事例3 釜石ラグビーを世界へ発信ワールドカップの夢に懸ける
宝来館(岩手県釜石市)
岩手県釜石市といえば、7年連続日本一という偉業を成し遂げた新日鐵釜石ラグビー部を思い起こす人は多いだろう。近代製鉄業発祥の地としての隆盛期を過ぎ、人口減少に歯止めがかからない中、東日本大震災が追い打ちをかけた。いまだ復旧作業半ばのまちに舞い込んだのが、2019年ラグビーワールドカップ開催地の決定だ。そこには招致に向けて奔走した、地元旅館の名物女将の姿があった。
九死に一生を得て旅館を、まちを再建
ドーンッという大太鼓を打ち鳴らしたような波音が響き、目を向けた海面は静かな表情を浮かべる。力強さと穏やかさを併せ持つ「日本の白砂青松100選」に選ばれた岩手県釜石市の名勝、根浜海岸近くに、浜辺の料理宿「宝来館」は建つ。釜石市でももっとも被害を受けた鵜住居(うのすまい)地区にある宝来館も2階まで津波が押し寄せ、女将(おかみ)の岩﨑昭子さんも濁流にのまれて九死に一生を得た。鵜住居地区では死者・行方不明者は583人にのぼり、そこには宝来館の従業員も含まれる。
「根浜は生まれ育った大好きな場所。旅館も両親から受け継いで、創業48年を迎えたころでしたが、半壊状態で呆然としました」
だが、岩﨑さんは即座に行動する。被災翌日には館内で使えるフロアを避難場所として3月末まで約120人に開放。5月には地元の女性らと「山カフェ」を1日限定でオープンして無償で料理を振る舞い、地元ボランティアと海岸の瓦礫(がれき)撤去も精力的に行う。
「地元のラグビーチーム、釜石シーウェイブスをはじめ、根浜にゆかりのアスリートの方々に随分助けてもらいました。でも、当の旅館再開のめどは全く立たず、7月には従業員全員を解雇せざるを得ない状況になってしまって……」
そんな矢先、東京の青山学院大学中等部のラグビー部から30人弱の合宿宿舎に利用したいと連絡が入る。設備も什器(じゅうき)も不十分で、1階はいまだに壊滅状態でブルーシートだらけ。しかも、日程は従業員を解雇した数日後という。
「お招きしていいか自問自答しました。余震も続く中で何かあったらという不安と、将来のラグビー界を担う子どもたちにこそ現状を見てもらいたい気持ち。今もどちらが良かったのか分かりません」
だが、訪れた子どもたちの姿に励まされ、「旅館を再建しよう」と、岩﨑さんは心に誓う。
旅館の再建には、盛岡商工会議所から紹介された復興相談窓口センターの助言が大きかったという。月1回のペースで通い、補助金などを利用できる制度の仕組みを学び、平成24年1月には、リニューアルオープンにこぎつけた。
解雇した直後から従業員が自転車で駆け付け、イベントを企画すれば大勢の人が集い、復興応援バスツアーで団体客が訪れた。被災前も後も多くの人たちに愛され、地域に根付いた旅館であることがうかがえるエピソードは枚挙にいとまがない。
世界三大スポーツイベント招へいに全力投球
そんな宝来館の再スタートとともに、岩﨑さんの頭にあったのは、アジア初のラグビーワールドカップ2019が日本で開催されることだった。オリンピック、サッカーワールドカップに並ぶ世界三大スポーツイベントの一つで、予選を勝ち抜いた20カ国が12会場で6週間かけて48試合を展開する。23年のニュージーランド大会では国外の観戦客が約13万人を数えた。
新日鐵釜石ラグビー部が日本ラグビー史に金字塔を打ち立てた7連勝は、釜石市民の誇りとして今も胸に刻まれている。
「ワールドカップ、日本でやるなら釜石でやってけれ」
その岩崎さんの一言が、釜石ゆかりのラグビー関係者らの心に火を付けた。自身も招致イベントなどに出席し、熱弁をふるった。
「ワールドカップより生活優先という意見も強くありましたが、まちには夢が必要だと思ったんです」
落選しても夢になることをと、岩﨑さんは次なる行動に出た。
市内には世界文化遺産に登録された日本最古の洋式高炉跡、橋野鉄鉱山がある。その技術指導にあたった近代製鉄の父、大島高任は西洋種苗のワイン国産醸造販売の先駆者だったという話を聞く。
「ワールドカップのときに、釜石産のワインで乾杯してもらえたら」
会場候補地から車で5分ほどの距離に農園を借り、釜石では初のワイン用のブドウ栽培に着手。花巻市大迫にも拠点を設けて計300本の苗を育て始めた。
「名付けて『ワインで乾杯プロジェクト』です。これが釜石のワールドカップに懸ける思い、本気度を伝える要因にもなったようです」
そして27年3月、開催地として正式に選ばれる。発表の知らせを宝来館で固唾(かたず)をのんで待っていた報道関係者50人を含む150人の間で歓声が上がった。
スポーツ、防災、自然をテーマにまちを再建したい
会場となる釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)の建設もスタートした。総工費約32億円には復興交付金などを充て、釜石市ラグビーこども未来基金に1億3700万円以上が集まり、市の負担は6〜7億円にとどまった(1月中旬取材時点)。約9万㎡の建設地は津波にのまれた鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地で、16年から防災教育に力を入れていたため全校生全てが避難できた〝釜石の奇跡〟と語られる場所だ。
「ピーク時には9万人だった人口も、今は3万5000人です。そんな釜石での生活や生き方は、未来の日本の縮図。ワールドカップを招致した一人として、スポーツ交流、防災教育、自然体験が盛んなまちとして発信していきたい。それが今、生きている私たちの役割だとも思うのです」
自然や歴史、エコロジーを軸にした「どんぐりウミネコ村」という未来のふるさと構想もあるそうだ。ワールドカップ後を見据え、岩﨑さんの夢はさらに広がる。
会社データ
社名:宝来館
所在地:岩手県釜石市鵜住居町20-93-18
電話:0193-28-2526
代表者:代表取締役 岩﨑昭子
従業員:10人
※月刊石垣2017年3月号に掲載された記事です。
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