパクトながら新たな商業集積地が出来上がりました。
しかしながら、新調した服がしばらくの間、何か体になじまないように、新しいまちが自分たちのまちという感覚になるには、もう少し時間とさまざまな物語が必要だろうと思います。商工会議所としても、どのような物語を紡ぐべきかが、これからの年だと思っています。
大船渡は、気候は温暖、前浜は世界でも有数の漁場で豊富な水産物に恵まれ、ポテンシャルは大きいと思います。しかし少子高齢化、人口減少の荒波の中、山積する問題に対処するには、一つの行政単位では限界があり、近隣市町村との広域連携が必須と考えます。
この広域連携をベースに、商工会議所のミッションである中小企業支援と地域経済発展のために、交流人口拡大に向けたDMOへの取り組み、「大事業承継時代」におけるスムーズな事業承継支援、IT、AI導入などデジタル化による生産性・付加価値向上の支援、次世代を担う人材育成など、さまざまな支援と取り組みをしていく必要があると考えております。
また、経営者個人としては、いかにネット社会とはいえ、魅力あるリアル店舗がなければ、商店街ひいてはまち、地域の活性化はあり得ないのではないかとの思いがあります。それが震災で失われたまちの復興と再生ということではないかと思っております。
さらなる飛躍に向けて
久慈(岩手県)
久慈商工会議所会頭 山王 敏彦
2011(平成23)年3月、東日本大震災が発生。当市の被害は海岸部が主で、中心市街地までは及ばなかったこともあり、復旧事業は比較的計画的に進みましたが、16年東北・北海道を直撃した台風10号、さらには19(令和元)年10月の台風19号により、今度は中心市街地の店舗、住宅などが大きな被害を受けました。これらの度重なる自然災害は、復旧・復興半ばの市民の心を折り、被災事業所は非常に厳しい現実に直面しました。加えて、主要産業である水産業の低迷、このコロナ禍のダメージは深刻です。
発災から年を迎え、われわれの暮らしもまちも大きく変わろうとしています。復興のシンボルである「三陸沿岸道路」は、今年度内に一部区間を除き八戸~仙台間が開通します。物流ルートも、内陸部から沿岸部へと一気にシフトすると思われ、アクセスの向上だけでなく沿岸部に新たな産業集積が進む可能性もあります。
しかしプラス面だけではありません。ストロー現象への懸念も考えなければなりません。大幅に増える車の流れを、ただ通過させずに地域振興につなげること、それがわれわれの仕事でもあります。
当地域では開通効果を最大限享受し、エリア一帯で発展するために、広域4市町村で「道の駅」の整備を、23(令和5)年春開業の予定で進めております。これ以外にも、28(令和10)年度完成予定の湾口防波堤は、防災だけでなく湾内に静穏水域を確保することができ、育てる漁業への本格参入が進みます。また、浮体式洋上風力発電も、導入に向けた国の大規模調査が決定となり、これらを軸に地域振興、活性化への期待が高まっています。
今後とも、地域経済の回復、地域の活性化・さらなる飛躍に向け、先頭に立って頑張ってまいります。
これからも寄り添う
石巻(宮城県)
石巻商工会議所会頭 青木 八州
未曽有の災害「東日本大震災」から10年の節目を迎えました。
大津波によってあらゆるものが奪われ困難な状況が続く中、当所は「企業の再建なくして地域の復興ならず」と肝に銘じ、石巻の復興に向かって歩みを進めてまいりました。
これもひとえに日本商工会議所をはじめ全国各地の商工会議所からの義援金や支援物資など物心両面にわたるご支援のたまものであり、改めて御礼を申し上げます。
石巻市は最大の被災地であり石巻地域経済は壊滅的な被害を受けましたが、当所が先導役となり石巻地域産業の早期再開に向けた石巻市産業復興会議を開催し、地域一丸となった復旧・復興への取り組みがスタートしました。
震災直後から地域産業や事業者が抱える課題、問題について政府などへの要望を幾度となく重ね、その要望項目の大半が認められたことで石巻の復旧・復興は着実に進展してまいりました。
被災事業者への対応では、多くの事業者の再建を後押ししたグループ補助金の申請支援や、仮設商店街の開設・運営、遊休機械無償マッチング支援事業などを展開し、支援先の事業所からは多くの感謝の声が寄せられ、地域経済総合団体としての役割を果たすことができたと考えております。
震災復興期間の10年が経過した今、被災地は新たなステージへの岐路に立っています。
これからの商工会議所は会員事業所と寄り添い、地に足をしっかりとつけて伴走者として地域経済をけん引していかなければなりません。
自然災害の多発やコロナ禍の不確実な時代にあって、環境変化に柔軟に対応しながら、頼られる商工会議所として存在感を発揮し、その役割をしっかりと果たしてまいりたいと考えております。
持続可能な地域目指す
気仙沼(宮城県)
気仙沼商工会議所会頭 菅原 昭彦
東日本大震災から10年が経過しました。あの大震災の直後、10年後の様子を想像することは非常に困難でしたが、皆さまの大きなご支援をいただき復興の道を歩んでくることができました。今もなお頂戴している温かいご支援に心から感謝を申し上げます。
この間、災害公営住宅の完成・高台移転・土地区画整理事業が進み、復旧事業により多くの事業所や新しい施設が完成し営業を開始することができました。さらに復興のリーディングプロジェクトと位置付けられてきた気仙沼大島大橋の開通・三陸沿岸道路の延伸も行われ、高度衛生管理対応の新魚市場が稼働するなど、この地域の姿も大きく変貌を遂げてきました。今市域を見渡すと震災前が思い出せないくらい様子が変わり、震災後10年を一つのめどとして進められてきたハード面での復興は最終的な段階に入ってきていることを感じます。
また、それらのハードを駆使しての事業や時代の変化を先取りするような新しい切り口のプロジェクトも本格的に進んできました。
しかしながら震災で加速した人口減少と販路の開拓・人手不足、地域経済の再生という大きな課題へのチャレンジはまだまだ途についたばかりです。
地域の強みを最大限に活用して地域外市場から稼ぐ力を高め域内において効率的な経済循環を創り出すこと、その場しのぎ一時的なものではなく生活の場を継続して維持すること、そして、人と人、人とまちがつながり新たなチャレンジの循環が生まれていく、そのような地域づくりを進めてまいりたいと思います。
この10年は通過点であって持続可能な地域づくりはエンドレスだと改めて気を引き締めて、さらなる歩みを進めてまいりますので、皆さま方におかれましては引き続きご支援・ご指導を賜りますようお願い申し上げます。
熱い気持ちで再起図る
いわき(福島県)
いわき商工会議所会頭 小野 栄重
東日本大震災・原発事故からの復旧復興に当たりましては、日本商工会議所ならびに延岡、藤沢、飯能商工会議所を始めとする全国各地の商工会議所の皆さまから賜りました物心両面にわたる温かいご支援に対し、心より感謝申し上げます。
がれきの山と化した沿岸部、陥没した道路や崩れ落ちた岸壁、道路に横たわる船舶、背を向けてひっくり返った自動車の数々。1カ月にわたる断水、食料不足、ガソリンスタンドに並ぶ長蛇の車列。誘発地震による内陸部の被害拡大。解決策が見いだせない原発事故処理と今なお続く漁業操業自粛。いわき市の被害の概要です。1週間たった夜、高台から市街地を見下ろしたとき、人が消え、いつもはきらびやかな街の灯が嘘のように真っ暗になった光景を今でも思い出します。
東日本大震災・原発事故により、私たちはかけがえのない大切なものをたくさんなくしましたが、夢や希望、ふるさとを再起するという熱い気持ちを失うことはありませんでした。
あれから10年。「世界に誇れる復興モデル都市・いわき」を目標に掲げ、駆け抜けた10年でありました。
ハード面の復旧復興は着実に進展する中、コロナ禍を生き抜き、早期復興を図るための緊急対応とビジネスチェンジをはじめ、地域活力の源泉となる関係・定住人口の増加、将来の地域を支える人財の育成、カーボンニュートラル社会を先導する次世代エネルギー産業の定着、ワクワク感のあるまちづくりなど、いわき市は多岐にわたる課題を抱えております。
まだまだ困難な道のりは続きますが、引き続き、沿岸部被災地区商工会議所の皆さまと連携を図りながら、明るい未来の実現に向けて、一緒に取り組んで行きたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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